第60話 依兎……お姉ちゃんの顏、見れない?
『駅から徒歩五分! 毎日十五分のエクササイズでスリムな身体を実現させよう!』
駅改札口にはこんな広告が張り出されていた。
スポーツジム、バルクアップ。
駅前に店舗を構えている辺り、結構なチェーン店なのかもしれない。
インストラクターがいるジムなんて行った事ないから、ちょっとドキドキだ。
「現在キャンペーン実施中でーっす! 可愛い彼女を連れたお兄さんも、バルクアップ、いかがですか!」
さっそく、外でビラ配りしてるお姉さんに捕まってしまった。
「今なら初回入会キャンペーン実施中でして、登録料無料! 年会費五十%オフで、バルクアップの全設備がご利用頂けますよー!」
スポーツジムで働くだけあって、お姉さんのスタイルもこれまた抜群に良い。
贅肉がほとんどない引き締まった身体は、まさにナイスバルクなのだろう。
ナイスバルクの意味、よく分かんないけど。
ぐいぐい押され気味だった僕に代わり、
「あの、こちらで勤務している
「氷芽先生ですか? でしたら受付にご案内いたしますね!」
「ありがとうございます……
急に観察官呼びされて、ちょっとビビる。
うーん、さすがは舞さん、しっかりしている。
「けーま、どうした、の?」
「なんでもない。それじゃ行こうか……って、
歩こうとしたら、依兎さんが僕の右手の小指を掴んできた。
見れば、口の中で何かを噛みしめるような顔をしていて、前に進めないでいる。
「結構、厳しそう?」
コクコクと、二度頷く。
「無理そうだったら、僕達だけで話を聞いてくるけど?」
フルフルと、首を振った。
「アタシが行かなかったら、意味ないから」
「……さっきのノノンじゃないけど、無理する必要はないからね?」
「大丈夫だよ、アタシは全然、平気だから」
どう見ても平気そうには見えないんだよな。
何があってもいいように、依兎さんのことをちゃんと護ってあげないと。
「では、氷芽先生を呼んできますので、そちらの椅子に掛けてお待ちくださいね」
駅のコンコースからそのまま入れるスポーツジムの受付は、白で統一された綺麗な空間だった。汗臭い感じも全然しないし、観葉植物の緑が目にも優しく、流れる音楽もヒーリング効果高そうなクラシックが店内には流れている。
それなりに繁盛しているらしく、人の出入りは結構多い。
夏だからか刺激的なファッションをしている人が多く、皆が良いスタイルをしている。
ここのジムはダイエット目的ではなく、完成した人が更に上を目指す感じのなのかな。
途端、僕の小指を掴んでいた依兎さんの手に、力が籠る。
「お待たせしました、氷芽月美です」
胸に〝bulk up!〟と書かれた黄色いシャツに、下は黒のぴったりとフィットした、スポーツ用レギンスを着用した月美さん。依兎さんと同じ青い髪をしていて、サファイアのように輝く瞳も同じく青だ。動きやすさ重視だからか、依兎さんよりも短いショートヘアにしていて、額にはヘアバンドをしている。
「初めまして、青少女保護観察官の椎木舞と申します。こちらは同じく観察官の黒崎桂馬です」
「どうも」と頭を下げると、月美さんは笑顔で返してくれた。
「本日は御無理を言ってしまい、誠に申し訳ありません。少しだけ妹さんである依兎さんについて、お話が出来ればと思うのですが……」
月美さん、この場に来てからずっと依兎さんを見ている。
足を開いて腰に手を当てて、休めな感じではあるものの。
そして依兎さんは、そんな月美さんを見れないでいる。
「ええ、大丈夫です。今朝方、法務省から連絡が入り、大体のお話は伺っておりましたから。ここでは他のお客様にご迷惑を掛けてしまいますので、奥の会議室にご案内いたしますね」
僕の小指をぎゅっと握ったままの依兎さんを促して、僕達は月美さんの後に続く。
狭い通路を進み、何人かのインストラクターの人とすれ違ったけど、皆が「氷芽先生」と頭を下げていた。元々ジュニアオリンピックの選手だったんだっけ? 肩書は失ったとしても、実力は本物だという事なのだろう。
会議室と書かれた部屋へと入ると、僕達は案内されるままに席についた。
そして月美さんが敢えてだろう、依兎さんと相対するように座る。
長机で横一列に座り、依兎さんは一番端っこに座ったにも関わらずだ。
「あの……氷芽さん」
「うん、ちょっとだけ、家族の話を先にさせて貰えるかな」
むしろそれが大本命なのですが。
