第79話 捕食者の目。

『最優秀賞受賞者は、埼玉、黒崎くろさき桂馬けいま観察官です!』


 熱のこもった武内ぶない本部長の声がこだまするも。

 会場は、静まり返ったままだった。


 まいさんの時とも違う、番場ばんばさんの時とも違う。

 皆が皆、真っ暗な会場の中で、我を忘れて受賞者の名を確認する、そんな感じだ。


 僕も理解が追い付かないまま、硬直してしまっていて。

 そんな僕に気づいたのか、舞さんが僕の手を握り、そっと教えてくれた。


「……桂馬君、貴方よ」

「……え? あ、え?」

「おめでとう、私の予想通りだった」


 パパパパパパパパパアアアアアアアアアアアンッ!


 連発するクラッカー音が鳴り響くと、会場一面に花吹雪が舞い上がる。 

 明るくなった照明と共に皆が一斉に拍手して、そして、全員が僕を見るんだ。

 

 自然と人の波が割けていき、モーゼの十戒のように道なき場所に道が出来る。

 脈打つ動悸が耳まで聞こえてきて、今だってまだ、目の前のことが現実だと思えない。


『受賞者は前へ』


 僕? 僕が前に出ていいの?

 未だに頭の中が混乱しているけど、でも。


「いってらっしゃい、大丈夫、胸を張って良いことだから」


 舞さんに背中を押されて、ようやく第一歩を踏み出せた。

 振り返ると、舞さんはほほ笑みながら手を振ってくれていて。


 舞さんだけじゃない、神崎君も頷き、他の観察官も皆が拍手してくれているんだ。

 七光君はふてくされた顔をしているけど、それでも拍手はしてくれている。


 ここにきてようやく、耳が音を取り戻した。

 鼓膜が破れるような拍手音、鳴り響く金管楽器、おめでとうの言葉。


 ……そっか、僕が選ばれたんだ。


 喜びが、洪水のように身体全体を包み込んでいき、全身が震え始める。

 歩きだす一歩一歩がとても軽い、空も飛べそうなほどに軽い。

 口の中がムズムズして、なんか無駄に嚙み締めたくなる。


「黒崎! 手足が同じになってんぞ!」

 

 え? あ、本当だ、右手右足で歩いてたや。

 こんなの生まれて初めてだから、しょうがないよね。

 しかもこんな、保護観察官での最優秀賞とか、こんな。


『くっくっくっ、緊張しているようだね』

 

 檀上前に到着するなり、含み笑いする武内本部長からこう言われてしまった。

 間近で見ると彫りの深い顔をしていて、眉間のシワも深く刻まれ、ともすれば怒っているように見えてしまうのだけれども、瞳には優しさが溢れている。


 僕から見た武内本部長は、そんな、威厳溢れる人に見えた。

 

「すいません、慣れていないものでして」

『構わない、その緊張感こそが、これからの人生で最も大切なものだ』


 言葉の終わりに、武内本部長は背筋を正した。

 僕もそれに合わせて両かかとを揃え、背筋を伸ばし、手を体側に付ける。


『最優秀賞、黒崎桂馬殿、貴殿は保護観察官が何たるかを理解し、率先して行動し、数多の選定者を更生への道へと歩ませることに尽力しました。並々ならぬ熱意に心を打たれたのは、選定者だけではなく、保護観察課に勤める我々も同じです。これからの活躍を期待し、表彰という形をもって、我々からのエールとさせて頂きたいと思います』


 大きな、とても大きな賞状を回転させると、僕は両手にそれを受け取った。

 

