第68話 お父さんの遺言状。

8/16 水曜日 10:00

 

 都内某所、氷芽こおりめ家、客間。


「遺言者、氷芽聡兎さとは、以下の通りに遺言する」


 夏の暑さが舞い戻ってきたお盆最終日の今日。

 弁護士である柳井やないさん主導のもと、聡兎さんの遺言が執行されることとなった。

 

「遺言者は、遺言者の有する次の財産を、遺言者の妻、氷芽ホシに相続させる」


 まずは実家であるこの家の相続についてが明かされ、当然のごとく奥様であるホシさんがこの家と土地、すべてを相続するという内容が記載されてあった。とはいえ氷芽家のこの家は相当に広く、坪数とか分からないけど、たぶん土地だけで数千万は下らない物件なんだと思う。


 しかし上物、家自体は古民家と呼ばれるほどに古く、畳一枚にしても年数を感じる代物だ。

 リノベーションが必要だろうけど、やるとしたらそれこそ数千万はしそうな気がする。


「長女、氷芽日出ひのでに、以下の遺言者名義の預貯金を取得させる」


 退職したとしても、聡兎さんは元商社勤めだったんだ。

 日出さんへ残された金額は二千万、たぶん、大学の学費なんだと思う。

 すでに退学してしまったのか、今もまだ休学なのかは分からないけど。

 額面を聞いて日出さんはうつむき、ハンカチを目頭に押し当てた。


「次女、氷芽月美つきみには以下の財産を取得させる」


 月美さんに残された遺産は、スポーツ関連会社の株券だった。

 父親として出来ることを、聡兎さんは陰ながらにしていたのだろう。

 月美さんが活躍できるように、スポーツ振興の意味も込めて、その株を有する。

 額面的に幾らなのかは不明だけど、多分、そういうのは関係ない。

 だって、月美さんはそれを耳にし、号泣し始めてしまったのだから。


「三女、氷芽依兎よりとには以下の財産を取得させる」


 依兎さんの番になり、僕たちは自分のことのように息をのむ。

 土地、預貯金、株券と、目ぼしいものは全て譲渡された感じがするけど。


「東京都奥多摩に所有する土地、全てを相続させる」


 柳井さんの発言の後、皆が水を打ったように静まり返った。

 そして次の瞬間、ホシさんが悲鳴のような声を上げる。


「ちょ、ちょっと待ってください! その土地は氷芽家先祖代々のゆかりの地であり、この家の最大の財産といっても過言ではありません! その土地すべてを依兎に!? ありえません! その遺言状間違ってるんじゃないんですか!?」

「最初にお伝えした通り、この遺言状は公正証書遺言と呼ばれるものになります。国が、法に則って効力を認めた遺言状です。期限もございません、この遺言状に書かれた内容は故人の遺志です。……それと、この遺言状はまだ終わりではありません」

「ま、まだ終わりではない?」

「はい、次の内容は、奥様であらせられる、氷芽ホシ様へとなります」


 なんだ、まだあるんじゃない。

 日出さんがホシさんをなだめながら、いったんは席に戻ったものの。


「氷芽ホシ様へ」

「……はい」

「すべては、貴女の希望通りになりました」


 内容に、一同疑問符を浮かべる。

 たまらず月美さんが挙手をした。


「あ、あの、それだけですか?」

「はい、以上になります」

「え、いや、意味が分からないのですが」


 その場にいる全員が同じ思いだったのだろう。……ホシさんを除いて。


「お母さん……?」


 ホシさんは一人うつむき、両こぶしを握り締めてわなわなと震え始める。

 歯を食いしばりながらゆっくりと上がった顔を見て、思わず息を飲んだ。

 鬼の形相とは、きっと今のホシさんの事をいうのだろう。

 

「遺言状には、間違いなくそう残されているのですか」

「はい」

「そう……ですか」


 納得できない、けれども遺言状に残された内容がそれならば、従うしかない。

 目でそう語るホシさんは、無言のままに立ち上がると、依兎さんの前に立った。


「依兎」

「……なに」

「貴女、相続を辞退しなさい」


 ごくごく自然に、それが当然の権利であるかのように、ホシさんは言い放つ。


「あの土地を相続すること、貴女には荷が重すぎます。私がすべて相続しますから、貴女は辞退し、保護観察課の人達と一緒に高校生活を謳歌しなさい。それでいいですよね?」


 依兎さんが黙っていると、日出さんもホシさんに加勢すべく声を上げた。


「依兎、私もそうしておいた方がいいと思う。そもそも貴女は未成年なんだし、土地の譲渡とか、手続きとかも分からないでしょ? 遺言状の内容を聞いて分かったと思うけど、お母さんに残されたのがこの家だけじゃ生きていけないよ? お母さんのためにも、ここは辞退した方がいいって……ね? 依兎」


