第61話 謝ったら何か変わるの?
8/11 金曜日 06:00
月曜日に
それが、
山の日でもある祝日を選んできた辺り、職場で会うつもりはないのだろう。
当然と言えば当然か、私用なんだ、普通は無理に決まってる。
「雨か……」
曇天の空から雨粒が沢山落ちてきて、窓ガラスに幾つも水滴となってくっつく。
最近の猛暑からは信じられない程の気温の低下により、半袖では厳しそうな感じだ。
異常気象、地球温暖化なんて規模が大きすぎて理解しづらいけど。
こうして目の前で冷夏を堪能すると、嫌でも身に染みてくる。
「おはよう、毎朝早いね」
「依兎さん……珍しいね」
普段、依兎さんが起きてくるのは七時くらいが
彼女はいつものシャツとショートパンツ姿で、腕組みしながらリビングの柱に寄りかかる。
「さすがに今日はね、怒られるの確定してるし」
「あはは……でも、一度言いたいことを言わせてあげないとね」
「受け皿がこんなに脆いのに? アタシで耐えられるかな」
「耐えられなかったら支えてあげるさ、僕も、舞さんもね」
「……ノノンちゃん、入れてあげなよ」
「ノノンは一緒になって壊れそうだから、無理かな」
「ははっ、言えてる」
顏洗ってくる、そう言うと、彼女はリビングから姿を消した。
不安な気持ちは月美さんの時よりは、若干和らいでいた様に見える。
なんていうか、一人でも身内に味方がいるって思えるのは、やっぱり強いのかも。
「おはやう……うー」
「ノノンおはよ……おっと」
鎖をチャラチャラさせながら、寝ぼけ眼のノノンが僕へとくっついてきた。
完全に僕に身体を預けるその抱き着き方は、油断するとそのまま床に押し倒されそうになる。
「けーま、さいきん、おきたらいない」
「……一応、声掛けはしてるよ?」
「ノノン、いっしょがいい。ずっといっしょがいいのー」
何となしに、一人の時間を求めてしまっていたのかも。
朝の僅かな時間と、夜の少しの時間。
きっとこれは、僕のワガママなのだろうな。
「あら、今日は私が最後なのね」
「
「ええ、おはよう。朝から仲がいいのね」
くっ付いているノノンと僕を見て、舞さんは腰に手を当てながら目を細める。
仲が良いのは良い事だ、是非とも、氷芽家もそうであって欲しと願う。
8/11 金曜日 11:00 雨
日出さんが指定してきた場所は、花宮の駅から電車で一時間半も離れた住宅街だった。
実家とも違う場所、多分、就職して一人暮らしを始めた場所なのだろう。
そう思うのも、身上書にはあくまで依兎さんに関する情報しか載っていないからだ。
身内であったとしてもプライバシー保護の観点から、必要以上の情報は載せないのだという。
「月美さんが送ってくれた住所って、間違いなくここのはずなんだけど」
「苗字が違うよ? ナビが間違ってるんじゃないの?」
氷芽ではなく、
小さいながらも一軒家であり、車もあり、自転車もある。
……ベビーカーも。
「もしかして日出さんって、結婚してる、とか?」
「……分からない。とりあえず、インターフォンを鳴らしてみようか」
雨の中、濡れたボタンをゆっくりと押し込む。
赤い光がチカチカと輝いて、しばらくして女の人の声が聞こえてきた。
『はい、重木ですけど』
「すいません、私、青少女保護観察官の
『……ああ、月美の。いま開けます、そのまま玄関までお入り下さい』
どうやら、この家で間違いなさそうだ。
声の主が日出さんだろうか? なんていうか、疲れた感じが伝わってくる。
自動で格子状の門扉が開くと、三歩ほどのアプローチを進み、玄関へと到着する。
外からも見えた庭は人工芝が敷き詰められており、小さなボールが転がっていた。
やはり、小さな子供がいるのだろうか? そんな疑問と共に、僕達は前へと進む。
庇の下に入り傘を畳んでいると、玄関が開き、中から青い髪の女性が顔をのぞかせた。
それに気づいた舞さんが慌てて踵を揃え、頭を下げる。
「初めまして、私、青少女保護観察官の椎木舞と申します」
「ご丁寧にありがとう。そちらが
メガネの奥にある青い瞳……青い髪と青い瞳は、氷芽家の遺伝なんだろうな。
髪の長さは三姉妹で一番長い、腰辺りまで伸ばしていて、舞さんのように波打っている。
家着なのだろう、着古した感じの半袖シャツに、ジャージといった出で立ちだ。
「はい、それと……」
「いいわ、中に入って頂戴」
依兎さんの方へは目もくれず、日出さんは屋内へと消えてしまった。
これぐらいは想定済み、そんな感じで依兎さんは頷くと、僕達と共に家の中へと踏み込む。
玄関周りに小物は置いておらず、余計なものが一切何もない。
