第65話 ルルカ、再び。
瞳に宿る炎が、彼女の怒りを表現している。
何がトリガーになって、彼女を顕現させてしまったのか。
「君が、ルルカ……?」
「外してくれ。じゃないと、
「……分かった」
ルルカに何が出来るのか分からない、でも、現状を変えてくれる、そう思ったんだ。
鎖を外すも、駆けたりはせず、ルルカはゆっくりと歩きながら依兎さんへと近づく。
「オッサン、どけよ」
「なんだお前は」
「どけって言ってんだよッ!」
男性の肩を掴むと、ルルカは片手でその人を放り投げた。
床を滑るようにし、椅子を数脚巻き込みながら壁へと激突する。
「な、なんだお前!」
「うるせぇ、アタシがどけって言ってんだからどけよ」
言葉と共に、大人の男性一人の肉体が宙を舞った。
四宮君が言っていた、ルルカは力が凄いんだって。
彼が恐怖するのも理解出来てしまう、これは、尋常じゃない。
「な、なんですか貴女は! 乱暴はやめなさい!」
「乱暴はやめなさいだ? お前らが依兎にしてるのも乱暴じゃねぇのかよ」
「これは、彼女が動かないから」
「
「だが、
「その依兎をここまで追い詰めたのがお前らなんじゃねぇのか?」
ルルカはその足で、母親であるホシさんへと近づく。
危険を察したのか、ホシさんを庇うように両手を広げ、
親子愛溢れる二人を見ながらも、ルルカは遠慮なく歩を進める。
「褒めて欲しかったって言ってんだろ? テメェは依兎を褒めた事があんのかよ」
「そんなの! 結果を出さなかったら無理に決まってるでしょ!?」
「……お前には聞いてねぇ」
叫ぶ日出さんを、ルルカは胸倉掴んで睨みつけながら言った。
日出さんはそれだけで何も喋れなくなり、へなへなと座り込む。
「黙って聞いてりゃあ何もかも依兎が悪いって言ってるが、少しぐらいはテメェたちの行動を見返した事とかあんのか? 黒崎が言ってただろうが、お前のスパルタ教育が怖くて最初に来ることが出来なかったってよぉ。そういう所は見て見ぬふりなのか? どうなんだよッ!」
ガンッ! って椅子を蹴り飛ばすと、その椅子は壁に激突しバラバラになった。
とてつもない暴力を前に、他の大人達は沈黙する。
そんな中、ホシさんはルルカの前に立った。
「貴女が何を言いたいのかは理解し兼ねますが、私達は少なくとも依兎に幾度となくチャンスを与え続けました。それを突然家出して、いなくなったかと思えば救急車で運ばれる。私達夫婦が依兎にどれだけ期待して、どれだけ裏切られたか、貴女こそ理解出来るんですか?」
「出来ないね」
「だったら、こんな暴力に訴える必要なんか」
「裏切られたって考える、お前の思考回路が理解出来ないって言ったんだよ」
「……なにを」
「子供のワガママを受け入れるのが親なんじゃねぇのか?」
ルルカの言葉で、ホシさんは止まる。
「救急車で運ばれる、その理由がアタシには分からねぇが、精一杯の意思表示だったんじゃねぇのか? 依兎がなんでそういう事をしたのか、ちゃんと聞いたのか? 少しでも許そうとしたのか? ただ一方的に、バカな真似をした依兎が悪いって
ダンッ! と床を踏み鳴らすと、ルルカはホシさんを掴み上げる。
「精一杯生きてんだよこっちは! それを頭から否定してんじゃねぇ!」
これはきっと、ノノンが、ルルカがそうであって欲しいと願う、親としての人間像だ。
彼女には最初から両親がいないから、他人とはいえ、親という存在は子供を守るべきだと。
そんな願望を、ルルカは言葉にしているんだ。
ほぼほぼゼロ距離で語る二人だったけど。
それでも、ホシさんは視線を逸らさずに、凛として語る。
「……だとしても、私達に非があったとしても、主人が自殺した理由は依兎にあります」
「それも、アタシには疑問なんだけどよ」
掴んでいた手を離すと、ルルカは周囲にいた親族を見やる。
「こんだけ身内って呼べる奴等がいるんだろ? なんで誰も助けなかったんだよ」
それまで依兎さんの周囲にいた大人達が、全員視線を逸らした。
日出さんが言っていた、氷芽家は医療で隆盛してきた一族だと。
彼女の父親は違ったみたいだけど、親族の中には医療関係者がいるのかもしれない。
無論、氷芽家を助けるだけの、資産を持った人も。
「見て見ぬフリして、叩くべき相手が判明したらとことん叩き続ける。なんだお前ら、学校でイジメやってる奴等と変わらねぇな。いい年した大人が何やってんだか。それで、依兎の父親が自殺した理由は一から十まで依兎にあるだ? なに言ってんだお前って話だろうに」
誰も何も言い返さない、無言であることが、ルルカの問の答えになってしまう。
この親族は、誰もが
無論、助ける義務はない。
親族とはいえ親戚なんだ、距離は遠い。
それでも、依兎さんを責めるには……といった所か。
「それと、そこの日出っていったか」
「……なによ」
ルルカは倒れ込んだままの日出さんへと近づくと、不良のように座りこんだ。
「お前の家に行った時によ、子供用品いっぱいあったよな? ベビーカーとか、ボールとか、他にも沢山……靴だけは隠してたみたいだけど、アタシの本体はしっかりと見てたんだよな」
「なにが言いたいのよ、ハッキリしなさいよ!」
「靴のサイズが十五センチだった。十五センチっていったら二歳だ。アタシも妊娠したかもってんで散々検査させられたからよ、そういうの知ってんだわ。アタシが何を言いたいか、分かるよな?」
「……」
「お前、在学中に妊娠したんだろ?」
在学中に妊娠?
