第48話 制裁

 生まれて初めて人を殴った。

 中指と人差し指の関節がズキズキと痛む。

 でも、それぐらいが丁度いいとも思った。


黒崎くろさき君……」

椎木しいらぎさん、ちょっと黙ってて貰えるかな」


 情けない、情けなさ過ぎる。

 目の前に横たわる男は逃げることしか考えていない。 


四宮しのみや君、君が今なにを考えているのか当ててあげようか」

「……っ」

「早く終わらないかな、これだろ? 君自身は少しも反省していない。自分の勝手な行動のせいで二人の女性が傷つき、今もこうして泣きたくなるほど悩んでいるのに、君は何一つ発言をしていないんだ。どうせ早く終わって、布団の中に戻ってとっとと寝てしまいたいとか考えているんだろ? それはそうだ、明日になれば僕達は元いた場所に戻るんだからね。そうなれば君は僕達とは二度と顔を会わさずに済む、永遠に会うことだってない。ああ、それは僕も望む所だ、君の顏なんざ二度と見たくない。でもねッ!」


 捲し立てるように言葉の剣戟を浴びせかけながら、僕は倒れ込む彼に近づく。

 逃げようとする手を掴んで、彼の顔の横に手を叩きつけた。


「椎木さんは違うんだ、反省の色すら見せないお前とこれから二年以上一緒にいないといけないんだよ。鎖で繋がる? 彼女が責任を負う? おかしくないか? 責任を負うべきは君であって謝罪するのも君だッ! 違うかッッ!!!」


 神崎かんざき君も僕を止めようとしない。

 無駄に静謐な空間で、四宮君は唇を噛む。

 血が出そうになるぐらい嚙んだあと、彼は僕を睨みつけた。


「…………分かったよ」

「……?」

「言いたいことは分かったよ、でもな、そこの女に殴られて脅された事実だってあるんだ。今しがた君に殴られた事実だってある。責任を問われるのなら、そっちだって責任を問われるべきだ。だってそうだろう? 僕が今回したのは火野上さんに事実を押し付けただけだ、浮気現場と勘違いしてしまう雰囲気を出していたのはそっちだ、悪いのは僕だけじゃない」


 コイツ……この期に及んでまだこんな事を言うのか。


「四宮、お前ちょっと黙ってろよ。黒崎も、一回頭冷やせって」

「……神崎君、ごめん、ちょっと止まらないや」


 人間、怒りの頂点に達すると口がにやけるんだね、初めて知ったよ。


「四宮君、良かったね」

「……なにが」

「僕に殴られたっていう逃げ道があってさ」

「……」

「君はずっとそうやって生きてきたんだろ? 椎木さんからも逃げて、僕からも逃げて、ルルカからだって逃げてる。逃げ癖がついた人生を歩んできたんだ、嘘だらけで、虚構にまみれて、自分の嘘が嘘だって分からないような人生を歩んできたんだろ? 良かったじゃないか、大好きな逃げ道があってさ。申し訳ないが、僕は君のクラスメイトの気持ちが理解出来てしまうよ。同じクラスにいたら吐き気がする、イジメられても当然だって笑い飛ばしてただろうね」


 近づくだけでも嫌になる、生理的に嫌いって言葉が心の底から理解出来てしまうよ。


「僕は……そんな、逃げてばかりじゃない」

「嘘だね、四宮君の人生は逃げの一手だ。このまま旅行を終えて椎木さんとの生活に早く戻りたくてうずうずしてるんだろ? 残念だったね、僕が絶対に阻止してみせるさ。君がどうあがこうがそれだけは絶対に譲れない。どうせ中学校の時のイジメも君に原因があるんだろ? 盗撮とかして、それがバレて、クラス中から総スカン喰らって、なのに自分は悪くないを貫き通したんだろ? 君自身がイジメを敢えて助長したのかもしれないね、机の上に花があったらしいけど、それだって自分で置いたんじゃないの?」


 ここまで言うと、四宮君は僕の身体を突き飛ばして、その身を起こした。

 