沈黙したまま、僕達は二人を見やる。
依兎さんは俯き、僕の小指を握り締めたままだ。
「依兎」
「……」
「お姉ちゃんの顏、見れない?」
ぎゅぅぅっと握られた小指に、更に力が籠る。
「依兎」
「……見れ、ない」
「……どうして?」
「怖くて、見れない」
「お姉ちゃん、依兎に怒ったこと、あった?」
俯いたまま、ふるふると首を振る。
「でも、お姉ちゃん、アタシのせいで全部、ダメになっちゃった、から」
「依兎のせい?」
「雑誌で読んだ……アタシが逮捕されたから。SNS荒らされて……お姉ちゃん、それに対して怒ってたって。お姉ちゃん、何も関係ないのに。全部、私が原因で、荒らされてたんだって。それで全部ダメに、なっちゃったって。だから……」
たどたどしくも、俯いたまま言葉を紡ぐ。
身上書に書いてあった通りの内容だ。
依兎さんに対するバッシングを受けて、月美さんは激怒、炎上してしまったと。
「……馬鹿ね」
「……?」
「ちゃんと記事読んだ? 私が怒ったのは、妹に対して酷いことを書かれたから、それに対して怒ったのよ? お姉ちゃんなんだから、妹を護るのは当然じゃない」
俯いていた顔を、僅かに持ち上げる。
「でも、アタシがちゃんとしてたら」
「それにね、誹謗中傷してたのって相手チームの選手だったり、身内だったりしたのよ」
「……身内?」
「家族じゃないわよ? 味方だったはずのチームメンバーよ。それで愛想尽かして、コッチから全部辞退してやったの。開示請求に時間が掛かってたから、依兎が家を出た後のことだったけどね。その証拠に、私のことを皆先生って呼んでくれるでしょ? 悪い事をした人のことを、誰も先生なんて呼ばない。このジムだってスッゴイ好待遇で雇ってくれたんだから。……だから、お姉ちゃんの件で依兎が責任を負う必要なんて、何もないんだよ」
月美さんは両手を前に出すと「おいで」と一言、声を掛けた。
それまで握っていた小指を離すと、依兎さんはお姉さんの方へと駆けて行く。
吸い込まれるように抱き締められた後、ごめんなさいを連呼するんだ。
そんな氷芽姉妹を見て、来て良かったと、僕と舞さんは無言で目を合わせる。
「……ごめんなさいね、こうなる事は分かってたんだけど」
わんわん泣いている依兎さんを抱き締めながら、月美さんは微笑むんだ。
「いえ、お姉さんとの仲が回復出来て何よりです」
「貴方達、保護観察官なんでしょ?」
「はい」
「最初はね、依兎が保護されて、選定者になったって連絡を受けた時は、どうやって取り戻そうかと必死に考えたくらいなの。でも、身内である私がどれだけお願いしても、居場所すら教えてくれなかった。それが悔しくてね……何とかならないかなって思ってたら、今朝の連絡だったから、思わず嬉しくなっちゃって」
渡りに船って感じだったのかな。
僕としても、丸く収まってくれるならそれが一番良い。
「青少女保護観察官制度なんて、女の子を子供を産む機械としか見てない、最悪の制度だって思ってたけど……案外、悪くないのかもしれないわね」
そう語る月美さんの目は、真っ直ぐに僕を見ていた。
厳密に言うと依兎さんの観察官は僕じゃないんだけど、訂正する必要はないだろう。
「次は、
氷芽日出、三姉妹の長女であり、医大を中途退学になってしまったお姉さんだ。
彼女の名前を出した途端、月美さんの表情は曇る。
「私はこんな感じだから別に気にしてないけど、日出姉さんは依兎のことを間違いなく恨んでると思う。それでも会いに行くつもり?」
「……会わずに終わるくらいなら、月美さんに会おうとも考えません」
二人の姉は通過点でしかないのだから。
僕達の最終目標は依兎さんのご両親と会い、お金の返金理由を聞くことにある。
外堀を少しでも埋める事が出来るのなら、それに越したことは無い。
「そう……分かった。じゃあ、私から連絡を取るから、詳細が決まったら連絡入れるわね」
差し出されたスマートフォンを重ねるだけで、連絡先の交換が完了する。
僕と舞さん、二人と連絡先を交換したあと、僕達はグループとして共有された。
「依兎のこと、守ってあげてね」
妹を想う姉の気持ちに、嘘はない。
依兎さんを護るのは、真の意味をもってしても、これからだったのだから。
§
次話『謝ったら何か変わるの?』
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