第58話 女三人、男一人の生活。

8/7 月曜日 06:00


 昨日は結局、あれからノノンの「けーま、うわき」が発動してしまい、何にも出来ない一日だった。新しい家具が届いて開封作業したかったのに、僕の腕にずーっとノノンがくっついちゃって、まともに作業にならなかったし。更には変な時間から起きちゃってたから、夕方ぐらいには眠くなってダウンしちゃったしで……本当、一日通していろいろと大変な日だったよ。


「……っ、はぁ、今日も晴天で、暑くなりそうだ」


 リビングのカーテンが自動で開き、朝日に燃える街並みを僕に見せつけた。

 ほぼ百八十度で街が見下ろせるガラス張りの前に立つと、何もせずとも気分が良くなる。 

 んーっと伸びをしながら、バカみたいに真っ青な空を見上げた。

 地上三十階の超高層であっても、空は上にあるんだ。……当たり前だけど。


 鎖を限界まで伸ばすと、部屋のベッドにノノンを残したままリビングに来れる。

 僕が起きると一瞬だけ彼女は目を覚ますんだけど、ちょっとしたら二度寝するんだ。

 寂しいパワー強すぎだろって思うけど、そんな所もノノンの魅力とも言えよう。


桂馬けいま君、おはよう」


 眼下に広がる花宮はなみやの街を見下ろしながらラジオ体操もどきをしていると、まいさんがリビングにやってきた。


「おはよう、昨日は手伝わせちゃって悪かったね」

「ううん、ノノンちゃんが浮気! 寂しい! を連呼してたからね、しょうがないよ」


 くすくす笑いながら、舞さんはキッチンへと向かう。


「あ、朝食なら僕が作るよ?」

「大丈夫、簡単でいいでしょ?」

「じゃあ、甘えちゃおうかな」

「いろいろ勉強させて貰ってますから、料理ぐらいはね」


 僕から学ぶものなんて何もないだろうに。

 むしろ僕が舞さんの料理を学ばないといけないレベルだと思う。

 彼女の言う〝簡単〟は、得てして簡単でない事が多いんだ。


「それにしても、昨日の内に全部の業者さんが来てくれて助かったよね」


 氷芽こおりめさんが破壊したものは、昨日の夜には全て元通りになった。  

 まだ開封してない小物類はあるものの、ソファとテレビが復活したのは本当に助かる。


「多分、こういうのも想定の内、なんでしょうね」

「そうだろうね……さてと、朝食が出来上がる前に、洗濯物でも畳もうかな」


 鎖を揺らしながらリビングから廊下へと行き、洗濯機のある脱衣所へと向かう。

 〝その日の洗濯物はその日の内に〟が僕のモットーなんだけど。

 さすがに住まう人数が四人になってしまっては、それも難しい。

 核家族よりも多い四人という数字、一姫二太郎は、やっぱり家事の負担も倍増だ。

 

「……え」


 脱衣所へと向かうと、そこには氷芽さんの姿があった。

 昨日のように裸ではなく、下着を着用しているし上には半袖のシャツも着ているんだけど。


「やだ、見ないでよ」

「あ、ああ、ごめん」


 下はショーツだけであり、彼女は着ていたシャツをぐっと伸ばして下着を見えなくした。

 赤らんだ頬が青い髪と合わさって、なんだか昨日よりも可愛く見えてしまう。


 慌てて脱衣所の扉を閉める。

 ヤバイな、今の氷芽さんに誘われたら数倍の破壊力になってそうだ。

 ……耐えられるかな。


 ややもすると脱衣所から出て来て、氷芽さんは気まずそうにその場に立った。

 下にノノンが愛用しているのと同じ、グレーのパンツを穿き、下着は見えていない。

 見えていないんだけど、太ももが鼠径部近くまで見える。

 丸見えよりもこういう、チラッと見える方が個人的に視線を持ってかれるんだよね。


「……いろいろと、迷惑かけて、ごめん」

「ああ、うん、大丈夫」


 一日で心変わりしてくれたのは、コチラとしても助かる。

 毎日裸で生活されてたら、どこかのタイミングで爆発してしまいそうだっだし。


「……えっと」


 青い髪の毛を指でクルクルさせながら、泳いでいた瞳を僕へと向ける。

 気まずそうにしながらも微笑んで、でもやっぱり視線を逸らすんだ。 


「……洗濯物、手伝う?」

「あ、ああ、うん、助かる」

「一回、リビングに持って行こっか、枚数多いし、ね」


 他人行儀過ぎる会話が、無駄に言葉を片言にしてしまう。

 昨日までと別人、違いすぎる彼女の素振りに緊張してしまうのだが。


 そして、リビングに広がる女性ものの下着の数々。


 うん、こうなる事は何となく予想出来てた。

 男一人に女三人なんだ、必然的にその差は生まれてしまう。


「えひっ」


 そしてキッチンから聞こえてくる謎の悲鳴。

 ノノンと氷芽さんの下着は支給品だ、素材から形まで統一されている。


 対して、一枚だけ別素材の下着が存在しているのだ。

 フリルに彩られたピンクのリボンが可愛いショーツは、明らかに他と違う。


「見ちゃダメ!」

「はい!」

 

 舞さんの指示により、ノノンとお風呂に入る時のようにギュッと目をつむる。

 

「いいって言うまで動かないで!」

「はい!」


 日和ひよりさんの下着を洗った時のことを思い出すなぁ……。

 同居生活をしていく以上、ノノンと二人暮らしをしていた時のようにはいかないんだ。

 目をつむったままその場できをつけ・・・・をしていると、廊下の方からも走る音が聞こえてくる。

 

