第59話 好きな人の過去を詮索するような、野暮な男じゃありません。

8/7 月曜日 11:00 


 渡部わたべさんからの報告を受けた僕達の姿は、花宮駅のホームにあった。


 数種の路線が入り混じるターミナル駅でもある花宮の駅は、平日のお昼であってもそれなりに人が多い。コンコースから改札を通り、エスカレーターにてホームへと降りる。それだけでもなんだか楽しいし、ノノンと二人でデートしてる気分になれる。


 思えば、ノノンと一緒に電車に乗るのは初めてのことだ。

 シャトーグランメッセに住んでいると、そこだけで生活の全てが完了してしまう。


「えへへ……なんか、わくわく、するね」


 ぎゅっと僕の手を握って、ノノンはやや興奮気味に語る。


 旅行の時も愛用していた長袖のシャツワンピースに袖を通し、中に半袖を一枚、下は白のパンツスタイルの裾をロールアウトした、足首だけ涼し気なスタイルだ。元気の良いノノンにピッタリの装いは、見ていて僕の心もウキウキさせてくれる。

 

「それにしても、二人が鎖で繋がっているようには見えないわね」

「新しい腕輪のお陰です。伸縮自在だから、手を繋いでいるようにしか見えないですよね」


 夏の暑さの中でも普通に装着していられるし、この腕輪をタッチするだけで改札も通れてしまう。多機能な上、傍から見たら揃いのブレスレットを着用した恋人にしか見えず、その観点からも渡部さんには感謝だ。


 それにしても。


 まいさん、黒基調の英字が書かれたシャツに白のショートパンツ、黒いブーツっていう簡素にまとまったスタイルなのに、なぜだかとても魅力的に見えてしまう。直射日光に弱いからとサングラスをかけ、波打つ髪を後ろにちょっとだけまとめたヘアスタイルも、大人コーデっぽくて良い。


「……なに?」

「いや、別に」


 思わず依兎さんから視線を逸らす。


 依兎よりとさんの方も、水色のサマーセーターに舞さんとお揃いのショートパンツスタイルで、とても可愛らしく見える。青い髪が涼し気で、ボブからポニーテールへとヘアスタイルを変えた事により、彼女の首筋があらわになって、そこもまたとても魅力的だ。


 とまぁ、そんな可愛いどころ三人と電車に乗るなんて、これまで一度も無かった訳で。

 電車の中で無駄に注目を浴びる僕は、一人下を向きながら何故か落ち込むのであった。


「……けーま」

「……ノノン?」


 俯いていると、ぎゅっと、僕の手を握る力が強くなった。

 見ると、ついさっきまで元気いっぱいだったはずの彼女の目には、なぜか涙が浮かぶ。


「どうしたの?」

「……ううん、なんでも、ない」


 なんでもなくは無いだろう。

 それなりに混んだ車内、ノノンの異変に気付いた舞さんは、彼女の身体を支えるよう、腰に手を添えた。


「一回降りましょうか」

「そうだね、人混みで体調を崩したのかも」


 そう提案する僕達に対して、ノノンは首を振った。


「だいじょうぶ。ノノンね、むかし、おもいだしただけ、だから」

「……昔?」

「うん……むかし、電車で、なぐられたの」


 ぐっと、息が詰まる感じがした。

 最近のノノンは生活範囲がとても狭かったんだ。

 それはつまり、過去との接点が無かった事を意味する。

 電車というキーワードに触れたことで、嫌な過去を思い出させてしまった。


「だいじょうぶ、だから。こういうの、なおさないと、ね」

「無理はしない方がいいよ、とりあえず一回降りよ」


 依兎さんもこう言ってくれて、僕達は一度電車を降りる選択をした。

 駅に到着するなり、ノノンは鎖を外してと僕にお願いし、トイレへと駆け込む。


「私も一緒に行くね」


 舞さんもノノンと一緒にトイレへと消え、駅のホームには僕と依兎さんだけが残った。


 心の傷は、そう簡単に癒えるものじゃない。

 荒療治はむしろ、傷口を深くえぐる可能性の方が高いんだ。

 

