閑話 生まれつつある新たなる問題

8月30日 水曜日 14:00


 2010年頃、生活保護の不正受給という犯罪の手口が広まった。

 働ける人たちをアパートに強制的に集め、働けないと偽り、生活保護を不正に受給させる。


 生活保護を受給している人たちは、受給金額の半分以上を管理者へと強制的に奪われ、残されたお金で貧しいながらも娯楽に費やして日々を送る。

 

 当時でその犯罪に関わった金額は百二十八億円、生活保護の全体支給額である年間三兆円に対してみれば、一パーセントにも満たない数字だ。しかし、一般男性の生涯賃金が二億と言われている昨今、この数字は馬鹿にして良い数字ではない。


 生活保護とは、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とすると書かれている。


 健康で文化的な生活水準を維持することができ、最低限度の生活が保障される。資産、能力、その他あらゆるものを活用し、それでも最低限度の生活が維持できない場合、その不足分を補うとされているのだ。


 国が語るのは、両手を失ったり、高齢者で働けなくなった者を指しているのであって、働きたくないから不正受給しようと画策する為のものではないと言っている。酷い言い方をすれば、最低限度の生活を保障するのみであり、受給者の娯楽なぞ考慮する必要はないのだ。


 否、考慮する余裕が無くなってしまった、と言い換えるが正しい。


 青少女保護観察課、水城みずき香苗かなえは怒っていた。

 生活保護の申請場所である福祉事務所は、既に老人ホームと化してしまっている。


 守らなくてはいけない高齢者がどこまでも増えていくのに対し、それを支える若者の数が異常なまでに少ない。少ないのにも関わらず、大人たちの悪意ある歯牙が少年少女を傷つけ、将来の糧になるはずの国の財産を、自殺への道へと歩ませてしまっているのだ。


「どうしてイジメとか児童ポルノとか、無くならないんですかね」


 青少女保護観察課の事務所の一角にて、水城はモニターに映るニュースに目を通しながら一人ごちる。水城の隣に座する渡部わたべ将司まさしも同様に、モニターと睨めっこをしながらキーボードをブラインドタッチで叩き続けていた。


「人間の本能の部分なんだろうな」

「本能って、三大欲求にもルールを定めるべきなんですよ」

「寝すぎず食べすぎず、性欲もほどほどに、か?」

「その通りです。……またシングルマザーの問題がニュースになってますね」


 モニターに映る記事には、シングルマザーによる母子無理心中と書かれていた。


「そもそもシングルマザーって意味が分からないです。子供は女だけじゃ絶対に生まれないんですよ。母親は子供と共に貧困に苦しんでいるのに、なんで父親は何もせずに逃げて、しかも普通の生活を送っていられるんでしょうね。相手を妊娠させたのだから、徹底して責任を負うべきだと思います」


 水城はモニターをタップして、記事の詳細へと目を走らせる。

 そんな様子の相方を眺めながら、渡部もキーボードを打つ手を止めた。


「相手が誰だか分からないんだろう。寂しさを紛らわせる為とか、生きるためとか、理由は様々だとは思うがな。子供が一歳で、母親が十九歳か。もうちょっと若ければ立派な保護対象だったな」


「生活保護の対象では、ありましたよね」


「若い女ってだけで保護対象にはなりにくい。精神病を訴えたとしても、現在では医師が認知するまで一年は診療所に通わないといけないからな。そして、その金額も馬鹿にならない。認知されればその後は無料になるが、それまでの金がないんだろうよ」


 無論、シングルマザーをほう助する制度も存在する。

 ただ、どんな便利な道具も使い手が理解していなければ意味がない。

 恐らく件の母親は制度を利用せず、一人頭を悩ませ、無理心中を決断してしまったのだろう。


「……なんか、納得いきません。子供のDNA鑑定とかで父親を割り出せればいいのに」

「大体そういう輩は、そこら中に種を撒いてるもんだよ。何十人の子供の父親ですって言われても、結局ソイツは逃げるだけだ。むしろ少子化社会改善の役に立っている、とか言いながらな」

「そんなものですかね」

「そんなもんだ」


 会話が終わったと感じたのか、渡部は再度キーボードを叩き始める。


 青少女保護観察にかかる収支報告書の作成、観察官からの稟議申請、周辺地域からの苦情、学校への報告書の作成等々、保護観察課の仕事は多岐に渡る。


 渡部にはそれらとは別に、上から別途詳細な報告書の提出を求められている状態であった。

 青少女保護選定者である、氷芽こおりめ依兎よりとの自殺未遂事件。


 隠し持っていた毒物による服毒自殺。幸い、保護観察官である黒崎くろさき桂馬けいま火野上ひのうえノノンによって、最悪の事態は免れたものの。薬の成分を調べた結果、吐き出さなかった場合の致死率は九割以上だったことが判明する。


