第75話 保護観察官半期報告会

9月16日 土曜日 05:50


 アラームを設定すると、その十分前には目を覚ましてしまう。

 子供の頃から変わらない、くせみたいなものだ。

 

 ノノンはまだ布団の中でぬくぬくと眠りについているし、離れても問題あるまい。

 お互いのルールで、トイレの時だけは鎖を外しても良いことにしてある。

 それ以外は極力ゼロセンチを求めてきているが、最近はちょっとルーズだ。


 家事をする上で手をつないだままじゃ洗濯物を干すことも出来ないし、皿洗いだってノノンはしないし。ずっとゼロセンチは常識的に考えて無理があるのだろう。気持ちは嬉しいけどね。


 とたとたと歩いて、家のトイレへと向かう。

 用を足したら朝食の準備をして、昨日の洗濯物を畳んでしまうか。

 そんなことを考えながらトイレの扉を開けると。


「え」


 そこには依兎よりとさんの姿があった。

 一瞬、頭の中が真っ白になる。

 

「……え?」


 下着をおろし、洋風便器に腰かけた姿のまま、彼女はこちらを見ている。

 瞬間、僕の寝ぼけた脳みそに電気が走った。

 昨日そういえばお泊まりしてたんだ、だから依兎さんがいるのも可能性としてはある。 

 でも、普通トイレの鍵をかけるもんじゃないのか? なぜに未施錠?  

 僕が固まったままなのを見ると、依兎さんは次第に眉をひそめ始めた。


「いつまでいるんだよ……別に、見たかったら見せてあげるけど」

「いやいやいや! 違う! ごめん!」


 慌てて扉を閉める。  

 朝からとんでもない事をしてしまった。

 しばらくして赤面した依兎さんがトイレから出てきて、廊下の隅にいた僕に近寄る。

 細くしなやかな、それでも冷たい四指が僕の頬に触れた。


「まぁ、アタシは桂馬けいまが望むのなら、どんなのでも許すけど」

「完全に寝ぼけてました、ごめんなさい」

「そういう事にしておくよ。ああ、そういえばなんだけどさ」


 どういう事にされたのでしょうか。 

 依兎さんは僕の首に腕を絡ませると、こっそりと耳打ちする。


「(アタシたちがいなくなった後、寂しそうにしてたんだって?)」

「(……ノノンから聞いたの?)」

「(ふふっ……嬉しいよ。ありがとう、桂馬)」

 

 吐息を耳にかけながら語ると、彼女はそのまま僕の耳朶を甘噛みした。

 背筋に電気が走るぐらいゾクゾクして、思わず指に力が入る。

 舌が耳の中を這いずり回り、唾液の音が直接耳の中へとダイレクトに伝わってきた。

 数秒して収まりそうになかったから、僕の方から彼女を優しく押しのける。

 

「……やりすぎですよ」

「見られたお返し」

 

