第87話 難題、到来。

12/25 月曜日 14:00


 その子は、小雪が入り乱れる天気の日に、僕たちの前に現れたんだ。

 とても小さくて、まだ一歳になったかどうかという大きさの赤ちゃん。

 水城みずきさんの腕に抱えられた赤ちゃんを見て、僕はこう言った。


「ご出産、おめでとうございます」

「違うから」


 あれ? 違うのか? てっきり水城さんのお子さんかと思ったのに。

 まぁ確かに、全然お腹出てなかったし、話にも聞いてなかったから早いなぁとは思ったけど。

 というか子供もぼちぼち大きい気がする、一歳くらいかな? おくるみって状態ではない。


「とりあえず、中に入ってもいいかい?」

「はい、もちろんです」


 マンション室内は、ノノンの手によってクリスマス仕様にデコられてはいるものの。

 一応、渡部わたべさんと水城さんが座るだけのエリアは確保されていた。

 

 普段のようにキッチンの椅子ではなく、リビングのソファに全員で座る。


「……で、その赤ちゃん、何なんです?」

「以前、黒崎くろさき君が受賞した際に、武内ぶない本部長が言っていた難題、という言葉を覚えているかな?」


 渡部さんはリビングに飾られた二枚の賞状を見ながら語る。

 

「はい、覚えています」

「実はね、この赤ちゃんが、その難題なんだ」

「赤ちゃんが難題、ですか?」

「ああ、黒崎観察官と火野上ひのうえさん、二人でこの赤ちゃんを育て上げて欲しい」


 赤ちゃんを育てる。

 え? 言ってる意味が分からないのですが?


「はい! わかりました!」

「待ってノノン、まだ何も分かってない」

「だって、赤ちゃん可愛いよ! ほら、ママでちゅよー!」


 ママじゃないから。

 赤ちゃんのほっぺぷにぷにしないの。

 

「……えっと、具体的には?」

「その前に事情を説明せねばならんな。黒崎君は保護観察プログラムが終わった後、観察官と選定者が結婚する確率というものをご存じかな?」

「ああ、はい、十パーセントって奴ですよね」


「うむ、話が早くて助かる。上層部はこの数字を毛嫌いしていてね、観察官と選定者が一緒にならないのでは、プログラムに意味がないのではないかと言いたいらしい。そこで、今回たまたま赤ちゃんを保護することになってね、ならば一番可能性の高い二人に、この赤ちゃんを預けてみてはどうか、という話になったんだ」


 確かに、十パーセントという数字に踊らされて、上袋田かみふくろだ君もノノンを誘ってたりしてたし。

 あの数字を何とか出来るのであれば、釣り合わない自分、なんて考えることも減るのだろう。


 だがしかし。


「あの、そもそもこの赤ちゃんって、誰の子供なんです?」


 さすがに国が絡んでるんだ、そこらで拾ってきた訳じゃあるまい。

 まさかクローン技術で培養された子供とか?

 人権問題待ったなしは、さすがにないと思いたいけど。


「……実はね、今年の夏、選定保護者が大量に発生する事件があったの」

「そんな事件があったのですか」


 水城さんの表情が陰る。

 夏か……僕たちが保養所とか、依兎さんの件で立ち回っている時かな。


「ああ、十四歳から十八歳の子が保護され、いま国を挙げて次年度のプログラムに組み込むよう教育中なのだが。その中の一人、十四歳、灰柿はいがき奈々子ななこという少女が、その赤ちゃんの母親なんだ」

「じゅ、十四歳で母親ですか!?」


 十四歳で母親ってことは、妊娠したのは十三歳か? 

 子供が生める身体じゃないだろ……っていうか、そもそも何でそんな状況に。


「余談だが、灰柿奈々子という名前は、我々の方で名付けた名前だ」

「奈々子……名無し、ですか」

「ああ、そういう場所で、彼女とこの子は生まれ育ってしまったんだ」


 ノノンもトイレで生まれ、既に親はいなかったって聞いていたけど。

 依兎よりとさんじゃないけど、下には下がいると思うと、何とも言えない気持ちになる。


 多分、僕たちは自分たちが思っているよりも、ずっと幸せな生活を送っているんだ。

 暖かい場所で、安全な場所で、安心してご飯を食べられる。

 これがどれだけ幸せなことか、改めて思い知らされるよ。


「あの……その子を育て上げる、とのことですが、期間は?」

「予定では来年四月までだ。四月以降は母親である灰柿さんも保護選定者としてプログラムに加入され、今の君たちのように保護活動が開始となる予定だ。その時に彼女のもとに子供を戻すとされているが、彼女の教育は火野上さん以上に困難を極めていてね。正直な所、状況次第だが、赤ちゃんだけは国で保護することになるのかもしれない」


 十三歳で妊娠し、十四歳で出産した女の子の更生を、たった一人の観察官でこなさないといけない。ノノンを経験した身としては、それは無理難題だと思うんだけど。しかも赤ちゃんも一緒にとなると、それは土台無理ってもんだ。


 というか、もっと別の問題があると思うんだけど。


「あの」

「ダメだと、おもいます」


 僕が問題提起をしようとしたところ、ノノンが僕の言葉を遮った。

 彼女は赤ちゃんを抱きながら、眉を吊り上げる。

 まるで怒っている、そう言いたげな表情だ。


「おかあさんと、子供は、いっしょにいるべき、です」

「……そうは言ってもだな」

「引き離されて、この子がかわいそう、です。お母さんも、いっしょにこの家にすめばいいと、おもいます。ノノンは、そう、おもいます」

 

 ノノンは腕の中にいる赤ちゃんを引き寄せると、頬を摺り寄せた。

 親がいない寂しさを知っているのは、誰でもないノノンだ。

 

「けーま、いい、よね」

「……ノノン」

「この子とお母さん、いっしょでも、いいよね」


 ノノンはわがままだけど、こういったお願いごとはこれまで一切した事がなかった。

 赤ちゃんと母親は共にあるべきだ、彼女の言っていることは、紛れもなく正しいと思う。


 真剣な眼差し、誰かのことを思えるほどに、彼女は成長したんだ。

 一呼吸、すんと息を吐いたあと、僕は顔を上げた。


「渡部さん、僕からもお願いします」

「……だがな」

「大丈夫です、今からでも育児について調べ上げますから」


 はっきり言って知識はゼロだ、だから全力で調べ上げる。

 離乳食からオムツ交換、幸い何かあった時に病院だってマンションの一階にある。

 それに僕たちは一人じゃない、ノノンと僕、それに灰柿さんもいれば、乗り切れるはずだ。


「……分かった、最優秀保護観察官である黒崎君が決めるのであれば、私たちは黒崎君の理念に基づいて支援するのみだ。ただ、相当大変なことになるのは、覚悟しておいてほしい」

「覚悟なら、とうの昔に出来てますよ」

 

 苦笑いしつつも、渡部さんは僕たちの申し出を受け入れてくれた。

 雪降るクリスマスの夜、僕たちの家を訪れた一歳の女の子の赤ちゃん。


 彼女との生活がどうなるのか、また、彼女の母親との共同生活がどんなものになるのか。

 今はまだ、何も分からないままだ。


§


次話『赤ちゃん出迎え準備。』

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