第64話 親子の縁を切ってしまいたい。

依兎よりと……なんで、貴女がここに」

「うそ……うそでしょ? お父さん、死んだの?」


 一歩、また一歩と近づく依兎さんに対して、母親であろうその女性は立ち上がると、依兎さんの頬を叩いた。


「……誰のせいで」

「……おかあ、さん」

「誰のせいで、お父さんが自殺したと思っているの」


 依兎さんはその場に力なく座り込むと、叩かれた頬に触れる。


「大体、なんで貴女がここにいるの? 誰が呼んだの?」

「私が来いって言ったの、家族全員に謝罪したいんだって言うからさ」


 母親の質問に、本堂にやってきた日出ひのでさんが答える。

 その場にうずくまる依兎さんには目もくれず、母親のそばへと行き、身体を支えた。


「日出……貴女、今日はお父さんの新盆でしょ? なんで依兎なんか連れてきたのよ」

「だからじゃない、今日ならお父さんも見てるんじゃないの?」


 日出さんはお父さんの遺影に近づくと、静かに両手を合わせてから遺影を手に取った。

 痩せ型で厳しそうな感じの人だ、この人が依兎さんのお父さんか。

 お父さんが映る遺影を依兎さんの目の前に持ってきて、日出さんはしゃがみ込む。


「ほら、謝りなさいよ」

「……そ、そんな、お父、さん、アタシ」

「謝罪しに来たんでしょ? 自分が馬鹿なことをしたせいで、お父さんを自殺させちゃってごめんなさいって、言いに来たんでしょ!? さっさと言いなさいよ!」


 大声で叫ぶ日出さんに対して、依兎さんは両手で頭を抱え込み、全身を震えさせた。


「葬式にも参列しなかった依兎が今更になって謝罪したいんでしょ!? 親戚みんなお父さんの自殺の理由を知ってるんだからね!? 誰か一人でも貴女を迎え入れた!? 誰一人として貴女を見て笑顔にならなかったでしょ!? なんで今になって謝罪したいとか言ってんだよ! バカなんでしょ! 本当にバカなんだね依兎は!」


 本堂に集まってきた親戚の人達や、法事関係者の人達が日出さんを必死になだめる。

 依兎さんは抱え込んだ手で頭に爪を立て、全身を揺らしながら嗚咽していた。


「日出、やめなさい。お父さんの前で叫ばないの」


 肩で息をする日出さんを最終的に抑えたのは、二人のお母さんだった。  


「おが、おがあさん」

「依兎、貴女はこの場にいる資格がないの」

「うぐっ、ふぐぅ……ひぐ、うぅ……」

「昔からそう、貴女は困ったことがあると泣いてばかり。……でも、謝罪したいって言うのなら、話しだけは聞いてあげる。まだ、時間はあるのよね?」


 日出さんが腕時計を見て、十五分くらいならと伝える。


「親戚の人達には、私は依兎と話をしてくるって伝えておいて」

「……うん、お母さん、大丈夫? 私、ついてようか?」

「ダメよ、貴女がいたら話し合いにならないでしょ?」

「……お母さん……」


 日出さんは母親とハグをすると、お父さんの遺影を戻したあと、本堂から姿を消した。

 その間もずっと、依兎さんは泣きながら頭を掻きむしる。

 

「貴方達、保護観察官、なんでしょ?」


 突然呼ばれて、慌てて姿勢を正した。


「え、あ、はい、すいません、自己紹介が遅れてしまいました。黒崎くろさき桂馬けいまと申します。こちらは同じく観察官の椎木しいらぎまい、僕の隣にいるのは火野上ひのうえノノンと申します」

「そう……私の方こそ、みっともない所を見せちゃったわね。依兎の母、氷芽ホシと申します」


 さっきまでの剣幕からは想像も出来ない程に優しい笑みだ。

 スパルタ教育をするような人には見えない……でも、依兎さんを見る目だけは全然違う。


「さ、行きましょうか……依兎、貴女もいつまで泣いているの」

「うぐっ……やだ、いぎだぐない」

「依兎、わがまま言わないの」

「……うぅぅ……」

「……そうね、じゃあ、ここでお話する?」


 大粒の涙を流しながら、うんうんと大きく縦に首を振った依兎さんを見て、母親であるホシさんはやれやれ・・・・と頬に手を置いた。テコでも動かないと判断したのだろう、結局、依兎さんを椅子に座らせて、その近くで話をする事に。


