第69話 保険金は出ましたか?
「なによ……これ」
発言したのは、
「お父さん、お母さんが原因で自殺したの……?」
「自殺して保険金って……そんなの出る訳ないじゃない! お母さんそんなのも知らないの!?」
二人の姉が詰め寄るも、ホシさんは何も言わず。
ただ、自分宛の手紙を手にしたまま、微動だにしなかったんだ。
そして、数秒の沈黙のあと、手紙を丸めて投げ捨てる。
「法的束縛も根拠も何もない手紙なんでしょ!? いちいちこんな
無茶苦茶だった、こんなの暴君でしかない。
さすがの日出さんも、これには反抗の意を示した。
「な、なに言ってるの!? 私の手紙にお父さんから書いてあったの! このお金で休学している学費と、医師として安定するまでの生活費にしなさいって!」
「休学!? 貴女、退学したんじゃなかったの!?」
「……っ、してないよ。お父さんに言われて、休学にしてるだけ」
「なんでそんな、貴女の話、全部ウソばっかりじゃない! お父さんが仕事辞めちゃったから、お金無くなったから
それでも日出さんは腕を組むと、ホシさんから視線をそらした。
「お母さんに妊娠のことを伝えたら、無理やりにでも
話を聞いているだけで、
多分、とても優しい人で、子供思いで温かな人だったんだ。
それを思い出したのか、日出さんは語りながら涙を流し始める。
「なのに、私バカだから、医師になることを諦めきれなくて。休学にしたのも、お父さんが勧めてくれたから。お金の工面はお父さんが何とかするからって、そう言われて。なのに、お父さん死んじゃったから、私、依兎にもキツク当たっちゃって」
「何をそんな、甘いことを……女が医療の世界で生きていくのがどれだけ大変か、分かってないから言えるのよ! そもそも在学中に何をしているの! 恥を知りなさい、恥を!」
ホシさんは叫びながら、日出さんの頬を叩いた。
でも、日出さんの目は、それを契機に炎を宿したんだ。
「ストレスだったんだよ! 重木さんは私を癒してくれた! 彼がいなかったら私ここまで来れてない! 医師にもなりたかったし彼との子供も欲しかった! 葛藤してる私に道を示してくれたのはお父さんだったの! 何もせずに傲慢な態度をとっている貴女じゃない!」
「日出! 貴女、親に向かってなんて口を利くの!」
「うるさい!
家中に響き渡る大喧嘩だけど、とてもむなしい喧嘩だと、僕は思った。
親と娘で、ここまで喧嘩が出来る……でも、それを止める人は、もうこの世にはいない。
依兎さんはこの大喧嘩のなか、ホシさんが投げ捨てた手紙をそっと拾った。
くしゃくしゃになったそれを広げると、依兎さんは思わず笑ってしまったんだ。
「ぷっ……なにこれ」
「依兎! 返しなさい!」
それに気づいたホシさんが、手紙を奪い取らんとその手を伸ばす。
でも、依兎さんはそれを
「保険金は出ましたか? だってさ。お父さん、結構ひどいね」
日出さんや月美さんが言うには、自殺での保険金は法によって支払われないことが決まっているらしい。後で調べたら例外はあるみたいだけど、心神喪失状態とか、いろいろな束縛があるから、普通は無理なんだと知ることが出来た。
つまり、聡兎さんは心の底から娘を想い、そして、自分の妻であるホシさんを憎んでいたのだと思う。……いや、違うな、悲しんでいたんだ。自分を不要だと言い放ったホシさんに対して失望したのは、誰でもない、聡兎さんだったのだろうから。
「もう……みんな、やめよう? お父さんが可哀そうだよ……」
月美さんはそういうと、わんわんと声を出して泣き始めてしまった。
それにつられてか、日出さんも涙をぽろぽろとこぼし、依兎さんもすんと鼻を鳴らす。
「……では、私はこれにて」
そんな中、身なりを整えた
「あ、はい、ありがとうございました」
「いえいえ……まさか、一番の無関係者である君に言われるとはね」
うっ、図星だ。
今回、
「そうそう……保護観察官である君たちに伝えておくが、その手紙に書かれているであろう内容は全て事実だ。依兎さんへの遺産相続はいったん保留になり、全ては政府が管理する形になる。発生する固定資産税などもすべて国が肩代わりする事と決まっているから、安心して高校生活を過ごしてくれて構わないからね」
「……ありがとう、ございます」
「うむ。落ち着いたら、奥多摩の地を訪れるといい。あそこは良い場所だ」
シルクハットを片手に持つと、柳井さんは会釈をしながら玄関へと向かう。
もしかして、柳井さんと聡兎さんって旧知の仲なのかもしれない。
なんて、なんとなくそう思った。
「……あれ? パトカー?」
柳井さんを見送ろうと玄関から出ると、外に停まっていた車を見て驚く。
警察車両が数台、一体なんでここに?