ちょっと待て、確か、依兎さんと日出さんの年齢差は六歳だ。
依兎さんが逮捕されたのが中学二年の時、その時、日出さんは大学二年のはず。
現在の依兎さんが高校一年だから、時間経過は二年だ。
妊娠から出産まで十月十日。
二年しか経っていないのに、二歳になる赤ちゃんがいる?
「本当に父親が自殺した理由は依兎だけか? 日出さんよ、お前は依兎と再会した時からずっと怒ってたよな? 何もかもお前が悪いんだ、父親が自殺したのはお前のせいなんだって言ってたよな? それって必死になって責任転嫁してたに過ぎねぇんじゃねぇのか? 私は悪くない、そう叫んでただけなんじゃねぇのか?」
皆の視線が日出さんに集まる。
それに気づいた日出さんは、脅えるように周囲を見回すんだ。
「ち、ちがう、私は」
「お前の子供、アタシに紹介しろよ。今日来てるんだろ? 誰に預けたんだよ」
「違う、違う…………っ! な、なんなのよお前! 部外者が口出ししてんじゃないわよ!」
激情に駆られた日出さんが、ルルカの頬を叩こうとする。
ルルカ……いや、ノノンを護るのは、僕の役目だ。
叩かれる寸前に日出さんの手を握り締めて、二人の間に身体を入れる。
「部外者じゃありません、僕達は依兎さんの保護観察官です」
間一髪だった、近くに移動してて良かった。
「やるじゃん、黒崎」
「……当然だろ。それよりも日出さん」
握り締めた手に力を込めて、日出さんを睨みつける。
「この子が言ってた事は本当なんですか? 貴女には二歳になる子供がいて、それは在学中の出来事だったと。だとしたら、お父様である聡兎さんが自殺した理由というのは、依兎さんの事だけでは無いのではないですか? 親族の期待を一身に受けていたにも関わらず、子を成してしまった、貴女の責任だってあるんじゃないんですか!?」
詰め寄るも、日出さんは何も言わず。
無言、それがまたしても、質問に対する最大の解となってしまうのだろう。
「そういえば……」
それまで静かだった
「日出姉さん、お父さんと喧嘩してた時、あったよね……?」
「……っ」
「二年半前くらい、かな。高校の部活が終わって帰ってきたら物凄い大喧嘩で、結局日出姉さんも怒って部屋から出て行ってたけど。もしかして、あの時の喧嘩って、妊娠しちゃったから……なの?」
月美さんの質問に対して、日出さんは何も言わず。
爪が食い込むまでに握り締めた拳だけが、ぷるぷると震えていた。
「だったら、依兎だけじゃないじゃない、なんでそんな大事なこと……」
「……勝手に話を進めないでよね。証拠も何もないくせに……」
日出さんはまとめていた髪を解くと、顔を振って無理に整えた。
言葉にせずとも分かる、面倒くさい、そう表情が語っている。
「大体ね、アンタだってお父さんが自殺した理由の一つでもあるんだからね?」
「……そんなの、分かってるよ」
「ブレイクダンスでのオリンピック候補って言われたのに、どうでもいいSNSに反応して全部おじゃんにして。お父さんがどれだけ月美に期待してたか知ってる!? 依兎の件で疲労してるお父さんにトドメを刺したのは、誰でもない月美でしょ!? なに私は関係ないって顔してるのよ!」
長い髪を振り乱しながら、日出さんは月美さんへと突っかかっていった。
けれども、そんな日出さんに対して、月美さんは一歩も引かずに睨みつける。
「分かってるって言ってるでしょ! それでも私は依兎を護りたかったの! それに、私は次のオリンピックに出れるように、いろいろな大会に出場してるんだから! 知らない誰かと結婚して子供まで作って、未来を諦めた姉さんとは違う! 私はまだ全然諦めてないんだからね!」
「月美のくせに……いっつもそう! 貴女はお姉ちゃんに対して口を悪くする!」
「なによ! 大体いまはそんな話をしてる場合じゃないでしょう!?」
長女と次女が喧嘩をしているのを、寂し気な目で見つめているホシさんの姿があった。
何も語らず、ただそのままの姿勢で、動かずに、姉妹が喧嘩をしているのを眺める。
結局、父親の自殺の理由は、この家族全てにあったのだと、僕は思う。
結果だけを求めて、異常なまでに教育に執着した妻。
医大に入学するも、妊娠してしまい、休学を免れなくなってしまった長女。
三女を護る為に、自分の将来を一旦は捨ててしまった次女。
優秀な姉達と比べられ、非行に走ってしまった三女。
それまでのキャリアを失ってしまった自分。
どれほど悩み、どれほど最良の答えを探し出そうとしていたのか。
その結果が、自殺という形なのは、とても悲しいことだ。
「…………あはっ、あはは」
不意に聞こえてきた笑い声に、僕は振り返る。
「……なんだ、悪いの、私だけじゃなかったんだ」
誰もが、彼女から視線を逸らしてしまっていた。
依兎さんは遺影を抱き締めながら、僕達を見て不敵に笑う。
「…………良かった、お守り、持ってきてて」
一体、いつの間に手にしたのだろうか。
彼女の手に握られていた小さいカプセルを見て、僕は走る。
「……ずっと喧嘩してれば? ……バーカ」
「だ、ダメだ! 依兎さん、それって!」
勢いよく飲みこまれたそれは、彼女の口の中へと消えた。
――――っ
「依兎さん! 依兎さん!」
「……ありがとね、さいご、たのしかったよ……」
「吐き出させないと! 依兎さん、口を開くんだ! ――――依兎さん!」
§
次話『お父さん』
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