第57話 理由と責任と後悔

 氷芽こおりめさんの部屋、以前のノノンよりかはまだマシかな。

 臭いもないし、床も血で汚れてないし、ゴミもない。


 ノノンは可愛いって言われるけど、あの日のノノンを見ても果たしてそう言えるだろうか。

 頑張ったもんなぁ……ビンタされて、叫ばれて、嫌がられて。

 それでも諦めずに毎日接していったんだ、それでこそ今の可愛いノノンがいる。

 なんだろう……彼女が可愛いって言われると僕が褒められてるみたいで、何だか嬉しい。


「あー、しゅきピじゃん」


 余韻に浸ってる場合じゃないな、目の前にいる裸ん坊の女の子の相手をしないと。

 相も変わらずの全裸、隠す気の無い彼女の仕草は、なんていうか色気が足りない。


 最近のノノンには恥じらいがあって、可愛さが以前よりも倍増してるんだ。

 見られないようにしてるし、見えちゃったら恥ずかしそうに頬を赤く染める。

 女の子にはそういうのが必要だと、僕は思うんだけどな。


「だから、無視しないでよ」

「ああ、ごめん」


 ベッドの上であぐらをかきながら、不満げな顔をしたまま僕を見る。

 今の彼女に限って言えば、手錠されてるから隠せない、が正解なんだろうけども。


まいさんとは有意義な会話は出来た?」

「どうだったか知りたい? セックスしてくれたら教えてあげるよ?」

「いいよ別に、社交辞令で聞いただけだから」


 どうせ有意義な会話なんか出来てないんだろうね。

 それは舞さんの困り顏を見れば聞かなくても分かる。


「ところで氷芽さん、ひとつ質問があるんだけど、いいかな?」

「だから、セックスしてくれたらだって言ってるじゃん」

「君が振り込んだお金、全額返金されたらしいよ。知ってた?」


 すん…………って、室内が静まり返る。


 言葉の意味は彼女なら直ぐに理解出来るはずだ。

 その証拠に、彼女の青い瞳の瞳孔がぐっと開き、髪がふわっと激情と共に浮かんだ。


「は、お前、なに言ってんの?」

「信じられないよね、こっそりコンビニから入金してたのにさ」

「ふざけんなッ! なんだよそれッ!」 


 予想通りの反応だ。

 

「今さっき僕達の上司、渡部わたべさんに確認したから間違いない。君が手を出した前任の観察官の生活費は、国の税金でまかなわれているお金だ。政府はどんな手段を用いてもそのお金を全力で取り返す。まぁ、その必要は無かったみたいだけどね。君のご両親が入金後、すぐに返金したみたいだからさ」


「嘘だ!」


「嘘じゃない。そのお金だけじゃない、君が送金したお金は全て政府によって保管されていると、今さっき渡部さんに教えて貰った。酷い話だよね、今日は日曜日だよ? 銀行が動いていないのに知ってるって事はさ、渡部さんたち法務省の人達はこの情報を知ってたって事だよね」


 知っていても大人は動かない。

 青少女保護観察プログラムに、大人は極力干渉しないのが鉄則だから。

 過去、少子高齢化の波を止めるべく大人達が努力し、そして失敗を重ねた。

 積み重なった失敗の上に、僕達青少女保護観察課が存在している。


 同世代が故に、共に理解し、分かりあえると。

 ま、その理屈は分かるけど、必要な情報は聞く前に教えて欲しいもんだよ。


「なんで……アタシの稼いだお金が汚いから、受け取らないの……?」

「それは分からない、でも、全額返金されたのは事実だ」

「なんで……なんで? 嘘でしょ? なんでなの、ねぇ、なんで? ……なんで」


 それまでの覇気はなく、氷芽さんは俯きながら「なんで」を繰り返す。

 彼女が送金していた理由は、自分が破壊してしまった家族への贖罪だろう。


「僕には分からない。でも、僕が親だったら、自分の子供が身体を売って稼いだお金なんて、悲しくて受け取れないよ。今もこうして裸で手錠されてるなんて知ったら、相手が誰であれ怒鳴り散らしてる所だ」


 ノノンと氷芽さんは似ていると、最初は思っていた。

 でも、この二人は決定的に違う点がある。


 ノノンはそれしか選択肢が無かったんだ。  

 生きるために身体を売り、命を繋いでいたに過ぎない。

 

