第89話 十四歳の母親。

12/26 13:00 火曜日


「お待たせしました。あらあら、随分と変わったのね」


 赤ちゃんを抱っこした水城みずきさんがやってきて、赤ちゃん仕様へと変わった僕たちの家を見て感嘆の声を上げてくれた。


「そうそう、玄関に下りないように扉付けないといけないのよね、友達の家で見たのと同じ。角にクッションもあるしリビングは絨毯だし……これ、このまま転がれそうね」


 さすが水城さんだ、ノノンがしたのを一発で見抜いたぞ。

 部屋の端まで絨毯敷き詰めたあと「わあああ!」って転がり始めたんだ。

 どこぞやのクリニックのCMみたいで、見ていてちょっと可愛いと思ったのは内緒。


 ノノンを見ると「たはー」と言った顔をして、指を合わせて三角作ってもにもにしてる。

 恥ずかしいと言う感情が出来るようになったのであれば、それもまた成長の証だ。


灰柿はいがきさんは一緒じゃなかったんですね」

「ええ、あの子はウチの人……じゃなかった、渡部わたべ課長が連れてくることになっているわ」

「そうですか、てっきりご一緒かと思ってました」


 いま、ウチの人って言った? 渡部さんと水城さん、もしかして結婚するのかな。


「こほん。とりあえず、先に灰柿みーこちゃんを紹介するわね」


 水城さんに抱っこされていた赤ちゃんは、絨毯に下ろされると、そのままぺたんと尻餅をついた。

 ふわっとした髪の毛だけど、色が灰色だ。とろんとした瞳もどこか白く見える。

 眠そうな顔をしたまま、僕の方をじーっと見つめていて。

 ぱたんて倒れるも、横になったまま、やっぱりじーっと見つめている。


「正確な年齢は分からないのだけど、成長度合いからして多分一歳ちょうどぐらいかな。本当は離乳食だけにしたいんだけど、灰柿さんが母乳をあげたがるのよね。でも、断乳の時期でもあるし、これを機に離乳食だけにしてもいいかもね」 


 水城さんが説明してくれているけど、僕たちの視線はみーこちゃん一直線だ。

 ほけーとした顔、僕はそーっと近づいて、もちもちのほっぺに触れる。

 ぽにゅんとした。ノノンのおっぱいとはまた違う弾力だ。

 いやいや、僕は一体何と比べているんだ。


 でも、可愛い。

 すっごい庇護欲をそそられる。


 みーこちゃん、僕の指をつかむと、にまーって瞳を細ませながらほほ笑んでくれた。

 やばい、可愛い、可愛すぎる。

 なんなんだこれ、これが赤ちゃんなのか。

 

「ふぇ」

 

 と思ったら、いきなり眉間にシワを寄せて、一瞬で目に涙が溜まる。

 

「ふええぇぇぇ…………ふぇぇぇぇ……」

「え、なんで、急に」

「黒崎君、お尻の匂い、嗅いでみて」


 お尻の匂い? ……お、結構なアンモニア臭がする。

 それとは別に、他の臭いも。


「臭う?」

「そうですね」

「オナラの可能性もあるから、一応オムツのマークも確認してね」


 オムツのマーク、おお、おしっこマークとやらがあるぞ。 

 そして色が変わっている、なるほど、これで変化を察するのか。


「じゃあ早速オムツ交換なんだけど、ノノンちゃん、やってみる?」

「ノノン、がんばります!」

「うん、桂馬君もちゃんと見ておいてね」

「はい、分かりました」


 昨日から赤ちゃんに関する動画は確認してたんだけど、オムツ交換を動画で流している人は皆無だ。まぁ、当然なんだけど。つまり言い換えれば、勉強する方法がタブレットのみとなっていて、絵だけだと正直良く分かっていなかった部分とも言える。


「ここ、ちゃんと拭いてね」

「なんか、ちょっと抵抗ありますね」

「抵抗なんかしちゃダメよ、みーこちゃん、かぶれちゃうわよ?」


 水城さんのオムツ教室を終える頃に、家のチャイムがキンコンと響いた。

 玄関を開けると渡部さんが立っていて、隣には黒髪少女の姿も。


「待たせたね、もう水城は到着しているかな?」

「はい、中でみーこちゃんのオムツ交換を教わってました。えと、その子が……」

「うむ。だが、外は寒くてな、自己紹介は中でしようか」


 玄関でコートを脱ぐと、渡部さんは少女と共にリビングへと進む。

 廊下とリビングとの境にある扉を開けた途端、黒髪の少女は叫んだ。


「みーこ!」


 愛する我が子を見つけ、脱兎のごとく飛びかかろうとする彼女を、渡部さんが抑え込む。

 この行動を予見していたのだろう、飛びかかった瞬間にふわり・・・と床に押さえつけたのは、見事としか言えない。

 