「この度は、心よりお悔やみ申し上げます」

「ご丁寧にありがとうございます。主人も……氷芽聡兎さとも、喜びます」


 近くにあった椅子にホシさんは座ると、僕達にも座るよう促した。

 座り慣れない背もたれのない椅子に座り、面接時のように背筋を伸ばす。


 想像の範疇になかった、ご両親との会話を経て、許しを得ようと思ったのに。

 まさか、その相手が自殺、しかも依兎さんが原因で亡くなっていただなんて。


「それで、今回どうして依兎がここに来ることになったのか、教えて頂けるかしら?」


 ここで語る内容によっては、保護観察課との争いも辞さない、そんな目をしている。

 素直に、全てを語るのが一番いい。


「発端は、依兎さんが振り込んだお金が返金されていた事から始まります」

「ああ、あのお金……」


「はい、あのお金は決して綺麗なお金ではありませんでした。ですが、依兎さんなりの精一杯の謝罪の現れだったのです。その全てが返金、または政府によって預かっているという事実を知り、依兎さんは落胆しました。その時、依兎さんはどうしたらお金を受け取ってくれるのか、そんな風に呟いていたんです」


「そう、本当にバカなのね」


「……そこで、僕は依兎さんにこう言いました。お金ではなく、直接顔を見て謝罪するのが一番だと。真っ先にご両親へと向かうべきだったのかもしれませんが、それを依兎さんは怖くて出来ないと僕に言いました。言葉は悪いかもしれませんが、依兎さんはご両親からの、スパルタとも受け取れる教育姿勢に恐怖していたからです」


「……」


「そこで、まず第一に、僕達は次女である月美さんの所へ謝罪しに行きました。月美さんは依兎さんの事を許し、僕達を日出さんと会わせて貰えるチャンスまで与えてくれたのです。それから四日後の山の日に、僕達は日出さんと顔を合わせました。謝罪がしたい、その事を伝えると、日出さんが今日の御盆に参加しなさいと、僕達に提案してくれたんです。まさか、お父様がお亡くなりになっていたとは存じ上げず、大切な法事の妨害とも取れる行為をしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」


 そこで頭を下げると、舞さんとノノンも一緒になって頭を下げてくれた。

 事実を有り体のままに伝えたけど……本番はここからなのだろう。


「黒崎観察官、と言ったかしらね」

「はい」

「ありがとう、全てに納得が出来ました。下らない理由だったら法務省に怒鳴り込んでいた所でしたが、どうやら原因は日出にあるみたいですね。こちらこそ、身内の揉め事に巻き込んでしまい、本当にごめんなさい」


 思わず胸をなでおろしそうになるけど、何も問題は解決していない。

 

「先の話にあったお金の件ですけど、返金なされた理由というのは……」

「……慰謝料という言葉の意味を、黒崎観察官は御存じかしら?」

「精神的苦痛に対する損害賠償、ですよね」


 今回の件で勉強した知識の一つだ。

 模範解答をそのまま伝えると、ホシさんは満足そうに微笑む。


「ええ、如何にも。慰謝料とは、受け取った瞬間に、相手の謝罪を認めた事になってしまうのです。私は、依兎を許すつもりはサラサラございません。親子の縁を切ってしまいたいと、心の底から思っています」


 親子の縁を切る、そんなことは法律上不可能だ。

 というか、本人が側にいるのにそんなこと口にするのかよ。


 依兎さんのすすり泣く声が響く本堂で、僕は質問を続けた。


「その……失礼な質問ですみません。お父様の自殺の理由が依兎さんにあるとの事ですが、遺書か何かを残されていたのでしょうか?」


 質問した途端、ホシさんの雰囲気が変わる。

 殺意にも似たような怒気が、ビリビリと伝わってきた。


「遺書は残されておりませんでした。勤めていた商社を懲戒免職され、それまでの伝手を頼ろうにも犯罪者を使う企業はどこにもありません。五十を超えた夫がどれほどの絶望を味わったのか。まだ子供の貴方だから許しますが、同じ質問を大人がしてきていたら、私は絶対にその人を許さないところでしたよ? 人が亡くなっているの。何でも聞けばいいという姿勢は改めて頂きたいですね」