「うるさい! 何も知らないくせにいろいろ語ってんじゃねぇよ!」

「残念ながら分かるんだよ、僕は保護観察官だからね」

「――っ、……ああ、そうかい、全部分かってるのなら、同じ目に合わせてやるよ」

「出来るものならやってみな」

「後悔するなよ!? 僕はやると言ったら絶対にやってやる! これまで全部騙してきたんだ、お前をめることぐらい、なんてことないんだからな!」


 買い言葉に売り言葉なだけの口論だったのだけど……なんだ、今のセリフは。

 思わず言葉が止まった僕の代わりに、椎木さんが震える声で問いただす。


「騙してきたって……何を」

「……っ、べ、別にいいだろ、そんなこと」

「いや、それは良くないな」


 今度は神崎君が前に出て、四宮君に接近する。

 体格差のある二人だ、その差は完全に親子に近い。


「洗いざらい話してもらうぜ、お前の行動は法に触れてるかもしれねぇからな」

「法って、そんな大袈裟な……」

「四宮は知らねぇかもしれねぇが、青少女保護観察法の悪用はお前が思ってるよりも罪が重いぞ。例えば、イジメに関する情報が実態とは違っていた、なんてのはまさにそれに該当する」


 一歩、また一歩と近づく神崎君に対し、四宮はあとずさりし、そのまま壁に背を預ける。


「イジメ加害者ってのは自分がしてきた事を忘れちまってる場合がほとんどだ。楽しかったんだろうな、ひでぇ話だが楽しい記憶はすぐに消えちまう。だがな、被害者はそうじゃねぇ、嫌な記憶は鮮明に残る。だから四宮が言ってる事は正しいって思い込んじまうんだ。……例え、それが嘘であったとしてもな」


 ドンッと、さっきの僕のように、神崎君は壁に手を押し当てた。


「言っておくがな四宮、俺は黒崎みたいに甘くねぇぞ」

「……っ」

「調べれば分かるんだ、とっとと白状しちまった方がいいぜ?」


 怒らせたら一番怖いのは、間違いなく神崎君だ。

 僕なんかよりも遥かに威圧的な態度で、四宮君を圧倒してしまう。


 そっか……僕って甘いのか。


「黒崎君……ノノンちゃん」

「ん? ああ、ごめん……」


 ノノンを連れて来るべきではなかった。

 刺激的な場面に弱い彼女は、諸星もろぼしさんの背中に隠れ、僕ですら見れなくなってしまっていた。


「……けーまぁ、ノノン、こわい……」

「ごめん、もう怒ったりしないからさ」

「……うん」


 諸星さんの背中から僕の方に身体を預けると、ぽすんと僕の鎖骨辺りに顔を沈める。

 ノノンが怖いのを苦手なのは、本当なのかもしれないな。

 そんな事を思いながら、彼女の頭を撫で、荒ぶっていた心を穏やかなものにさせる。



8/2 水曜日 22:00



『そうか、そんな事があったんだね』


 僕は一人、ラウンジのソファに座りこみ、渡部さんへと電話を掛けていた。

 報告書で出そうと思ったのだけれども、超長文になりそうだったのでやめた結果だ。

 

「あの……僕は一体どうなるのでしょうか」

『そうだね……本来ならば、十四歳以上による暴行は全て刑事事件として処理されるものなのだが、今回は事情が事情だ、最大限の配慮をさせて頂くよ。なに、心配する必要はないさ。人道に基づいて動いたに過ぎないんだからね。それよりも、問題は四宮君の方だな』


 あれから僕は場を離れてしまったのだけど、神崎君との話し合いにより、四宮君はこれまでの事を全て白状してしまったらしい。イジメ加害者からの謝罪を受け、沈静化したのにも関わらず彼はもっと酷いイジメがあったと主張し続け、今回の保護選定者として選ばれたのだとか。

 

 選定者として選ばれれば、多少の不自由はあれど女の子との同棲生活が約束される。


 将来も普通に努力するよりも遥かに楽に公務員になれる可能性だってあるし、選定者枠として企業斡旋も受けられる。四宮君はそれらを狙い、自ら選定者になるよう演技し続けていたのだとか。


