第70話 全額欲しいと言われても、もう遅い。

8/17 木曜日 12:00


 ホシさんの逮捕劇から翌日、マンション、シャトーグランメッセには、依兎よりとさんのお姉さんである月美つきみさんの姿があった。


 依兎の住んでるマンションを見てみたい! というメッセージを受けての今である。

 すでに問題は解決しているようなものだから、そのまま案内したものの。


「月美さんの株券の相場、調べたら結構な金額ですね」

「ね。株とかよく分からないから、私の分はそのまま塩漬けかな」


 私の分、というのは、月美さんはお母さんであるホシさんの保釈金を支払うと明言しているのだ。弁護士である柳井やないさんを頼り、ホシさんの保釈を依頼したと。柳井さんの心境は分からないけど、断ることもなくすんなり受理したと言うのだから、ある意味凄い人だ。


日出ひので姉さんのお金は使い道が決まってるし、依兎のは国が管理だから手出し出来ないからね。自由に動かせるし、別に私今お金に困ってないから。それに、お父さんの手紙の最後にあったでしょ? お母さんを許して欲しいって。それがお父さんの願いならば、叶えてあげるのが娘ってもんだと、私は思うんだ」


「というと、ホシさんは執行猶予になる、という事ですか?」


「柳井先生が言うには、そうだろうってさ。お母さんの当面の生活費にもなるし、それが尽きる頃には日出姉さんが医師になってるだろうからさ、そこでバトンタッチかな。お母さんが実家を手放しちゃえば、一番手っ取り早いんだけどね」


 大きかったもんな、依兎さんの実家。

 土地だけでも相当な値段いきそうだし、月美さんの言う通りだと思うけど。


「ま、それはたられば・・・・という訳で。はい五分休憩、次はインナーマッスルやるよー」

「はぁっ、はぁっ、こ、このストレッチ、きつくない!?」

「あはは、依兎ってばかなりの運動不足なんじゃない?」


 なんでもこのマンションのリビングは最高の場所らしく、運動するには最適らしい。

 到着するなり景色に見惚れて、そのまま女性陣を集めてストレッチを開始してしまったのだ。

 なかば強引に着替えさせられた皆の姿は、正直なところ目のやり場に困るものばかり。

 自然と僕は一人キッチンのテーブルへと逃げて、遠くから目の保養を嗜んでいる状態だ。


「貴女、結構スジがいいわね。何かしてたでしょ?」

「あ、分かります? 昔、バレエをやってたんですよ」

「あーなるほど、どうりで、身体柔らかいもんねぇ」

 

 まいさんはさすがの一言だ、柔軟性も高くて、余裕で月美さんについていけている。

 依兎さんは身体が固いのか、かなりきつそうな感じだ。

 そしてノノンはというと。


「あー! ノノン! しぬー!」

「死なないから、もっと体柔らかくして」

「ノノン! おっぱいやわらかいから! へいき!」

「そこだけじゃなくて、全身の柔軟性を持たないと」

「あーーーー! おまた、おまたさけちゃうーー!」


 さっきから悲鳴が聞こえてくる。 

 運動不足の極みみたいな存在だったもんな。 

 いっつも動画見てゴロゴロしてるだけだし。


「ねぇ桂馬けいま君、この子、全力でやっちゃっていい?」

「はい、お願いします」

「えーーーー! けーま! ノノン、しぬよ!」

「大丈夫だよ、死なないから」

「むりむりむり! あああああああぁ!」

  

 いろいろと大変な日々だったけど、嵐も過ぎ去ればなんとやらだな。

 日出さんは聡兎さとさんが残してくれたお金で人生やり直せそうだし。

 月美さんも次こそはって息巻いてるし。


 依兎さんも自分が愛されていたこと、自殺の原因ではなかったことを知り、また前を向くことが出来るようになった。保護観察官としては、それが何よりも一番喜ばしいことだと思う。依兎さんの更生が終わった訳じゃないけど、きっともう、彼女は振り返ることはないのだろうから。

 

「どうしたんだよ、アタシのことなんか見ちゃって」

「……いや、良かったなって思ってさ」

「なんだそれ。ああ、そうだ、そういえば」


 依兎さん、皆がストレッチに夢中になっているのを確認した後に、キッチンにいる僕の方に近づいて、ふわっと頬に唇を当ててきた。


「い?」

「本当は唇にしたいんだけど、それだとノノンが怒るだろ?」

「いや、え?」


 ルルカに殺される……あ、でも、誰もこっちを見てない。 

 慌てて僕がリビングの女性陣へと視線を向けたのを見て、依兎さんは「ふふっ」って笑うんだ。


「感謝の気持ち。これぐらいしか出来ないからさ。桂馬が最初なんだぜ? アタシを止めてくれて、全部に納得をつけさせてくれてさ」

「……どういたしまして」


 言いながら、依兎さんも隣の椅子へと腰かけると、置いてあった飲み物を手に取った。

 思えば、謝罪金の拒否から始まったんだよな。

 あの時はまだ、奥多摩の土地とかあって、見栄を優先させたホシさんだったけど。

 今となっちゃ全額欲しいってなってるんだろうな……もう遅いけど。


「なぁ、桂馬」

「ん?」

「今度、一緒に奥多摩に行かないか?」

「ああ、依兎さんの相続した土地?」

「うん。父さんが残してくれたんだ、どんな場所か見てみたくてさ」

「いいね、夏休み中に行こうか」


 まだ十日以上あるし、どこかのタイミングで行くのがいいかも。

 車の手配、お願いできるかな? 電車だとかなり遠そうだ。


 などと考えていると、依兎さんはずぃっと僕に近づいてきた。

 肩を重ね、髪の毛が触れるぐらいの距離で、僕の顔をマジマジと見る。

 いい匂いだし、とても澄んだ綺麗な目をしていて、思わず吸い込まれそうになる。


「……ありがとう。ずっと一緒にいてくれて、本当にありがとうな」

「なにさ、急に」

「もし、桂馬がノノン以外の女の子としたいって思うことがあったらさ」


 依兎さん、僕の股間に自身の膝を差し入れてきた。

 近かった距離がさらに近くなって、それは鼻頭が触れるほどに近くて。

 両手で僕の顔を柔らかく包み込むと、ささやくようにして依兎さんは語るんだ。


「(アタシが相手してあげるから……ノノンに内緒でね)」


 言うと、依兎さんは離れて、頬を染めながらもペロっと舌を出した。

 すごく、ドキドキした、いや、ダメだろ、このドキドキはダメなドキドキだ。


「自分の身体は、大事にした方がいいと思います」

「……大事にしようとした結果だよ、ばか」


 え? えと? 僕に抱かれるのが大事にされるって、意味が分からないのですが?

 戸惑いそのままに、依兎さんはもう一度僕の頬にキスをしたんだ。

 二度目はノノンに目撃され、それはそれは大変なことになってしまったのだけれども。



8/17 木曜日 21:00



「渡部さんからメッセージだ……あ、舞さん」

「えぇ、私のところにも来てたわよ」

「ついに、だね」

「そうね……ちょっと、寂しくなっちゃうかも」


 頬を赤らめながら苦笑する舞さんは、言葉通り寂しそうに見えた。

 お風呂上りの依兎さんも、スマホをのぞき込んで少しだけ顔を曇らせる。


「まぁ、決まってたことだからな」

「そうだけど、ね」


 皆の意味深な会話を受け、ノノンは一人不安そうに僕の腕を掴む。


「けーまぁ、まい、よりと、どこかいくの?」

「うん……舞さんと依兎さん、新居に引っ越すんだってさ」


§


次話『大好きだよ、桂馬君』

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