「……アタシ、あの子のことあんまり知らないんだけどさ」


 ホームのベンチに腰掛けると、依兎さんも隣に座る。


「多分、あの子の人格っていうか、精神っていうか……一回、破壊されてるよね」

「……」

「アタシよりも酷い人生があったんだなって思うと、ちょっと怖い」


 彼女は神妙な面持ちになりながら、神に祈るように両手を握りしめる。 

 僕は依兎さんの言葉には何も返さずに、ただただノノンが消えたトイレを見つめ続けた。


 十分もしたら二人は戻ってきて、ノノンはペコリと頭を下げる。

 ハンカチで口元を拭いている……戻しちゃったのかな。


「めいわく、かけちゃって、ごめんなさい」

「いいよ、大丈夫?」

「うん。……あの、けーま」

「うん?」

「電車のるとき、ぎゅーしてても、いい?」


 ノノンの提案に、僕は素直に頷いた。

 周囲を見ないように、僕の胸に顔を沈めるようにくっつく。

 彼女の吐息がふわっと温かくなったりして、ちょっとだけくすぐったかった。

 しばらくすると、すっかり顔色が良くなったノノンが僕を見上げて、にっこりと微笑む。 


「けーまのにおい、あんしんする」

「……良かった」


 人間、匂いの記憶が一番消えないものなんだと、ネットに書いてあった。

 人と機械が入り乱れた電車独特の匂いが、彼女の記憶を掘り起こす。

 ならば、僕が包み込んでしまえば、少しは和らいでくれるのだろうか。


「けーま」

「うん」

「……くふふ」


 さっきまで泣きそうな顔してたのに、もう笑顔になってる。

 そんなノノンを見て、舞さんも依兎さんも、ほっと胸をなでおろした。

 

 目的の駅に到着し、お化粧が気になるからと、ノノンは一人トイレへと向かった。

 誰か一緒に行った方がいいのかな? と思ったけど。

 舞さんも依兎さんも、ノノン一人で大丈夫だろうと、この場に残る。


「それにしても、桂馬君ってやっぱり凄いわね」

「……何がです?」

「普通だったら、ノノンちゃんに何があったのか、聞いてしまうものよ?」


 それはそうかもしれない。 

 電車の中で殴られた、なんて、普通は何があったのか気になる所だ。


「聞いた所で、何も変わらないですからね」

「……その通りなのよね。聞いた所で傷口を開いてしまうだけ、何も変わらないの」

「アンタは今のあの子しか見ていない。アタシの知ってる男に、そんな奴は一人もいなかったなぁ」


 腕組みした依兎さんに「やるじゃん」と肩を叩かれた。

 なんだろう、二人に褒められてる気がする。


「ノノンの過去に何があったって、それは僕と出会う前の話ですから。出会ってからいろいろとあったら、それは僕だって怒りますし、質問しまくると思いますよ?」

「うん、そうね、それが一番正しいと思う」

「ま、そんなこと、今のあの子を見てる限りじゃ、何もないだろうけどね」


 ごくごく自然な一般論を述べているだけだと思うけど、そんなにかな?

 舞さんも神妙な顔をしながら頷いているし、依兎さんも僕の脇腹をツンツンしてくる。

 褒められて悪い気はしないけど、褒められる為にノノンと一緒にいる訳じゃない。

 

「一緒にいたいから、一緒にいるだけですよ」

「……あら、お惚気?」

「お好きに受け取って下さい」


 それでも、僕はノノンと鎖で繋がっているのだから。

 トイレから戻ってきた赤毛の可愛いのを出迎えると、僕は差し出された腕に腕輪を嵌める。

 変形するそれがキッチリと僕達を繋ぐと、彼女は笑窪を作りながら微笑むんだ。

 

「おまたせ、しました」

「うん。可愛くなったね」

「……ありがと。けーまだけ、ノノンのこと褒めてくれる」

「僕は自分に正直なだけだよ?」

「……うん、うれしい」


 お化粧したてのはずなのに、僕にぎゅーっとくっついてしまって。

 そのことに気付いたのか、ノノンはサッと離れて、服についた化粧痕を指でさする。

 

「あ、ファンデ、くっついちゃった」

「あはは……大丈夫だよ」

「けーま、ノノンのって、かんじがする」

「マーキングか、そんな感じかもね」

「じゃあ、じゃあ、まいにちノノンのファンデ、ようふくにつけるね」


 それは勘弁して欲しいかも。

 笑いながら、四人で遊びにきた感覚で見知らぬ街を進み。


「ここか」


 目的地である、依兎さんのお姉さんが勤務するスポーツジム。

 バルクアップへと、到着するのであった。


§


次話『依兎……お姉ちゃんの顏、見れない?』

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