 まさに神崎君の言う通り、青少女保護観察法の悪用なのだろう。


『詳細は伝えられないが、既に上の方では再調査が確定している』

「そう、でしょうね」

『結果次第では、彼は選定者を外れることになるかもしれないな』

「だとしたら、椎木さんは」

『椎木舞さんには新たな選定者をお願いすることになると思う。諸事情により保護を外れてしまった選定者が一名いてね、女の子同士になってしまうのだが……致し方ない所か』


 良かった、観察官を椎木さんが外れる事はなさそうだ。

 これで観察官外れちゃったら間違いなく僕の責任だったし、ある意味一番ほっとしたかも。


「あれ、でも、同性だと〝恋愛しない若者の問題〟が解決しないですよね」

『恋愛には様々な形があるからな』

「そう、ですか」

『今は多様性が求められてるからな。それはそうと、明日にはマンションに戻るんだろう?」

「はい、お昼ごろ到着の予定です」

『そうか……では、明日の夜ぐらいに一度顔を出しに行こうかな』

「本当ですか! ありがとうございます!」

『水城と一緒に向かうからな……ああ、お土産は不要だぞ? 水城がワイン飲みたいとか、信玄餅食べたいとか言っているが、気にする必要はない』

「ふふっ、分かりました。ワインは年齢制限で買えませんので、信玄餅だけ買っておきますね」

『おいおい、そんな気遣いは無用だぞ? ……では、夜も遅い、ゆっくりと休みなさい』

「はい、おやすみなさい」


 通話を終えると、スマートフォンの画面には通話時間四十分と表示されていた。

 結構な長話になっちゃったな……あ、いけない、ルルカのこと聞きそびれちゃった。

 でもまぁ、明日来るって言ってたし、明日でいっか。


「けーまぁ!」

「え? ノノン? 諸星さんと椎木さんも、一体どうしたの?」


 こんな遅い時間なのに、女性三人揃ってラウンジに来るとか。

 ノノンは館内着姿のまま、ソファに座る僕にぴょんと抱き着いてきた。


「黒崎君のことだから、今日は部屋で寝ないんじゃないのかなって思ってね」

「……えぇ、まぁ、いろいろとありましたし」


 さすがに四宮君と同じ部屋で寝る気にはなれない。

 寝たら刺されそうな気もするし。

 神崎君が一晩中見張るって言ってたけど。


「それでね、良かったらなんだけど、今晩一緒の部屋で黒崎君もどうかなって」

「……え、僕がですか?」


 自分の腕をさすりながら、椎木さんが誘う。

 自分で自分の腕をさする、不安が表に出ちゃってる証拠……かな。


「けーま! ノノンと一緒! くふふ、一緒ー!」

「いや、さすがにそれは」


 不味いですよね? って顔をしたら、諸星さんも笑顔で「大丈夫」って。

 

「別に、黒崎君なら害無さそうだし」

「いやいや、僕だって一応男ですよ?」

「じゃあここで寝るの? もうノノンちゃん離れないわよ?」


 ぎゅーってくっついて、頬をすりすりしてくる。 

 確かに、いろいろあって怖い思いもしたし、安心できないのかもしれないな。

 ノノンも……椎木さんも。


「分かりました、ノノンが風邪ひいたら可哀想ですしね」

「きゃったー! けーま、けーまといっしょ! なにしようかなー?」

「何もしないよ、一緒に寝るの」

「くふふ、うれしいな、けーまといっしょ」


 とまぁ、これだけ賑やかにしていたノノンだったけど。

 部屋に移動して一緒に布団に入った途端、数秒で寝入ってしまった。

 僕もノノンの体温にあてられて、共に爆睡。

 安心するんだよね、ノノンが一緒に寝てると。

 失いたくないって思ってるのかもしれないな。



8/3 木曜日 03:00



 ……ん、なんだ、なんか、ノノンが動いてるような。


「……?」


 うっすらと瞼を持ち上げると、こちらをじーっと見つめる赤い瞳があった。

 ノノンか……まだ暗いけど、起きちゃったのかな? 


「……黒崎」

「……ん?」

「人の女に手を出すなって言葉、カッコ良かったよ」


 嬉しそうに眼を細めたあと、腕枕してた顏が一気に近づいてきて、僕の頬に触れる。

 頬から伝わる微熱が心地よくて、なんとなしに口元をにやけさせた。

 ノノンが僕にキス? ……そんなのあり得ないか、夢だな。


 きっと疲れてるんだ、早く深い眠りに入らないと。


§


次話『旅行の終わり、四宮君が連行される日』

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