大人の男性サイズの靴があるものの、子供用の靴は見られない……か。
フローリングの廊下を進むと「こっち」と、すぐ横にあったリビングへと案内された。
リビングは僕達の住むマンションと比べたら小さいけど、それなりに広い。
テレビの前にはローテーブルがあって、普段はそこで生活している様子だ。
「飲み物ぐらいは用意しないとね、一応、法務省の人達なんだし」
「大丈夫です……すいません、ありがとうございます」
「いえいえ、ウチの愚妹が迷惑を掛けているみたいですから」
愚妹か。
本来謙遜して使う言葉だけど、日出さんの場合、本気でそう思っていそうだ。
キッチンにあるダイニングテーブル。
椅子に各々腰掛けると、日出さんがお茶を注ぐ。
「……それで、謝罪したいって?」
月美さんとは違って、日出さんはどこかやつれた感じがする。
そんな顏のまま、彼女は僕達へと語り掛けた。
「はい、実は、依兎さんはお父さんが――」
「ちょっと待って」
舞さんが喋っていたのを、日出さんが制する。
「謝罪なんでしょ? 貴女の口から聞いたって意味ないでしょうに」
「……はい」
「本人に言わせなさいよ、その為に連れてきたんでしょ?」
刺々しい口調だ、万が一を考えて、僕は無音でノノンとの腕輪を解除した。
僕達が最優先すべきは依兎さんであり、守るべきは彼女だ。
いざとなったら逃げる、これでいい。
「日出、姉さん」
「……」
「ごめん、なさい」
「……何に?」
「何って、全部……」
「謝ったら何か変わるの?」
テーブル上にあるのはコップくらいか。
いつ飛んできてもいいように、動けるようにはしておく。
「依兎、貴女がしたこと、理解してる? 私がどれだけ努力して、何千時間勉強して医大に行ったと思っているの? 氷芽家は代々医学で隆盛してきた家系なの。お父さんとお母さんだって私にどれだけ期待していたか、ううん、両親だけじゃない、親戚一同がどれだけ私に期待してたか、分かってて言ってる?」
「……ごめんなさい」
「休学してお金を工面する努力もした、お金を借りてどうにか出来ないか考えもしたの。でも出来なかったの! お父さんが逮捕されて懲戒免職になっちゃったから! 退職金も出ない、給料も入らない、再就職も決まらない! どれだけ私達家族が大変だったか、本当に理解してる!?」
ヒートアップしていく感情と共に、声が荒々しくなっていく。
月美さんの言葉通りだ、日出さんは心の底から依兎さんを恨んでいる。
ごめんなさいを繰り返し、それでも怒りが収まる気配が無い。
さすがにこのままじゃ不味い、怒りの矛先を変えないと。
「日出さん」
「……何よ」
「今回、僕たちが来たのは、謝罪と、もう一つの理由からです」
「もう一つの理由?」
「はい、依兎さんはお父さんが逮捕された後、一人で家を出ました。その後、自らの身体を売り切りして結構な大金を稼ぎ、ご両親へと送金していました。しかし、そのお金が全て返金されてしまっていたのです。なぜ返金されたのか、その理由を知りたくて、僕達はこうして足を運んだに過ぎません」
無論、それはきっかけにしか過ぎない。
こうして顔を会わせる最大の理由であり、最高の成果は許しを得る事だ。
そうする事で、依兎さんは次へと進むことが出来る。
「……へぇ、依兎、そんな事してたんだ」
「はい、彼女は謝罪の意味を込めて、多額の現金を送金していました。慰謝料という言葉がございますが、その言葉は、国がお金をもって心を癒すことが出来ると定めた言葉になります。少しでも心の癒しになればと思い送金していたのですが、それが全額返金されてしまった。その理由を、依兎さんは知りたいんです」
一方的な攻めから、一旦は落ち着くことが出来た。
気付けば、いつかのように依兎さんが僕の小指を握っている。
心が落ち着くのであれば、それもまた良しだ。
「ねぇ依兎、家族全員に会いたいの?」
「……うん」
「じゃあ、明後日、八月十三日に
日出さんの許しは、どうやら得られそうにない。
そう判断した僕達は、依兎さんの手を取って重木家を後にした。
苗字が違う理由とか、子供の道具とか、いろいろと切り崩し方はあったかもしれないけど。
「……よりと、だいじょうぶ?」
「平気、アンタに心配されてちゃ、アタシもおしまいだね」
ノノンが心配してしまう程に落ち込んだ依兎さんを、このままにしておく訳にはいかない。
強がってはいるけど、依兎さんは僕の小指を、重木家が見えなくなるまで、ずっと離さなかったのだから。
§
次話『二人の距離は常にゼロセンチ。』
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