 物凄い圧に気落ちしそうになる。

 すいませんと謝罪した所で、日出さんたち親族の方々が本堂へと足を運んできた。 


「お母さん、そろそろ時間だよ」

「あら……でも、大体お話は終わったようなものですものね」

「……そう、ですね」


 僕達が何を言ったって、お父様である聡兎さとさんが亡くなっているんだ。

 もう、この場で出来ることは何もないだろう。


「では、僕達はこれにて失礼いたしまします。ご対応頂き、誠にありがとうございました」

「ええ、こちらも。不出来な娘を任せることになってしまい、申し訳ございません」

「お母さん、依兎の件で頭下げる必要なんかないって」

「……そうだけど、ね」

 

 とても……いたたまれない気持ちで一杯になる。 

 この場にいる誰もが、依兎さんの味方をしていない。

 月美つきみさんですら何も言えずにいるんだ。


 血縁だろ? 実の母親に実の姉なんだろ? 

 肉親なのに、ここまで拒絶出来るものなのかよ。


 でも、父親が自殺している以上、何も語れない。

 一秒でもこの場を早く去るのが、依兎さんにとっても最良の選択だろう。


「依兎さん、行こう」

「……嫌だ」


 椅子に座り、ぼろぼろと涙を流しながら、遺影の方を見たまま動かずにいる。

 僕たちが肩に手を置くも、彼女はこちらを見ようともしない。


「依兎さん、貴女の気持ちは分かる。後でいっぱい話も聞くから、一緒に帰りましょう?」

「嫌だ……嫌だよ……」


 舞さんが声を掛けても、それは変わらず。

 許しを得たいと願っていた相手の死、しかもそれが自分が原因であったという事実。

 依兎さんを壊してしまうには、十分すぎる程の内容だ。


 僕達が声を掛けても動かない依兎さんを見て、ホシさんが彼女へと近づく。


「依兎、動きなさい」

「いやだ……いやだ」

「そうやってワガママばっかり……貴女まさか、このまま新盆に参列するつもりじゃないでしょうね? 貴女が原因でお父さんは自殺したのよ? 貴女はお父さんを殺した殺人犯なのよ? どんなに愚かな貴女だって、自分が参列できないって理解できるでしょうに」


 ホシさんはそういうと、周囲にいた大人達へと依兎さんを強引に立たせるよう促した。

 日出さんを始め、力のありそうな大人達が彼女を抱え込み、無理に連れ出そうとする。


「いやだ! 離せ! 離してよ!」

「依兎ちゃん、ここはダメなんだ」

「アタシだってお父さんの娘なの! 娘なのにお焼香も出来ないなんて、そんなのないよ!」

「貴女が原因で自殺したって、何回言ったら分かるの!」

「同じ娘なんじゃないの!? なんで私だけいっつも仲間外れにするの!」


 本堂には依兎さんの泣き叫ぶ声がこだまするも、彼女に味方をする人は誰もおらず。

 本来、一番味方でなくちゃいけない僕達ですら、身動きが出来ずにいたんだ。


「愛されたかった! 私だって、頑張ったんだって、褒めて欲しかっただけなのに!」

「依兎!」

「酷いよ、酷いよ! お父さん、お父さんにアタシ、褒めて……えぐっ! うぅぅ!」

「依兎、いい加減にしなさい!」


 渇いた音が本堂に響く。

 泣き叫ぶ依兎さんの頬を、ホシさんが思いっきり叩いた。


「なんで叩くの! なんで私ばっかり叩くんだよ! なんで、なんで! もうやだ! やだ! やだやだやだ! やだあああああああああああああああぁ!」


 それでも彼女は荒げる声を止めず、周囲が抑え込んでいても本堂に響き渡るほどに、想いを、これまで我慢し続けていた言葉を叫び続けていたんだ。


 依兎さんの周囲にいる大人が僕達を見る。

 お前たちも手伝え。

 その目に応えるべく、僕も喧噪へと足を踏み入れようとした、その時だ。


「黒崎」

 

 耳に覚えのある声で、覚えのない喋り方で僕を呼ぶ。

 僕は、その目を見て、今の彼女が誰だか理解したんだ。


「鎖、外してくれ」


§


次話『ルルカ、再び』

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