 氷芽さんは違う、認められなかった事実があるとはいえ、彼女は自らそれを選択した。 

 結果は最悪だったけど、そこに付きまとう責任は彼女に重くのしかかる。

 家庭崩壊という大きい鉄球のような責任の枷が、どこまでも彼女を苦しめるんだ。


「……じゃあ、どうすれば良かったのよ」

「静かにしていれば良かった、誰も氷芽さんが落ちぶれるのを望んでいない」

「生きてるだけで苦しかったのよ……何も成せないのに生きてる意味なんてある?」

「ある。誰も何かを成せなんて言ってない」

「何かになりたかったの、でも出来なかった」

「じゃあ諦めればいい、そして他を見つければいい」

「なんでそんな簡単に言うのよ」


 倒れていた椅子を手に取って直し、そこに座って足を組む。


「簡単だからだよ、人生なんてそんなもんでしょ? 何かになりたかったら努力すればいい。でも、諦めてしまう選択肢が出て来てしまったのなら、それに対する熱意の炎が消えてしまったのなら、それに固執する必要なんてないさ」


 そんなに偉そうな事を言えるほど、僕は努力した人間じゃないけど。

 さっきの言葉、何かの受け売りなんだよな、なんだったっけ。

 

「考えてもみなよ、この世の中にどれだけの職業があると思っているの? 一番になれるフィールドはどこかに必ずある。自分の熱意が消えない場所、それを探すのが一番なんじゃないかな」


 それに、僕達はまだ十五歳だ。

 人生を悲観するには、まだまだ早すぎる。

 

「……ねぇ、黒崎くろさき

「うん」

「どんなお金なら、アタシの両親は受け取ってくれたのかな」

「普通でいいんじゃない? そもそも望んでないと思うけど」

「じゃあ……どうやって償えば、良かったのかな」

「顔を見て謝る、これしかないんじゃない?」


 パタンと扉の閉まる音が聞こえて来て、振り向くとそこには舞さんの姿があった。

 開く音が聞こえなかったから、どこかのタイミングで扉を開けてたのかもね。


 彼女はベッドへと近づくと、氷芽さんの背後に回り込んだ。 


椎木しいらぎまい様を確認しました。解錠します』


 機械音と共に手錠が外れ、氷芽さんは晴れて自由の身に。


「外すんだ?」

「……うん、氷芽さんの気持ち、理解出来るから……」


 そう語ると、舞さんは氷芽さんを強く抱き締めた。

 先ほどみたいな抵抗はなくて、氷芽さんも素直に抱擁を受け入れているように見える。

 物を破壊することが無くなってくれれば、それが一番なんだけどな。


「氷芽さん」


 彼女の名を呼ぶと、俯いていた顔をゆっくりと上げてくれた。

 潤む瞳が感情を代弁し、言葉にならない口が震えながらも、一生懸命に返事をする。


「……なに?」

「一度、ご家族に会いに行こうか」


 今ここで僕が何を言ったって、所詮はたられば・・・・だ。

 真意を知るには実際に会って話を訊くしかない。

 

「もう何年も会ってないんでしょ?」

「……会えないよ」

「どこまでいっても切れないのが血縁だよ。一人が怖いなら僕達も付き合うから。そうだね、いきなり父親はちょっと怖いだろうから、まずは近かったお姉さんから行こうか」


 次女のお姉さんはスポーツ界隈を賑わせていたらしいけど、今は高校を卒業して働いている。

 長女のお姉さんも働いているって情報があったけど……どっちから行こうかな。

  

 そんな逡巡を重ねていると、氷芽さんは涙をぬぐいながら僕へと問い詰める。


「……ちょっと待って、本気で行くつもり?」

「もちろん、それが氷芽さんの為になるのなら、僕達は全力で動くよ」


 というか今日は日曜日か、どこも会社はやってないし、場合によってはお盆休みかも。

 うーん、一日に何度も渡部さんに連絡するのも気まずいし、水城さんの方がいいかな?


 などと考えていると、ふわりと良い香りに包まれた。

 柔らかい感触と優しい温度、どこかヒンヤリしてるのにぬくぬくしてるこの感覚。

 青い髪がハラリと落ちて、僕の鼻にかかる。 


「ごめん……」

「氷芽さん? びっくりしたよ」

「……ちょっと、見せられない顏しちゃってるから」


 どんな顏だろうか? どんな顔をしてたとしても、今までで一番可愛い顔なんだろうな。

 そんな思いと共に、その日初めて、僕は氷芽さんを抱き締めた。 

 女の子の感触がして、健康優良児の僕は残念ながら若干反応してしまう。


 気を紛らわすために視線を泳がすと、廊下から覗くノノンの泣き顔があった。


§


次話『女三人、男一人の生活』

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