第72話 けーまは、ノノンだけをみて。
8/19 日曜日 07:00
「あーあ、
「うふふっ、明日以降はノノンちゃんが作ってくれるから、安心してね」
安心できないねぇ。
ノノンが料理に成功している時は、決まって誰かが側にいる時だ。
彼女一人でキッチンに立ったとして、一体どれほどの料理が出来るのか。
……どんなのでも、食べるけどね。
「ノノン! いっぱいりょーりおぼえたから! けーま、あんしんして!」
「……うん」
「うわ、絶対に
「そんなことないって」
軽口叩く相手がいるのも、賑やかでいい。
でも、いつでもそうなんだけど。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものなんだ。
§
「お、もう準備万端って感じだな」
「
「あら、ウチのが催促しちゃったみたいで、ごめんなさいね」
「いえいえ」
ウチの? 水城さん、変な言い方をしたな。
……まぁ、いいか、別に。
十時ぴったりに渡部さんと水城さんが部屋へと到着すると、共に上がってきた引っ越し業者が舞さんたちの荷物の運び出しを始める。そんなに量が多くなかったのもあり、二往復程度でそれは終わってしまって。
「じゃあ、そろそろ出発しようか」
「うん。桂馬君、ノノンちゃん」
「まい……よりと……」
ノノンは玄関に
生涯の別れじゃないし、何なら同じ市内だし、学校も一緒なのに。
それでもノノンは泣いちゃうんだよな……とても可愛いと思う。
「泣くなよバカ、こっちまで泣けるじゃねぇか」
「ノノンちゃん、必ず遊びに来てね」
依兎さんと舞さんも泣くんだ。
うん、じゃあこれから一緒に行きましょうか?
なんて、野暮なことは言わない。
「じゃあ……またね」と舞さんが言い。
「ノノンを不安にさせるなよ?」と、依兎さんが言う。
「大丈夫だよ」と僕が伝えるも、言葉だけではやっぱり足らないんだ。
でも、何もしない。ハグのひとつだけでも、ノノンが不安になるから。
人の好意は思っていた以上に伝わりやすくて、言葉にせずとも溢れてしまうものだと、僕は知っている。
だから、僕はそれらに対する答えとして、ノノンの手をしっかりと握るんだ。
彼女への想いが嘘ではないことの証として、ただひとつの想いだと信じて。
§
舞さんと依兎さんが引っ越した後の家は、やっぱりどこか寂しい。
朝食を終えた後のまだ乾いてないお皿だけが残っているだけで、二人が住んでいた部屋なんかは完全に元の状態へと戻ってしまっている。でも、舞さんが引っ越してきた初日に言っていたような臭いは完全に消えていて、彼女が使っていたであろう制汗剤か香水の、柑橘系の匂いだけは、まだ消えずに残っているんだ。
そんな部屋をノノンと二人で眺めた後に、僕は扉を閉じて、施錠のボタンを押した。
『黒崎桂馬様を確認しました、施錠します』
「けーま、おへや、とじちゃうの?」
「うん。二人で生活する分には、この部屋は使わないからね」
二人でリビングへと向かい、ソファに座ってテレビを眺める。
日常に戻ったはずなのに、なんだかちょっとだけ、胸に穴が開いた感じがする。
そんな空気を感じ取ったのか、ノノンも何も言わずに、隣にちょこんと座っていて。
お祭りのあと、みたいな感じなのかな。
なんだか無性に寂しいって感じちゃうよ。
「けーま」
「うん?」
「けーまは、よりとと、まい、いっしょのほうが、よかった?」
隣に座りながら、赤い瞳でじぃっと見つめる。
ノノンは二人だけだからか、傷跡がそのまま見える半袖に、白と黒のチェックのハーフパンツを着用していて。太ももに残る傷跡や、腕に残るリストカットの跡、肩から背中に残る火傷の跡なんかも、あらわにした服装で僕を見ている。
それはまるで、いつかの時のように、これが私なんだよって言っているみたいな服装で。
だからじゃないけど、それらから目を逸らさずに、僕は彼女を見つめるんだ。
一緒の方が家事が楽だったからね。多分、そんな言葉でも彼女は傷つく。
だから一番彼女が安心する言葉が何かを、頭の中で模索していたのだけど。
