第71話 大好きだよ、桂馬君。
8/18 土曜日 08:00
僕の住むマンションからは結構遠い、自転車がないと行けないくらいの距離だ。
昨晩連絡を受けて、二人はさっそく荷物の準備を開始していて。
とはいえ依兎さんは手ぶらだったし、舞さんも全ての荷物を荷ほどきしていた訳ではない。
もともとの性格もあったのだろうけど。
彼女たちの荷物はたったの一晩で、引っ越し可能な状態へと完成していたのである。
「明日引っ越しなのに、準備早いね」
「このままここに住むのでも、私は構わないんだけどね」
「ここ利便性高いもんなぁ、アタシもここでいいような気がするよ」
「ノノンも! ノノンも、まいと、よりと、ふたりいっしょでいいと、おもうよ!」
そういう訳にはいくまい。
当初こそ、依兎さんを観察官二人で、と言っていたが、既に彼女の牙は抜かれている。
自分の身体を売る理由も無くなったし、姉妹間の交流も復活しているんだ。
二人掛かりで観る必要性は、もはや皆無といえよう。
とはいえ、自殺未遂もあった訳だから、手放しにする訳にはいかない。
保護が始まった以上、最後まで一緒にいる。
それが、僕たち保護観察官の使命なのだから。
「それに、四人で過ごす今日を、有意義なものにしたかったからね」
「……ということは?」
「うん。四人で奥多摩、見に行ってもいいって」
ニコリほほ笑む舞さん。
さすがは保護観察課、選定者の為だと言えば何でも受理してくれる。
8/18 土曜日 11:00
ガタガタと揺れる車内、ノノンは喜んでるけど、僕は気が気じゃなかった。
ひょいと窓を見れば真横には崖、ガードレールすらないここは、落ちたら即死間違いなしだ。
「な、なんか、道なき道を進んでるね」
「自動運転って地崩れとかにも対応してるのかしら?」
「え、大丈夫でしょ? やだよ、車ごと崖下に落ちたら」
依兎さんも思わず崖下へと視線をやって、ひぃと小さく声を上げた。
「そういえば数年前のニュースで、自動運転の車が転落したとかあったけど。あれは確か、センサーの故障で白線を認知できなくて、崖下にそのまま落ちたとか……おっと」
タイヤが大き目な石を踏んづけたのか、車が大きく上下に揺れた。
途端、隣にいたノノンがウサギのように僕に飛びつく。
「けーま……ノノン、けーまといっしょなら、しんでもいいからね」
「泣かないの、死なないから大丈夫です」
「アタシも、桂馬となら死んでもいい」
「依兎さん、ノノンの真似しないで下さい」
両方の腕にぎゅぅっと抱き着かれて、正面に座る舞さんの僕を見る目が厳しい。
この自動運転の車、運転席完全排除で、座席が円形なんだよね。
だから、舞さんが正面から僕を見てる訳でして。
『観光するなら、こういう車の方がいいだろう? 通常のレンタルよりも高いんだが、依兎さんの件の報労と思って存分に楽しんできてくれ。ああ、お土産は結構だぞ? 水炊きの釜めしとか、名物のプリンが食べたいとか、
受話器の向こうで『食べたいですー!』って声が聞こえた以上、買わざるをえまい。
というかあの二人、僕たちを旅行に行かせるのってお土産目当てなんじゃないだろうな。
……まぁ、土曜日も二人で仕事してるんだろうから、しょうがないけど。
「けーま?」
「ああ、いや、なんでもない」
でも、目当てがあるというのは、旅行の醍醐味でもあるし。
釜めしか、僕たちもお昼に食べに行こうかな。
『目的地に到着しました』
自動運転の車が到着したのは、依兎さんが相続したという土地なのだけれども。
山の中腹に設けられたちょっとした砂利地に停まった車を降りるも、周囲には何もなく。
「……これ、どこが依兎さんの土地なんだろうね」
「あら、桂馬君、遺言状を聞いてなかったの? 住所も言ってたわよ?」
「ごめん、ちゃんと聞いてなかったかも。で、どこ?」
舞さん、依兎さんの手を取って山々が見渡せる位置へと移動する。
標高が結構高い位置なのか、雲が近いし景色がどこまでも遠くまで見える。
深呼吸するだけで気分が良くなりそうな場所で、舞さんは嬉しそうに両手を広げたんだ。
「ここ、見える場所全部だって!」
……は? 山が何個も見えるし、どこまでも遠くまで見えるんですが?
「え、凄くない? 見える場所全部って、あの山も?」
「うん……そういうこと、らしいよ」
青い髪を耳にかけながら、依兎さんは遠くを見たんだ。
形の良い耳があらわになって、なんだかとても色っぽく見える。
「凄いよね……この景色、ずっと残しておきたいな」
「きっと、依兎さんなら出来るよ」
「……うん」
何もない場所だったけど、何もないから大事なんだ。
氷芽家先祖代々の土地、お父さんである
簡単に手放す訳にはいかない。
何か大きなことに挑む選手のような目で、眼前の光景を見守る。
何を思い、何を感じているのか。
僕には分からないけど、依兎さんの心の中で何かが一つ成長したような、そんな感じがした。
8/18 土曜日 16:00
途中、お土産を買ったりしてから帰路についたものの。
僕たちの乗る車は逃げ場のない、高速道路での大渋滞に巻き込まれてしまっていた。
円形の窓は全面フルスモークになり、外から見えなくなっているものの。
長時間車内で映画やテレビを見ているだけなのは、どうしても飽きてきてしまうものだ。
結果、ノノンは依兎さんとくっつくように爆睡し、起きているのは僕と舞さんだけに。
「二人とも寝ちゃったね」
「依兎さんもノノンちゃんも、一昨日の疲れが抜けてないのかもね」
依兎さんはともかく、ノノンはついていっただけの気がするけど。
ルルカになった翌日はダウンしてたけど、一日経てば元気そのものだ。
「そういえば、私も桂馬君に伝えないといけない事があったんだった」
舞さんが僕に伝えないといけないこと?