「おっと……ダメだよ灰柿さん、まだ自己紹介が終わってない」

「みーこ! みーこ! あああああああああああぁ!」

「ダメか、おい水城」

「ええ、灰柿さん、ちょっと我慢してね」


 水城さんは暴れる灰柿さんの服の袖をめくり、露出した腕にシールを張り付けた。

 しばらくすると彼女の叫び声も静かになり、脱力した状態へと変わる。


「……あの、それ、何ですか?」

「貼付型の鎮静剤だ。残念だが保護観察官には利用を禁止されている」


 灰柿さんは絨毯へと座り込むと、とろんとした目で我が子を見つめる。

 ……これは、確かに強すぎる薬だ。多用したら間違いなく体に悪い。


「さて、改めて紹介しよう。灰柿奈々子さんだ」


 長い黒髪が特徴のその少女は、力なく腕を下ろし、猫背になって我が子を見つめる。


 着ている服は自前の物ではないのであろう、無地のシャツに無地のパンツ、上に防寒用のコートも羽織っているけど、それだって無駄に新品だ。靴下も独自性のない白のソックスに、髪型は特にいじった形跡のない分け目すら存在しない長髪。


 初日のノノンを思い出す。

 臭いはまだマシだけど、まぁまぁそれなりには臭う。

 施設で使ってるシャンプーとか、変えた方が良いんじゃないのかなって思うよ。


 しばらくすると、女の子座りの姿勢のまま、彼女は絨毯に倒れこんだ。

 両のたなごころを上にして、普通しない体勢で眠りにつく。

 鎮静剤の効果、強すぎだろ。


「あの、起きた後、暴れたりとかは」

「するだろうね、だから拘束具の利用を推奨する」

「ですよね……分かりました。あの、今後についても教えて頂けるのでしょうか?」


 眠ってしまった灰柿さんを抱きかかえ、ソファで眠らせると、渡部さんは彼女の隣に座った。


「今後についてだが、冬休みの間は当然ながら共に生活していただく。三学期が始まり次第、赤ちゃんは一階にある保育園への通園となる。毎朝通学の時間に合わせて受け入れが可能だ、既に手続きも済ませてあるから安心して欲しい」


 さすがは渡部さんだな、手際が良い。

 というか、ここまでは予定通りなのだろう。

 大事なのはここからだ。


「灰柿さんに関してなのだが、黒崎君と共に、花宮高校へと通学させる予定だ」

「え、灰柿さんってまだ十四歳ですよね?」

「ああ、だが、一人で中学校に通わせる訳にもいかないだろう? 本来なら国の施設での教育の期間なのだが、ここからでは遠すぎる。それに黒崎君たっての希望とあれば、それを優先せざるを得ない。以前の火野上さんのように、別教室での教育となる予定だ」


 僕の意見って、結構重かったのか。

 保護観察制度そのものがそうだもんな、子供による子供の更生。

 つまりは子供が中心となってすべての物事が回るんだ。


「ただ、みーこちゃん同様、灰柿さんも四月までとなる予定だ。四月以降は彼女専属の保護観察官があてがわれ、彼女は観察官と共にプログラムに臨む事となる。みーこちゃんに関しては、その時また考えることになるのだろう」


「学校は、同じなんですか?」


「基本的に椎木観察官のようなイレギュラーでも発生しない限り、同じ高校はあり得ない。上級生に一人も観察官がいないだろ? 毎年百名は保護観察として保護されるが、すべて別の学校への振り分けが決まっているんだ。……分かりやすく言えば、受け入れる側も大変、ということだよ」


 確かに、上級生に保護観察官はいない。

 事情があるとは思わなかったけど、何となく納得。


「大人の我々がいては、目が覚めた時に灰柿さんが暴れるかもしれない。任せるようで済まないが、黒崎観察官に後を任し、我々は撤収させてもらうとするよ」

「あ、はい、ありがとうございました」

「いや、感謝するのはきっと我々の方なのだろう。また新しい気づきが生まれること、期待しているよ」


 新しい気づき、か。

 大人では分からない点を、子供目線で見抜き、それを次に活かす。

 これまでの事で何かあったのだろうか? 僕にはまだ、何も分からないままだ。


 ノノンがみーこちゃんを抱っこし、僕たちは玄関まで二人を見送った。

 扉を開けると寒風が入り込んできて、廊下の温度が一気に下がる。


「そうだ、何か問題が発生した場合、年末年始問わず連絡して構わないからね」

「え、そうなんですか? 勝手にお休みだと思ってました」

「黒崎君だって、二十四時間、三百六十五日休まず働いているだろ? 君たち観察官に比べたら、我々は怠けすぎさ」


 ノノンと一緒に過ごすこと、それが僕の仕事というのであれば。

 確かに、僕には休みが一日もないとも言えよう。

 そんな風に感じたことは、これまで一度として無いけども。


 二人を見送り、玄関を閉じる。  

 ノノンとみーこちゃんを見て、僕は決意を新たにしたんだ。

 

「さてと……それじゃあ早速、灰柿さんを起こそうか」


 まずはコミュニケーションを取らないといけない。

 何をするにも、まずは対話からだ。


§


次話『授乳』

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