第91話 お風呂問題

12/26 19:30 火曜日


 お腹が相当に空いてたのか、灰柿はいがきさんは作った料理をぺろりと平らげ、さらにはお代わりまで要求してきた。授乳中はカロリー多めって聞くし、求められるだけ与えても問題あるまい。お茶碗にして三杯、食べ終わった後にお腹をぽんぽんと叩いて、ご満悦の表情をしている。


「結構食べたね。お腹減ってたんだ?」

「……」


 うーん、僕が話しかけても全く反応してくれない。

 なんなら、近づいたらそれだけで睨まれてしまう。

 

「ななこ、みーこちゃん、起きたよ」

「みーこ」


 起きたのか、それとも起こしたのか。

 先に食べ終わったノノンがみーこちゃんのほっぺに触れているのを、僕は見ていたぞ。


 何はともあれ、起きたのならご飯にしてしまおう。

 みーこちゃん用の離乳食、温めるだけの簡単ご飯なんだけど。


「おーい、灰柿さん、みーこちゃんのご飯できたよ」

「……」

「灰柿さん、みーこちゃん、もう断乳の時期だから、離乳食も食べさせよ?」

「……」

「おっぱいだって痛いんでしょ? 授乳は止めて、離乳食に切り替えよ?」


 調べたら、上下の歯が生えた状態での授乳はめちゃくちゃ痛いらしい。

 赤ちゃんの薄い歯が容赦なく噛みつき、皮膚が薄く切れてしまうんだとか。

 みーこちゃんはしっかりとした歯が生えている、断乳の時期なのだろう。


「ななこ、おっぱいは、ノノンもあげる。でも、けーまの言うとおり、ごはんもあげよ?」

「……うん」

「わかったの、えらい、ね」


 ノノンは笑顔になって、灰柿さんの頭を撫でる。それを素直に受け入れている灰柿さん。

 ……なんか、差が生まれてません? まぁ、別にいいけど。


 キッチンのテーブルには、みーこちゃん専用の椅子が新たに設けられている。

 コの字の金具がテーブルに食い込み、ネジで固定された専用の椅子だ。


「はーい、みーこちゃん、離乳食だよーっとと?」

「まんまんま!」


 置いた瞬間、みーこちゃんは手を伸ばし、鷲掴みで離乳食を口へと運んだ。

 熱くないから平気だけど、いきなりでちょっと驚いた。


「……みーこちゃん、美味しい?」

「まんま! まんまんま! んふー!」


 みーこちゃん、ぽにゅんとした顔を破顔はがんさせながら、全力でご満悦な顔をしている。

 灰柿さんも隣で離乳食を美味しそうに食べているのを見て、同じく満足そうな顔をしていた。

 我が子が笑顔になるんだ、母親としては笑顔しかない。

 食べこぼしたご飯をつまんで自分も食べたり、みーこちゃんのほっぺを拭いてあげたり。


 付きっ切りでお世話をしているのを見ると、将来みーこちゃんは甘えん坊になるのかもしれないなって、なんとなく思った。


「灰柿さん、みーこちゃんのオムツ、交換してもいい?」

「……」

「ななこ、オムツ交換、するよ!」

「うん」


 徹底して差別化されてる気がする。

 しばらく悩んだけど、思えば灰柿さんは相方に見捨てられたも同然の状態だ。

 男という存在は脅威でしかない、そんな存在に最愛の我が子は任せられない。

 多分、こんな感じで考えているのだろう。


 だとすると、四月までずっとこのままの可能性があるな。

 ノノンに懐いててくれれば、それでも構わないのだけど。


 さて、気持ちを切り替えて、次はお風呂だ。

 あらかじめ動画で調べておいたけど、一歳の子の入浴は普通で構わないらしい。

 長風呂は避けて、大人と同じように洗い、お風呂上りに保湿と乳液でフィニッシュ。


 つまりは誰でも入れるという事なんだけど、問題はその順番だ。

 灰柿さんとみーこちゃんの二人だけにさせるのは、極力避けたい。

 すべての事柄に介入し、僕らがお手本を示さないとダメなんだ。

 

 かといって、ノノンに全てを任せても大丈夫かと言われると、そこにも疑問符が残る。


 ノノンが灰柿さんを洗っている時に、誰がみーこちゃんを見るのか。多分、灰柿さんは外で待ってる僕にみーこちゃんを任せたりはしない。かといって、僕が灰柿さんを洗うのも、彼女は絶対に拒否するだろう。現状さわれていないのだから、絶対に無理だ。