「マイ、はしってる! ノノンも、はしる!」


 どうやら、ノノンも起きてきたらしい。

 ばたばたばたと走る音が近くまで来て、お日様の香りと共に僕は抱き締められたんだ。


「けーま! つっかまえたー! ひとがいっぱい、あさからたのしいね!」


 閉じていた瞼を開くと、そこには寝ぐせでアホ毛みたいになってる可愛いのがいた。

 ノノンが楽しいと思ってくれるのなら、それが一番だと、僕は思う。


 洗濯物は各自、自分の部屋で畳むことになった。

 とはいえ、ノノンが洗濯物を畳むことはしないので、そこだけはいつも通り。


「……こほん。では、ご飯にしましょうか」


 舞さんが用意してくれた朝食は、冷たいコーンポタージュに、フランスパンの上にアボカドとトマトをカットし、その上にオリーブオイルを掛けた一品。さらにはヨーグルトとポーチドエッグという、やっぱり簡単ではない品々であった。


「凄い、ホテルの朝食みたいだ」

「これぐらい大したことないわよ」

「いやいや、十分凄いから」


 どこに収納してあったのか、意匠をこらしたテーブルクロスも敷かれていて。

 お上品にまとまった朝食を前に、僕達は感嘆の息を漏らす。 

 

 やいのやいのと席に座ろうとすると、氷芽さんだけは立ちすくんでいた。

 和やかな雰囲気に自分が混ざっていいものか、遠慮しているように伺える。

 

 遠慮なんていらないのに。

 苦笑しながら、舞さんが氷芽さんの手を取った。


「氷芽さんも、席について」

「……」

「食卓を囲むって、人間関係を良くするのに一番いんですって。同じ釜の飯を食うって昔から良く言うでしょ? 昨日のことは昨日のこと、今日はまた新しい第一歩の日なんだから、ね」

「……うん」


 いろいろとしてしまった手前、気まずい所はあるのだろうけど。

 人間は、忘れることで生きていける生き物だ。

 過去は過去、いつかは頭の中からも消える。

 

「……美味しい」

「本当? 氷芽さんのお口にあったみたいで良かった。そうだ、全員名前で呼び合っているのに、一人だけ名字ってなんだか余所余所よそよそしいわよね。氷芽さんも下の名前で呼びましょうか」

「下の名前って、そんな……」


 氷芽さんは照れながらも、否定はしない。

 依兎よりと、だっけか。


 スマートフォンにて【依】という字を調べると、人の生活を助けるもの、人に寄り添うもの、包み込むような優しさという言葉が羅列した。


 兎の方も、どうやら意味があるらしい。


 ウサギのようなかわいらしい子、誰からも愛される子、大切にされるように、神秘的な子になるように、人を癒せる人になれるように。


 誰からも愛され、包み込むような優しさを持つ子に育って欲しい。

 そんな意味を込められた彼女の名前は、やっぱり親の愛情が溢れているように思える。


「依兎さん」

「…………なによ」

「いや、なんとなく」

「……バカ」


 ずっとからかわれてたんだ、ちょっとくらい仕返ししても問題はあるまい。

 

「けーま!」

「はいはい、ノノンさん」

「はい! ノノンさん、です! バカ!」


 腕の鎖を一気に縮めたノノンが僕に迫る。

 また昨日のモードになるかと一瞬焦ったけど、どうやらそこまででは無さそうだ。


 うん、いつも通りだ、それに朝食が美味しい。

 世間では平日の月曜日、夏休みは学生の特権だ。

 

 動くには、一番丁度いい。



§



8/7 月曜日 10:00 


『氷芽月美つきみさんと連絡が取りたいとのことだったが、無事アポイントメントを取ることに成功したよ』

「アポイントメントって、なんですか?」

『アポ……ああ、予約って意味だ。月美さんはスポーツジムのインストラクターをしているみたいでね、花宮の街からだと電車で一時間くらいの場所で働いているとのことだ。詳細はタブレットに送信してあるから、後でナビを利用するといいだろう』


 渡部さんにお願いすると、氷芽さんのお姉さんの情報がすぐさま僕の手元に届いた。

 さすがは国の仕事、氷芽さんの更生に繋がることは秒で対応してくれる。 


 保護観察官を終えると、観察課職員への道が開けるんだ。

 僕が渡部さんと同じ事を出来るのか、少しだけ不安になる。


「場所が分かったよ、さっそく行こうか」


 将来を気にするよりも、目の前の問題を解決しないとだな。


「おでかけ! ノノンおでかけ好きー!」

「あ、ちょっと待ってノノンちゃん、日焼け止めちゃんと塗らないと」


 保護者のようにノノンの相手をしてくれる舞さんと、楽しいが止まらないノノン。

 

「大丈夫、何があっても守ってあげるからさ」

「……無駄に、かっこつけない方がいいよ」


 差し出した手を取らずに、一人歩きだす依兎さん。

 

「そうじゃなくとも、アンタは十分カッコいいんだからさ」

「……社交辞令として受け取っておくよ」


 きっと上手くいく。

 氷芽さんと舞さんの二人は、絶対に上手くいくと信じてたんだ。


 だから、この物語があんな結末を迎えるなんて。

 この時の僕には、想像する事も出来なかったんだ。


§


次話『好きな人の過去を詮索するような、野暮な男じゃありません』

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