第66話 お父さん 氷芽依兎視点

――お父さん、アタシ、ピアノの発表会上手に出来たよ!

――ああ、凄いな依兎よりとは。

――えへへ……アタシね、お父さんに褒めて貰うの、大好きなんだ。

――うん、お父さんも、依兎が凄くて嬉しいよ。

――でもね、お母さんがもっともっとって言うんだ。アタシだって頑張ってるのに。

――お姉ちゃんたちが頑張ってるからね。でも、お父さんは別にそうは思わないよ?

――そうなの?

――ああ、だって依兎は、最後に生まれてくれた一番の秘密兵器だからね。

――秘密兵器?

――そう、だから、依兎はゆっくり育ってくれれば、お父さんはそれで嬉しいんだ。

――アタシも、お父さんに褒めてもらうのが一番好き!

――依兎、ありがとう……愛してるよ。


§


8/15 火曜日 


「……おとう、さん……」


 頬を伝う、熱い涙で目を覚ます。

 幼い頃、ピアノの発表会の後に、私とお父さんは二人きりで話をしてたんだ。

 お母さんはピアノの先生の所に挨拶に行くから、ちょっとだけだったけど。


「お父さん……」


 優しかった、褒めてくれて嬉しかった。

 あまりお家にいないお父さんだったけど、二人きりの時は優しかったんだ。

 お母さんが怖くて逃げちゃう私を、お父さんは何度も庇ってくれたのに。

 

 あの日、私が救急車で運ばれた時だって、お父さんの顏は優しかった。

 なんで自分を大切にしないんだって、そう言いながらお父さんは私を叩いたんだ。

 それまでお父さんに叩かれたことは一度もない、お母さんには何度も叩かれたけど。

 

 そんなお父さんを、私は困らせてしまった。

 せめてもの贖罪、結局、私は自分を大切にしない、ダメな娘だったけど。

 お父さんなら、きっと理解してくれるって、信じてたんだ。


 でも……もう、お父さんはいない。

 そう考えただけで、涙があふれる。


「……んっ」


 止まらない涙を拭おうとした時に、自分の腕に腕輪が着いている事に気付いた。

 ノノンちゃんの腕に着いているのと同じ腕輪。

 鎖を手繰ると、その先には椅子で眠るまいさんの姿があった。  

 

「舞……さん?」


 ボサボサになった黒髪、制服のままで眠る彼女は、あの日の姿のまま。

 声を掛けると、彼女は目を覚まし。

 数秒間だけ茫然とした後、飛び込むようにして抱き着いてきたんだ。

 

「依兎さん!」

「わわ、ど、どうしたの」 

「依兎さん、生きてる!? 気分悪くない!? どこも痛くない!?」

「……どこも、大丈夫、だけど」

「本当!? ウソついてない!?」

「ついてない……」


 美人さんなのに、目にクマを作って、本当に台無しじゃんか。

 ……そっか、いろいろと思い出してきた。アタシ、死ねなかったんだ。

 一番の薬だったのに、ダメだったんだね。


「……ごめん」

「ごめんじゃない! もう二度とあんなことしないで!」

「…………うん」


 ぎゅぅぅっと締め付けるようにして抱き締められて、死んじゃうかもってぐらいだった。

 背中をタップしたらようやく離してくれたけど、ホント、ヤバかった。

 涙ぐむ舞さんに苦笑しつつも、周囲を見渡す。


「……ここ、病院?」

「ええ、そうよ。貴女が薬を飲んじゃったって黒崎くろさき君が叫んでね。吐き出させようと火野上ひのうえさんと一緒になって何とかしようとして、私は救急車手配して、他の人達もてんわやんわで……結局、その日の法事が中止になっちゃうくらいだったんだから」


 法事、中止になっちゃったんだ。 

 お父さんに悪いことしたな。


「……大変だったね」

「本当……でも、貴女が生きてて良かった」


 舞さんって、こんなに温かい笑みをする人だったんだな。

 どこか冷たくて、少し引いた所からものを見るような人かと思ってたのに。


「ねね、この鎖ってさ、ノノンちゃんのと同じ?」

「ええ、そうよ。今後可能な限り、私と繋がって頂きますからね」

「……え、マジ?」

「マジ。この鎖で繋がってる限り、二度とあんなことはさせないんだから」


 したくても、もうあの薬は持ってないんだけどな。

 作ろうと思って作れるものじゃないし。


「そもそも、なんであんな薬持ってたのよ」

「……昔、アタシがオーバーOドーズDしてたの、知ってるでしょ?」

「救急車で運ばれたって」

「うん。これまでのODって、市販薬を何百錠も飲まないとダメだったんだけど、アレって一錠でODキメられるヤバイ薬だったんだよね。闇流通してる薬でさ、アタシはその時に二錠だけ貰って、試しに一錠だけ飲んだんだ。で、救急車のお世話になったんだけど」


 飲み込んだ瞬間に視界が真っ白になって、バチンバチンって火花が飛び散ったんだ。


 目の前を誰かが描いた落書きみたいな妖精さんが飛んでて、遠くの空では星が回り、浮遊感が凄くて、自分が救急車で運ばれてる事すら理解出来なかった。後で聞いたら、全身痙攣して意識が完全に飛んじゃって、これはヤバイって思った仲間が通報したらしいけど。

 

「アレを次に飲んだら、絶対に死ぬって思ったの。でも、あの薬を持っているだけで、辛くなったらいつでも死ねるって、逆に安心するようになっちゃってさ。だから、お守りの中に一錠だけ忍ばせておいたんだ」

「……まったくもう、よく保護観察課の人に気付かれなかったわね」

「あの手の人達、選定者のお守りとか、心の拠り所にしてるのには手出ししないから」

 

 それだけ、辛い思いをしてきたのが、私達選定者なんだ。

 ちょっとでも何かあっただけで、ぽんと命を絶ち切れてしまう。

 それぐらいに希薄なものを繋ぐお守り、そういう認識なんだけど。


「お守り……なくなっちゃったな」

「そんな危険なお守り、もういらないでしょ」

「……それもそっか」


 さっきからチャラチャラ揺れてる鎖、これが今後は私のお守りになるんだろうね。


「他にも……はい、これ」

「あは、これ黒崎から貰ったゲーム機じゃん」

「桂馬君が見てるんだぞって思えると、気が楽にならない?」

「……どうだかねぇ」


 少なくとも、暇つぶしにはなるけど。

 アイツがくれたお守りか……。

 いざって時は頼りになるんだけど、それ以外は抜けてんだよな。


「……そういえば、あの二人は?」

「後始末に動いてるわよ」

「後始末? なんだそれ」

「お父さん……聡兎さとさんの遺書が見つかったらしいの」


 お父さんの遺書がある。

 それを聞いたアタシは、自分が寝てる場合じゃないって、ようやく気付いたんだ。

 

「アタシも行く」

「……身体は、大丈夫なのね?」

「ああ、問題ない」


 死のうと思ったけど死ねなかった。

 本当なら、泣き潰れて動けなくなる程なんだろうけど。


「舞さん」

「どうしたの?」

「……頼りにしてるよ」

「どうしたのよ、急に」

「別に、なんとなくさ」


 どうやら、アタシはまだ運がいいらしい。

 お父さんが残してくれたものが何なのか。

 まだ、知ることが出来るのだから。


§


次話『アタシとノノン、どっちかって言われたら、どっちを選ぶんだ?』

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