 上から烈火のごとくお叱りのメールが山のように届き、それらを一つ一つひも解いては、今後の改善策や予防実施する施策等々に、渡部は頭を悩ませている最中であった。


 仕事は山のようにある。

 そんな渡部だったのだが、無常にも彼のスマートフォンは鳴動を始めた。


 見れば渡部の上司、都内本庁にお住まいの保護観察課の本部長様だ。

 報告書の催促か何か分からないが、どうせろくでもない内容だろう。

 表情にそんな感情を出しながらも、渡部は通話ボタンをタップした。


「はい、渡部です。…………はい、…………は、え?」


 普段、何があっても動じることが少ない渡部が何かに驚いている。

 水城はモニターを消し、隣に座る上司兼旦那である渡部を注視した。


「……はい、はい。かしこまりました、直ぐに現場へと向かいます」


 現場、また何かあったのだろうか。

 渡部はスマートフォンをカバンへとしまい込むと、席を立ち上着を羽織る。

 当然の如く水城も後に続き、事務所内の公用車タッチパネルの〝使用〟に触れた。 


「何があったんですか?」

「車の中で話す」


 青少女保護観察課で取り扱う情報は、基本的に個人情報が多い。

 情報の秘匿が主であり、漏洩はいかなる場合も許されないのだ。


 事務所を出ると、すでに一台の無人の車が停車している状態だった。 

 渡部はそれに乗り込むと、水城も助手席へと続く。


 公用車には盗難防止のため、鍵が設けられていない。


 事務所内タッチパネルの公用車使用に触れた瞬間に、押した人物の静脈、指紋から登録者かを判断、登録者が近づくと開錠、起動する仕組みになっている。観察官が利用する自動運転ではなく、これは完全に手動運転の車だ。


「それで、何が?」


 走り出した車内で、ハンドルを握る渡部へと水城は問う。

 

「生活保護の集団不正受給、水城も知ってるだろ?」

「今更な話です」

「それが未だに行われていた、しかも不正受給者は三世代目に突入しているらしい」

「三世代目?」


 不穏な言葉に、水城の片眉が上がる。


「正規の保護受給者ではなく、不正受給の温床である彼らは手にする金額が少ない。娯楽だって限られている。そんな中で、男と女がいたらする事は決まっているだろう」

「……子供が多数生まれてしまっていると」

「ああ、しかもそれが三世代目に突入しているらしい。恐らくだが、まともに病院にも通っていないし、まともに学校にも通っていない。生まれた時から肥溜めの中で生活して、そして望まないまま妊娠、出産してたんだろうよ」


 渡部の話を聞き、水城は両こぶしを強く握った。


「ありえないですよ、そんなの」

「そうだな、全くもってありえない」

「……でも、子供たちに罪はありません」


「だから、こうして俺たちが呼ばれたんだ。確認しただけで十八歳以下が十名、中でも十四歳の女の子は既に子供を出産し、母親になってしまっているらしい。無論、父親は不明、その場にいた全員に可能性があるのだが、全員が否認している」


「本当……クズなんだから」

「二世だからな、彼女たちの親たちも、ほとんど同様の生活を送っていたんだろう」

「その人達もですけど、そういう場を作った人たちもですよ」

「そいつ等は全員逮捕、例外なく極刑だ」

「当然です」


 渡部と水城が住まう現在は、死刑判決は半年以内に実行される事が確約されている。

 死に値する罪を犯したものに対して、発達した科学力は無慈悲に鉄槌を下すのだ。


§


8月30日 水曜日 17:00

 

 渡部と水城、二人を乗せた車は道なき道を進む。

 既にコンクリートで舗装された道路ではなく、草に残る轍だけが頼りだ。

 鬱蒼とした森を抜けると、突然開けた場所に出て、木造の古いアパートが姿を現した。

 何台ものパトカーが停まっていて、赤色灯でアパートが燃えるような赤い色に染まる。 


「……こんな所に人が」

「ああ、それも何十人も住んでたんだ」


 周辺にいる警察官に連れられて、二人は少年少女が集う部屋へと案内された。

 一歩踏み入るだけで悪臭が鼻を襲う。ノノンの時と同等、いや、それ以上か。

 

「十三歳以下の子供たちは児童相談所へと送られるのですが、十四歳以上の方々に関しては青少女保護観察課に回せと、上からの指示です」


 青少女保護観察プログラムの範囲は、十四歳から十八歳の男女に限られる。

 こういう処置になるのはそう珍しいことではない。


 散髪もされず、ろくに風呂にも入っていないであろう子供たちが水城たちの前で座っている。

 部屋の壁を虫が走り、彼らの服は六歳程度の子供が着る服のままだ。

 警察官が思わず顔をしかめるも、渡部と水城は顔色ひとつ変えずに少女へと歩み寄る。


「……君、名前は言えるかい?」


 名も言わぬ少女、しかして胸に抱えるは、まだ乳飲み子だ。

 赤子の成長に親の存在は絶対だと考えるが、この子の場合は何が正解なのか。


「八月三十日、十七時十五分、青少女保護法により、君を選定者として保護させていただく」

「……」

「大丈夫……君だって、自分の子供を守れる、立派な大人になりたいだろ?」

 

 黒髪の少女は言葉の意味を理解するでもなく、ただただ茫然と渡部を見ているのであった。


§


次話『二学期の始まり』

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