「……ノノン?」
隣に座っていたノノンは起き上がると、ソファに座る僕を
目の前にノノンの大きな胸が迫るんだけど、それはすぐに視界の下の方へと落ちる。
彼女の両手が僕の両頬を包むようにして、そして、唇が僕の頬に触れた。
右、左と触れた後、そのまま額にキスをすると、彼女は僕をぎゅっと抱きしめるんだ。
「ノノンもね……よりと、まい、おなじことできるから」
「……うん」
「だから、けーまは、ノノンだけをみて。ほかのひと、みないで」
嫉妬、か……。
不思議と、最近のノノンからは嫉妬の気配を感じていなかった気がする。
いや、それは勝手に僕が思っていたことであって、ノノンからしたら砂時計の砂のように、どんどんと溜まっていく感情だったのかもしれない。どれだけ好きって言っても、毎日一緒にいても、いつか僕がノノンを裏切る……そう、思わせてしまっていたのだとしたら。
「りょうりも、いっぱい――」
うんっ、と彼女は唾を飲み込み、僕の両肩に手を置いたまま、少しだけ離れる。
泣き顔だった、ぽろぽろと涙をこぼしながら、それでも必死になって言葉を紡ぐ。
「料理もいっぱい覚えたから、舞と同じぐらい料理できるから、依兎みたいにくっつけるから、キスだって何回だって出来るから。桂馬は、私だけを見て。お願いだから、他の人のところに行かないで。私には、桂馬しかいないの。他に、誰もいないから」
いつかの時のように、ノノンは喋り方を変えた。
僕は泣き顔の彼女を見て、そして、強く抱きしめる。
「ノノン」
「……うん」
「他、なんて、言わないでおくれ」
愛くるしい彼女の頭を撫でながら、僕はノノンの頬に唇で触れる。
涙で濡れて少しだけしょっぱい感じがするキスに、僕は思わず
「誰がなんと言おうと、僕はノノンの側にいる。この言葉はまだまだ力を持たないし、ノノンの不安を吹き飛ばすような事は出来ないけど、それでも言わせてほしい」
「桂馬……」
「ノノン、愛してるよ」
「……うん、私も」
思えば、初めて伝えた気がする。
大好き、ではなく、愛してるという言葉。
とても心が温かくなって、なんだか気分が少し楽になってきた。
それはノノンも同じなのか、僕の膝の上に座ったまま、ニッコリと笑顔になるんだ。
「ねぇノノン」
「うん」
「僕さ、ノノンからも言って欲しいなって思うんだけど」
やっぱり、好きと愛してるは違うんだ。
同じ意味なんだけど、決定的に何かが違う。
何かが何かは分からない。
でも、彼女の口から言われたら、熱い何かを感じ取れるような気がするから。
「…………はずかしいから、ムリ」
なんだって。
赤面しながら髪をイジイジしてる姿も可愛いけど、僕だって結構頑張って言葉にしたのに。
……でも、言わせるものでもないしな。
いつかノノンから言ってくれる日を信じて、毎日一緒にいればいいか。
ふぅ、と一息ついて、頭を軽くぽりぽりと。
「今日はどうしよっか?」
「……ノノン、ね、サウナはいりたい」
「サウナ? どうしてまた急に」
「だって、けーまといっしょ、はいったこと、ないから」
言われてみればそうかも。
ノノンは暑いのが苦手で、すぐに出ちゃうんだ。
そうじゃなくとも最近は舞さんと依兎さんがいたから、女子だけでの入浴が多かった訳で。
「じゃあ、入ろうか」
「きゃったぁ! けーまとおふろ♪ ひっさしっぶりぃ♪」
また眼をつむって入らないとだな。
でも今回はサウナが一番の目的だし、少なくともバスタオル着用は必須だろ。
いろいろと準備をしていると、僕の側でノノンはニコニコと微笑むんだ。
ほんの数分前に泣いてたのがウソみたいに笑顔で、思わず眉が下がる。
本当に純粋なんだろうね、可愛いくらいに純粋で、愛くるしい性格をしているんだ。
「ノノン」
「うん!」
だから、僕はこの子のことを、全力で守らないといけない。
たとえ、どんな事があったとしても。
§
次話『愛してる、けーま』
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