僕たちを見ると、赤色灯を載せた普通車から、刑事と思わしき男性二人がおりてきた。
夏だというのにスーツ姿で、なんだか威圧感が凄い。
近づいてきた刑事さんに対して、柳井さんは頭を下げる。
「お疲れ様です、あとは宜しくお願いします」
お疲れ様です? どういう意味だろう。
挨拶を済ませると、その二人は家の中へと入っていってしまった。
いや、二人だけじゃない、何人もの人たちが氷芽家へと入っていったんだ。
「けーま……」
「うん、僕たちも行こう」
ノノンが不安そうに僕の手を握る。
家の中にはまだ舞さんも依兎さんもいるんだ。
何よりも、この騒動の結末を僕自身が知りたがっている。
靴が一気に増えた玄関を抜けて、客間へと向かうと、ホシさんの叫び声が聞こえてきた。
「なんなんですか貴方達は!」
「どうも、八王子署の
客間に入ろうとするも、危ないからと室内への入室は拒まれてしまった。
見れば、客間にいた人たち全員が廊下へと出されてしまっている。
「こんな大勢でいきなり人の家に……迷惑を考えないのですか!」
「申し訳ないが、そんな悠長なことを語る時間はないのでね」
「氷芽ホシさんですね? 貴女に対して自殺
た、逮捕状? まさか、あらかじめ柳井さんが手配していたというのか?
タイミングが良すぎる、そうとしか考えられない。
聡兎さんから相談を受けて……いや、でも、柳井さんは手紙の中身を把握していない。
関係性は真っ白なんだ、僕だけが二人が旧知の仲なんじゃないかって思っただけのこと。
だから遺言状の立会人にもなったし、法的力もある訳で。
「こんな、子供たちが見ている前で!」
「抵抗しないでください! 十一時十分、容疑者確保!」
「おやめなさい! 訴えますよ!」
どんな犯罪者も、手錠を掛けられると諦めの境地からか、脱力してしまうらしい。
けれど、ホシさんは連行される間ですら抵抗を続けていた。
それはつまり、彼女が罪の意識を持っていない証拠と言えるのだろう。
まさにモンスター、悪を悪と思わず執行する……それがどれだけ恐ろしいことか。
ホシさんが連行された後、外を見ると、垣根の向こうに柳井さんの姿があった。
僕が見ているのに気づくと、柳井さんは微笑みながら静かにその場を去る。
まさか、これは柳井さんによるホシさんへの復讐だったんじゃないのか? 友人である聡兎さんの無念を晴らすために、弁護士である柳井さんが裏で動いていたのだとしたら。
「……けーま?」
「あ、ああ、いや、なんでもない」
思わず、ゾクリとしてしまった。
人は笑顔で人を殺せるんだということを、初めて知ったよ。
§
次話『全額欲しいと言われても、もう遅い。』
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