第44話 火野上ルルカ ※四宮鉄平視点

「ひ、火野上ひのうえさん、大丈夫っ――――うぐっ!」

 

 ドンッ、と鈍い音が耳に響く。


 彼女を支えていたはずの手が掴まれて、物凄い力で地面に叩きつけられた。

 なんなんだ今の力は、女性の力とは思えない、男の僕が抵抗すら出来なかったぞ。

 

「んっだよ……もう、二度と出ることねぇと思ってたのによ」

「え、えと、火野上、さん?」

 

 虫対策として着用していたパーカーのジッパーを下ろすと、彼女は「あっちぃな」と呟いた。

 背筋を伸ばし、ポケットに手を入れながら鋭い目つきで僕を見下ろす。

 これまでの弱腰な彼女じゃない、完全に別人じゃないか。


 地面に転がっていたデジカメを拾い上げると、彼女はまたぼりぼりと頭を掻く。

 映っていた映像を見た後に、もう一度僕を見るんだ。

 ゴミを見るような眼差しに、恐怖を覚える。 


「なるほどね、これを見て本体がやられちまったのか」

「本体? あ、ちょっと、火野上さん、何を!」


 ――バギンッ!

 

 な、なんてことだ! 彼女は手にしたデジカメを叩きつけた上に踏みつけやがった!

 一撃でモニターが粉砕、おお、画面が映らない!


「こ、壊れてる!? おいお前! これ政府から支給された大事な物資なんだぞ!?」

「うるせぇ! テメェが盗み撮り重ねて、本体を壊しちまったのが原因だろうが!」

 

 ――ごふっ!


 言葉と共に、綺麗な回し蹴りがとんできて僕の身体が吹っ飛ぶ。

 凄まじい威力だ、呼吸、呼吸が上手くできない。 


「げほっ、げほっ……け、蹴ったな!」

「当然だ、本体の心をここまで痛めつけたテメェが悪い。大体黒崎くろさきが浮気なんかするはずねぇだろうが、アイツと本体の心は完全に通じ合ってるんだ。アタシが認める。だからもう、出てくるつもりなんざ欠片も無かったのによぉ……バカ野郎が」


 そういえば……そういえば一個だけ、彼女の身上書で分からない部分があったんだ。


 彼女は様々な事件に巻き込まれているが、しっかりと結末が書かれていたのは最後の誘拐、監禁事件のみ。他の事件は〝こういう事があった〟という事実しか記載されていない。どのようにして彼女が危機を脱したのかが一切書かれていなかったんだ。


 更に言えば、この青少女保護観察は、どちらかと言えば加害者が選定される事が多い。

 僕しかり、諸星もろぼしさんも殺人未遂事件によって選定者に選ばれている。

 

 火野上さんのどこに加害者たる要素があった? 


 幼少期から小学校高学年までの間には、それらの記載があったものの、最近の火野上さんからは暴力の気配はまるで感じられなかったのに。


 全くの別人。

 その言葉が意味するもの。


「まさか、お前……多重人格者か――――ぐふっ!」


 僕のお腹の上に座り込み、彼女は頬杖をつきながら笑った。

 八重歯が牙みたいに見えて、瞳は渦を巻きそれまでと何もかもが違う。


「どうだかねぇ……アタシは施設じゃ〝ルルカ〟って呼ばれてたけどね」

「ルルカ? 火野上ルルカなんて、身上書にはどこにも――――がはっ!」


 振り上げた拳をみぞおちに叩きまれた。

 い、痛い、なんなんだよこれ、なんでこんなに痛いんだよッ!


「はぁーあ、ったく、本体のノノンちゃんは本当に弱い子だよな。せっかくアタシが開けたピアス穴もほとんど塞がってるじゃねぇか。弱いんだから、ピアスでもつけて自己防衛しとけって、昔は散々言ってやったんだけどな」

「……耳のピアス穴も、お前が」

「そうだよ、他の傷は違うけどな」


 完全に別人だ、こんな人間初めて見た。

 これは、手出ししてはいけない人間だ、早目に気付けて良かっ――


 ――――うぐぅ!? 僕の股間に、手をッッ!