 最後に「んーっ」てハグした後、依兎さんはリビングへと消えていった。

 左耳が完全に唾液まみれになってしまった……でも、あんなやり方もあるんだ。

 ノノンにしたら喜ぶかな。いや、変なスイッチが入ったら危険だ、やめておこう。


 ちょっと長いトイレを済ませた後、リビングへと向かうと、そこにはキッチンに立つまいさんの姿があった。


「おはよう。あら、ノノンちゃんは一緒じゃないのね」

「トイレの時だけは鎖を外しているので……相変わらず美味しそうな匂いですね」

「そう言って貰えると嬉しい。頑張った甲斐があったわ」


 舞さんと会話をしていると、ソファでテレビを見ていた依兎さんも背もたれに乗っかりながら、身体をこちらへと向ける。


「舞ってば、桂馬に食べさせる料理の研究とかしてたんだよ?」

「あ、ちょっと、依兎さん、そういうのは言わないの!」

「別にいいじゃん、桂馬だって舞に好かれて嬉しいだろ?」

「えぇ、まぁ」


 人に好かれて嬉しいか嬉しくないかで言えば、それはもちろん嬉しい。

 けれども、こんなに赤面されるような好かれ方をされるのは、正直慣れない。


「ちょっと、ノノン起こしてきますね」


 照れ隠し半分、気不味きまずさ半分の心境で、自室へと戻る。

 古都ことさんみたいな男女の友情……っていうのは、あの二人には無理なのかな。

 人付き合いの距離感って、難しい。


§


渡部わたべさん、水城みずきさん、おはようございます」

「ああ、おはよう。おお、みんな制服姿が似合っているね」


 渡部さん、約束通り大型車で来てくれたみたいで、ワンボックスって感じの車だ。

 さっそく乗り込むと、座席が一人一人別で、なんだかバスみたいに感じる。

 座った感触がフカフカだ、ドリンクホルダーに充電口、装備品フルセットって感じ。 

 買ったら高いんだろうなぁ……お金持ちになりたいって、ちょっと思う。


椎木しいらぎさん、氷芽こおりめさん、花宮高校はもう慣れた?」


 水城さんが振り返って二人へと問う。

 お出かけモードなのだろう、水城さん、いつもよりもお化粧が決まっている気がする。

 成績発表とか言ってたもんな、いつも通りにとはいかないのだろう。


「そうですね。まだ二週間程度ですけど、人間関係は良好だと思います」

「本当、良かった。氷芽さんも?」

「アタシも良好だと思いますよ。ただ、一部の男子から交際を求められてたりしますけどね」


 そうなのか、まだ二週間なのに、ずいぶんと手が早い。


「報告書にも載せてあったわね……全部断ってるって?」

「はい、まだ、そんな気にはなれませんので」

「いろいろあったものね。まずは心が落ち着くのを最優先させるのでも、問題ないからね」

「そうさせて頂きます」


 一部の男子って誰だろ。

 ちょっと気になる。

 でも、今一番気になっているのはもっと別の事柄だ。


「渡部さん、今日って成績発表があるんですよね?」

「ああ、連絡した通りだな」

「具体的に、どんな内容が発表されるんですか? そもそも発表ってどんな事をするんです?」


 頂いていた手引書を昨晩改めて見てみたけど、成績発表についての詳細は載っていなかった。

 ネットを調べてみても、最終的なものは載っていても、半期報告会に関するものと限定すると極端に情報が減る。


「一言で言えば内申点だな」

「内申点ですか」


 車を自動運転に切り替えると、渡部さんは僕たちの方に振り返った。


「ああ、保護観察官に関しては事前素養のみで選定され、保護観察実施中も専用のテストを設けたりもしない。だが、その観察官がこれまで何をしてきたか、選定者の更生にどれだけ熱意を懸けているかは、毎日の日報や、やり取りで判断する事が出来る」


 内申点って、クラス委員をしたか、ボランティアに参加したか、部活で活躍したか、みたいな部分だった気がするけど。保護観察官の内申点となると、やっぱり選定者に対してどれだけ親身に接したか、という事になるのか。


 だとしたら、僕の成績はずっと下の方かな。

 拘束具を常時使用している観察官なんて僕ぐらいのものだろう。

 以前渡部さんも想定外の使い方って言ってたし、上な訳がない。

 使ったら何ポイントとか、そんな感じで査定されてるのかもしれないね。

 どちらにしても下の方、誇れる内容じゃないさ。


 でも、口にも表情にも出さない。

 ノノンが責任を負ってしまう可能性があるのだから、絶対にダメだ。


「一応、黒崎くろさき君に関する成績は、私と水城で採点し提出済みだ。ここに更に関わってきた観察課の面々に加え、本部長、及びAI診断が加味され、成績という形になって皆に発表されるという訳だが……実際にどうなるのかは、現地で発表を待つといい。楽しみの一つだからな」


 成績発表が楽しみなのは、自己採点が高い時だけだ。

 多分低い今となっては、楽しみとは言えない。

 でも、神崎君にも会えるし、そこは楽しみと言っても良いかな。


§


 以前と同じ超高層ビルの地下駐車場へと、車は進む。

 前はここの駐車場に入る時の螺旋で、ノノンがくっついてきたんだっけ。

 けれども今回は一人一席だから、そんな事もなくて。


「けーま、いってくるね」

「うん、いってらっしゃい」


 依兎さんと二人、手をつなぎながら水城さんの後を歩く。

 ノノンも成長したな、前は僕の名前を呼んで行きたくないってしてたのに。


 ……と思ったら、ノノン、急に振り返って走ってきた。


「けーま!」

「うわっと」


 飛びついてきた彼女を受け止めて、力を逃がす為にくるり一回転。

 

「やっぱりノノン、さみしい!」

「……ありがと、そう言って貰えると、嬉しいよ」

「……けーまも、さみしい?」

「うん。ちょうど同じこと考えてたところ」


 素直に気持ちを吐露した途端、ノノンはにやけた笑顔になって、後ろ手に組んで前かがみになると、おしりふりふりし始めた。なんていうか、喜びを身体全部で表現しているみたいで、見ているだけで幸せな気分になれる。

 

「ほら、ノノン、水城さんと依兎さんが待ってるよ」

「……うん。けーま、あいしてるからね!」

「ありがとう……」


 にっこにこの笑顔で言われると、ちょっと恥ずかしいかも。

 舞さんも渡部さんも側にいるのに……なんだか、顔全体が熱を持った気がする。


「さてと、それじゃあ我々も行くとするか」


 ノノン達が見えなくなると、渡部さんも歩き始める。

 

「黒崎君、好かれることは悪い事じゃない。彼女は愛という感情すら持たないままに、これまでを生きてきたのだから。火野上さんの成長は誇らしいこと、胸を張っていいことだからな」


 ずんって、渡部さんの手が僕の肩に乗った。

 無骨で大きい手なのに、どこかこそばゆい気がするのは何故だろう。


§


次話『懐かしい顔と、新しい顔』

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