『おめでとう、君がこの先、もっと多くの人を救うと信じているよ』

「ありがとう、ございます」


 人生でこんなにも大きな賞状を貰ったことがあっただろうか。

 触った瞬間に普通の紙じゃないって分かる。

 光沢があって、厚くて、角なんか触れたら切れちゃいそうだ。


 新しい玩具を与えられた子供のように、きっと今の僕の瞳は輝いているのだと思う。

 自然と下がる口角、読み上げられた文章を、自分の目で再度追ってしまう仕草。

 間違いない、大きく綺麗な字で、僕の名前も書いてある。

 僕が受賞したんだ、僕が、今この瞬間だけは、一番……。


『黒崎君』

「……あ、はい」

『後日、最優秀賞者である君に頼みたいことがある。おって担当である渡部課長から連絡がいくと思うが、是非とも引き受けて欲しい』

「頼みたいこと、ですか?」

『ああ、選定者と二人で、是非とも乗り越えて欲しい難題だ』


 なんだろう? でも、僕とノノンの二人で乗り越えるべき難題というのであれば。


「どんな内容であっても、喜んで引き受けたいと思います」

『……期待しているよ。では、改めて、受賞者に最高の拍手を!』


 人から期待されるということが、こんなにも心地良いことだと生まれて初めて知った。

 割れんばかりの拍手が巻き起こるなか、僕は舞さんたちの下へと小走りで戻る。

 到着するなり、神崎君が僕の背中を叩きながら叫んだ。


「黒崎! やったな!」

「うん、僕なんかでいいのか驚いてるよ」

「桂馬君以外ありえないって、私、気づいてたわよ? 本当に、おめでとう!」


 舞さんは飛びついて抱き着くと、そのまま僕の頬にキスをしたんだ。

 感極まっちゃってたんだろうね。

 多分、もう何回かしてるから、自然としちゃったんだろうけど。


 でも――――


「キスだ! キスしたぞ!」

「ひゅー! ひゅー!」

「なんだよあの二人、そういう関係かよ!」

「おめでとうー!!!」 


 ――――盛大な勘違いを巻き起こしてしまい、それは収拾が付かなくなってしまうほどで。


「なんだよ椎木さんと黒崎、一緒に暮らすってそういう意味だったのかよ!」

「ちちち、違うよ!? 神崎君まで誤解しないでね!?」

「いいっていいって! お? でも火野上さんどうするんだ?」

「僕はノノン一筋だから! 鎖だって、ねぇ、舞さん!」


 制服姿で恥ずかしそうに体をくねらせた舞さんは、こつんと頭を叩いて、ペロッと舌を出した。


「つい、うっかり」

「ついうっかり、じゃないよもおおおおぉ!」


 きっと相当可愛く見えたんだろうね、男どもが「おぉー」って声を漏らしていてさ。

 しかも、いろいろと見られたのはこの会場だけじゃなかったんだ。


『なんや最優秀の黒崎ってのは、随分とせわしない奴なんやなぁ!』


 スクリーンに目いっぱい映り込んだ番場さんは、画面越しに瞳を歪めながら僕を見る。

 言葉にしなくても分かる、アレは僕を玩具おもちゃにしようっていう、捕食者の目だ。


「ば……番場さん」

『ええでぇ! 大阪来たら歓迎したる! 受賞者同士でたこ焼き食べまひょ!』

「た、たこ焼き?」

『金勘定ばっちりしたるさかい、安心して来てな! ほな、お幸せに!』

「お幸せって、ちょっと待って! 僕と舞さんはそんな関係じゃ!」

『舞さん!? なんや、名前で呼び合ってんのか! あんじょうたまらんさかい、後はお若い二人でよろしゅうなぁ! はぁー! 暑うてかなわんわ!』


 大阪弁!? 京都弁!? どっち!?

 方言めちゃくちゃな番場さんは「ほな、さいなら!」とスクリーンから消えてしまった。


 向こうも向こうで楽しそうにしてて、他会場からも野次やら冷やかしの声が止まらぬなか、僕は、それでも楽しくて。七光君の悔しがる姿や、空舘君と神崎君の力比べとか、とても楽しい報告会は、笑いが絶えないこの時間を経験した僕は。


 保護観察官になって良かったって。

 心の底から、そう思ったんだ。


§


次話『お前、いま幸せか? ※氷芽依兎視点』

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