 頭の中でいろいろと考えた結果。


「今日だけ、全員でお風呂に入ろうか」


 という結論に至った。

 さすがにみーこちゃんを見なきゃいけないのに、目を閉じる訳にはいかない。

 僕だけ水着を着用して入ろうかともしたのだけど「だめ」とノノンに拒否されてしまった。

 

「はだかで、だいじょーぶ、だよ」

「……本当?」

「うん。ノノンだって、はだか見せて、だいじょうぶになった」


 彼女は勝利のVサインと共に、僕へと凛々しい表情を見せる。

 ノノンの言いたいことは分かる、でも、僕にはおっぱいないし。

 それに僕にはノノンや灰柿さんにはないモノが股間にぶら下がっている。

 これは多分、灰柿さんからしたら脅威の存在でしかないはずなんだ。


 また嫌われる要素が増えるような気もするけど。

 徹底して嫌われるのも、彼女の為か。

 

「よし、じゃあ、脱ぎます」

 

 上着をたくし上げる為に裾を握りしめると、ノノンがしゃがみこんで僕を見上げた。

 

「……なに?」

「けーまの裸、わくわくする、きゅんってするの」


 そうですか。見られながら脱衣するの、ちょっと抵抗があるんですけど。

 脱衣所には僕達の他に、みーこちゃんを抱っこした灰柿さんの姿もある。

 当然ながら、僕以外は誰も脱いでいない。

 なんだか無駄に視線を浴びながら、僕は着ている服を全部脱いだ。


 穿いている下着をも脱ぐと、灰柿さんはみーこちゃんを抱きなおした。

 どこはかとなく、僕をみーこちゃんに見せないようにしている気がする。


 灰柿さん個人の反応は、それぐらいしかなかった。

 そうだよな、散々いろいろな男のモノを見ているのだから、今更だよな。


「ほらノノン、いつまで見てるの」

「うぁ、う、うん。……けーま」

「なに」

「けーまの、ほんと、おっきぃね」


 恥ずかしいからやめて。

 はいるかな……とか、自分のお腹に手を当てるのもやめて。

 そういうの見てると、ダメだから。


「よし、つぎは、ノノンが脱ぐ、ばんだね」


 リビングの時と同様に、セーターを脱いで、厚手のスカートのホックを外すのだけれども。

 

「ノノン」

「うん」

「僕を裸にさせておいて、自分は水着なんだ?」

「……えへへ」


 ノノンは脱衣所でオレンジ色のビキニ姿を披露した。


 豊満な胸を支える一枚布は首後ろで結ぶタイプの吊り下げ式で、お尻の方は鼠径部に食い込みつつも、肌に吸い付き形の良いお尻を護り続ける。そんなお尻の部分にノノンは指を差し入れ整えながら、眉を下げて苦笑した。


 この格好でビーチを歩けば衆目を集めること間違いなしだ、とても可愛いと思う。

 それと同時に、なんと傍若無人な振る舞いかとも思った。

 ビキニ姿のノノンは全員に裸を要求しつつ、自分だけは水着でいると宣言したのだ。

 そんな僕の気持ちに気づいたのか、彼女は頬を染めながら少しだけ背を向ける。

 

「だって、けーまといっしょ、なんか、ちょっと恥ずかしい」

「恥ずかしくないの。前はノノンの方から見せてたでしょ」

「……まえと、いまは、ちがうの」


 違くないよ、同じだよ。

 恥ずかしがるから恥ずかしいんだよ。 

 とはいえ、一緒に入る時って目をつむってたもんな。 

 今回は目をつむらないって宣言してあったから、ノノンとしてもやっぱり違うのかも。


「つぎ、ななこの番、だよ」


 照れ隠しか、僕の返事を待たずにノノンはみーこちゃんを抱っこした。

 灰柿さん、ノノンのことは完全に信頼してるんだろうね。

 あっさりとみーこちゃんを任せると、一瞬だけ僕を見て、その後、洋服を脱ぎ始める。


「……」


 声には出さない、だって、彼女も地獄の底にいたのだから。

 おびただしい数の傷を前にして、僕たちは努めて平静を取り繕った。

 

§


次話『薬物』

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