 これまでで一番優しい言い方だった。

 日出さんが手を差し出して、依兎さんの頭をなでようとする。


「……やめて」


 その手を、依兎さんは払いのけた。


「お父さんがアタシに残してくれた土地なんでしょ? アタシは全部貰うよ」

「依兎! お母さんを助けたいと思わないの!?」

「なに? その権利があるんでしょ? だったらそのまま貰うに決まってんじゃん。誰がお母さんなんかの為に――――」


 ごほん! と、姉妹喧嘩が始まりそうになったところで、柳井さんが咳ばらいをした。

 そして鞄から茶封筒を四通取り出すと、畳の上に並べる。

 

「実は、これは遺言状とは別にお預かりした、聡兎様からご遺族へのお手紙になります」

「手紙?」

「はい、検認もされておりませんし、我々も中身を把握しておりません。ですので、ここに書かれている内容は法的束縛力も何もない、単なる手紙という形になりますが。今のご家族を見るに必要な物ではないかと思われます。ぜひともご一読を」


 各々の宛名が書かれた封筒。

 その宛名を見ただけで月美さんが「お父さんの字だ」と口にする。

 達筆だ、書道の段位を持っているレベルだと思う。


 日出さんと月美さんが受け取るなり開封し、ものの数秒で口に手を当てて、瞳に涙をためた。 

 二人の姉を見て、確信する。間違いなくお父さんである、氷芽聡兎からの手紙であると。


「依兎さん」

「……うん。ごめん、一緒に読んでもらってもいい?」

「むしろ、僕たちが読んでしまってもいいんですか?」

「桂馬君たちが一緒の方が、心強いから」


 じゃあ、開けるね。

 言葉とともに手紙の封を切ると、そこには二枚の便箋が封入されていて。

 宛名と同じ、とても綺麗な字で、依兎さんへの想いがつづられていた。


§


『愛する依兎へ。元気にしていますか? 幼い頃は病弱だった依兎が大きく育ってくれたこと、心から嬉しく思います。本当なら嫌な思いひとつさせずに、蝶のように花のように可愛がりながら、宝物のように育てたかった。習い事がたくさんで、辛かったよね。護ってやれなくて、本当にごめんなさい。依兎が母親に反抗して、家出を繰り返すようになってからというもの、私たちの接点はとても少なくなってしまった。もっと依兎に接して生きるべきだったと、今でも後悔している。保護観察に入ると聞いた時は、自分が逮捕された時よりも辛かった。もう二度と依兎と会えないのではないか、そう思えてしまったんだ。けれど、保護観察に入ったことによって、依兎は母親から逃げることが出来た。これからは国が、法が依兎を守ってくれる。それはダメな父親よりもとても堅牢で、強固なものだ。今後の人生で悩むこともあるかもしれないけど、観察官と共に、二人三脚で新たな人生を歩んでいければ、それはとても素晴らしい事だと、私は信じているよ』


§


 お父さんの手紙を読む途中、依兎さんは涙が止まらなくなってしまっていた。

 舞さんからハンドタオルを受け取るも、それでも止まらない。


「依兎さん、大丈夫?」

「うんっ……二枚目、お願い」


 二枚目の内容は、依兎さんへと残した遺産についての説明だった。

 それと……父親である氷芽聡兎さんが、自殺した理由が残されていたんだ。


§


『依兎に残せるものは、奥多摩の先祖代々から伝わる土地だけなことも、併せて謝罪させて欲しい。あの土地だけは妻には奪われたくなかった。私が失職したのと同時に、妻は守銭奴へと変わってしまった。もともと良家の娘さんだったこともあるのだろう、生活レベルを落とせず、これまでと変わらぬ生活をし続けている。このままではいずれ、氷芽家の全財産は、妻によって蝕まれ、消え去ってしまうのだろう。依兎を隠れ蓑にするようにして済まないと、重ねて謝罪する。依兎はまだ未成年だが、保護選定に入ったことにより、依兎の財産は全て政府の管理下に置かれることと定められている。あの土地は少なくとも依兎が卒業するまでの三年間は、国によって保護されることとなるのだ。もし、お金に困ることがあれば、依兎が高校を卒業する時に、全てお金に換えてしまっても構わない。妻の散財に消費されるよりは、ずっと活きたお金の使い方だ。まさに、私の秘密兵器なんだなと、この手紙をしたためながら、昔を思い出してしまった。最後に、なぜ、私が自殺を選択したのか、依兎に教えようと思う。この文末は、日出、月美、姉妹すべてに同じ文章を載せた。私はね、妻に言われて、この命を絶つことを決めたんだ。生命保険に入っているから、自殺して保険金を寄こせと言われてね。賢い三人なら、自殺では保険金が出ないことを知っていると思う。でも、妻がそう言うのなら、私が必要ないというのであれば、実現したいと思う。きっとそれが、私の最後の役目なんだと、そう確信しているから。


 こんな手紙が最後になること、誠に申し訳ないと思う。

 愛しているよ、依兎。

 もし、依兎が良ければ、妻を、お母さんを許してあげて欲しい。


 氷芽聡兎』


§


次話『保険金は出ましたか?』

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