 握り、握り潰されるッ!


「いいかお前、アタシのことを誰か一人にでも喋ってみろ。これ、潰すからな」

「しゃ、喋りません! 誰にもいいません! ごめんなさい、ごめんなさい!」

「本当かぁ? こういう陰険な奴は信用できないんだよねぇ」

「嘘じゃないです! 本当ですから!」

「一個ぐらいは潰しておくか?」

「やめて! やめてええええええええぇぇ!」

 

 ふん。そう言いながらも、彼女は一瞬だけグリッと力を込める。

 潰されたかと思った、全身が痙攣し、背筋が一瞬で凍り付いた。


「はっ、はひゅっ、はっ、はぁっ、はぁっ」

「アタシはこれで消えるけど、もう本体にちょっかい出すんじゃねぇぞ?」

「わ、わかり、ました」

「……お、黒崎が走ってきたか。じゃあ、後はヨロシク」


 軽くウインクをすると、彼女はバタリと倒れてしまった。

 数秒後、地面を蹴る音が聞こえてきて、彼女の言葉通り黒崎が姿を現す。


「ノノン! 四宮君!? どうした、何があった!?」


 何があったか? お前の彼女が多重人格者で、僕の玉を潰そうとしたんだ!

 なんて言えるはずがない。

 そんな事を言ったが最後、きっと彼女は有言実行してくる。

 

 黒崎が火野上さんを抱きかかえるも、彼女は目を覚まさずにいた。

 頼むからそのまま眠っててくれ。

 今あれこれ説明を求められても、上手く言い訳する自信がないんだ。


 数秒だけ呼吸を整えて、一番無難な言葉を考える。


「ごめんなさい……相当に、怖かったみたいです」

「それで気を失ったの? ノノンが? ……そっか、悪いことしちゃったな」

「僕じゃ、頼りになりません、から」


 その怪物は、僕の手には余る。

 モノにしようと考えたのが間違いだったんだ。


「あれ? そのデジカメ……え、まさか、ノノンが倒れた時に壊しちゃったとか!?」

「え? あ、ああ、いえ、大丈夫です。僕が、落として壊しちゃったんだと思います」

「ごめん、後で椎木しいらぎさんにも謝らなくちゃか……」


 デジカメのデータを削除しときたかったんだけど……ダメだ、モニターが壊れてるから何も操作出来ない。無駄に電源が入っちゃうのが怖いな、でも、ここから更に破壊した所で怪しまれるだろうし……大丈夫、かな、このままでも。

 

「……うっ」


 黒崎に抱きかかえられていた火野上さんの口から声が漏れる。

 閉じられていた瞼が開き、くりっくりの真っ赤な瞳で黒崎を見た。

 

「ノノン、大丈夫?」

「……けーま…………けーまぁ! うええええぇ! けーまぁ! けーまぁ!」

「顔を見て急に泣いちゃうとか、相当に怖かったんだね」

「けーま、けーまが、うわき、うえっ、うわ、うええぇぇぇ!」

「何さ、僕が浮気する夢でも見ちゃったの? バカだな、そんなのするはずないだろ?」


 予想通りと言った所か、彼女は説明を上手く出来ないでいる。

 余計な事を言われないように、視界から外れておくか。


「うううぅう…………ひっく…………けーま、うわき、しない?」

「しないよ。そんなのするはずが無いだろうに。さては、変な動画でも見たんでしょ?」

「うぅ……うぅ? うぅ…………」

 

 どうやら、僕のことはバレずに済みそうだ。 

 この旅行もあと一日で終わる、あとは何もせず静かに過ごそう。

 

 お願いだから、何も起こりませんように。

 

§


次話『四宮君が盗撮していたもの』

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