なんだろう、保護観察官としての心構えとかかな。
舞さんは依兎さんと繋がっている鎖を伸ばすと、僕の右隣へと座る。
「……あのね、私、桂馬君みたいになりたい」
「僕みたいになりたいって、どういう……」
若干の間、両肩を落としたまま沈黙する舞さんは、いつもの舞さんとは違っていた。
長い髪のせいで表情が見えないけど、どこか落胆している雰囲気を感じる。
たっぷりな時間のあと、静かに彼女は語り始めるんだ。
「今回も前回も、私は何も出来なかった。依兎さんの隠された目的を暴いたのも桂馬君だし、彼女の窮地を救ったのも私じゃない……私はずっと側にいるだけで、何も出来なかった」
僕の右手を握り締めると、舞さんはそれを自身の胸へと持っていった。
肌触りのいい薄着のシャツの感触と、その奥にある下着の固い感触が伝わってくる。
「気づきが、私には足りないんだと思う。自分の中だけで物事を解決しようとするから、周りが見えていない。結果、私の声は誰にも届かなくて、相手をより怒らせたり、逆に言い負かされちゃったりして、状況の改善が出来ないままに終わってしまうの」
「でも、舞さんは頑張ってると思うよ?」
「頑張ってるだけじゃダメなのよ。特にこの観察官の仕事は、心のケアをしていかないといけないの。昨日のキッチンでの話……依兎さんは桂馬君には心を開いている、それこそ、身体を許してもいいと思うほどに。でも、私にはそうじゃないの」
聞こえてたのか。
「多分、このままでも依兎さんは更生するのだと思う。でもそれは私の功績じゃない、桂馬君とノノンちゃんの功績。私はただ寄り添っているだけ、この世界に来ても、私はずっと結果を出せていないのよ」
「……結果とか、そういうのが大事じゃないと思うけど」
素直な気持ちを伝えるも、舞さんは寂しそうな声で質問するんだ。
「……ねぇ、桂馬君、高校卒業の時に、どんな人が観察課に入れるんだと思う?」
「どんな人って、保護観察を終えた人は誰でも、なんじゃないの?」
「そんなに沢山の椅子が用意されている訳じゃない。せいぜい十人程度よ」
へぇ、そうだったんだ。
「選ばれる人は、高校のテストの結果とかよりも、保護観察にどれだけ真摯に挑めているかが評価されるの。桂馬君はノノンちゃん、諸星さん、依兎さんの心を救ってくれた。四宮君の件だってそう、貴方はすでに他の人よりも何歩も前を歩いているのよ。側で見てて分かる……こういう人が、保護観察課に配属されるんだなって。……私は、出来そうにない」
こういう時に、どういう声を掛ければ良かったのだろう。
安易な「頑張れ」という言葉は、きっとその意味を変えてしまう。
寄り添おうにも、舞さんから見た僕は既に結果を出した人間だ。
上から目線で何を……と言われて終わる。
だから、僕は沈黙を選択する。
握り締められた手はそのままに、何も言わずに肩の力を抜いたんだ。
「……急に、ごめんね」
数分が経過して、姿勢そのままに舞さんは謝った。
「いいよ。打ちのめされちゃう時って、あるよね」
「……うん」
「だからって、舞さんは依兎さんを見捨てたりしないでしょ?」
この時初めて、僕は彼女を見た。
泣き顔、だけど心が折れた訳じゃない。
「……当然でしょ」
「だったら大丈夫だよ。ある意味僕なんかよりも、舞さんは選定者に向き合ってる」
「
「いや、違うよ。舞さんは選定者から見たらお母さんみたいな存在なんだよ。いつだって安心して接することが出来る、無償の愛をくれる存在。だから依兎さんだって鎖を受け入れたし、四宮君だって甘えたんだ。僕には出来ないこと、それを舞さんはやってる」
心がねじ曲がった人間を直すには、宿り木が必要なんだ。
いつでもお帰りを言ってくれる存在、絶対的な味方。
舞さんからは、そんな雰囲気をずっと感じていた。
「だから、何も心配する必要ないって」
「……本当、桂馬君って……」
舞さんは深くうつむくと、握り締めたままの僕の手を、さらに胸の奥深くに当てる。
数秒した後、舞さんは席を立って僕に近づくと、ぎゅっと抱き着いてきたんだ。
「……ごめん」
「いいよ、平気」
「……ごめんね」
「うん」
彼女の背中をぽんぽんと、優しく叩く。
なにごとも全力投球みたいな感じの舞さんだけど、たまには力を抜いたほうがいい。
「桂馬君……」
「うん?」
「観察官同士で結婚する確率、知ってる?」
「……いや、知らない」
「七十パーセントなんだって。半分以上の人が結婚してるんだよ」
舞さんは少しだけ離れると、僕のおでこにキスをした。
そしてそのまま大きな胸に包まれるように、もう一度強く抱きしめられるんだ。
「私も……桂馬君と結婚したいって、ちょっと思っちゃうもん」
「……舞さん」
「でも、桂馬君にはノノンちゃんがいる。だから、これは独り言」
彼女の想いを受け止めることは、僕には出来ない。
「大好きだよ、桂馬君」
返事はしない。
それが、僕の答えだから。
§
次話『けーまは、ノノンだけをみて』
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