第42話 新しい鎖

§ 数日前


 綺麗きれいさんは誰がどう見ても僕に惚れている。

 でも、それってプログラム的にはとても不味いことだ。


 一人の観察官に与えられた権限は、一人の選定者にしか行使できない。

 綺麗さんが僕との関係を強く望んだ場合、それが崩れる可能性が出てきてしまう。


「勘違いさせてしまった僕が悪いとは思うんだけど、この状況は宜しくないと思うんだ」


 ロードワークを終えた神崎かんざき君と二人、僕達はサウナ室でよく話をした。

 ここでなら誰にも聞かれる心配はない。暑いけど。


黒崎くろさきって無自覚に肉食系男子だからなぁ」

「前にクラスの女子に言われたことある」

「ははっ、よく見られてることで」


 日和ひよりさんの下着を洗った時に、古都ことさんに言われた言葉だ。

 まさか神崎君からも言われるとは思わなかったけど。


「んー、でもまぁ、それって俺にも原因があるんだよな」

「別れる宣言……まさか、綺麗さん本人にもしたの?」

「いんや、さすがに。でも、うっすらと伝わっちまってたんだろうな」


 興味のある無しは、言葉にせずとも伝わってしまうものだ。

 人に好かれるかどうかの境目に、その人に興味が持てるかどうかがあると思う。

 誰だって自分に興味を持たれれば気になるし、そうでないなら深くは接してこない。

 綺麗さんは過去が過去なだけに、そういう所に人一倍敏感なのだろう。


「まぁ、黒崎だから言うけどさ」

「うん」

「俺、別に諸星さんのこと、嫌いじゃないぜ?」

「え?」

「ただ、俺の中で燻ってる何かがあるんだよな。……まだ、諦めきれてねぇんだと思う」


 神崎君の身体を玉のような汗が流れ落ちる。

 鍛え上げられた肉体、それを見れば、誰もが彼の過去を想像出来てしまうんだ。



§ 現在



 闇夜の中、熱帯夜の風はとても生暖かく僕達の肌をすり抜けていく。

 綺麗さんの両腕を掴んだまま、僕は言葉を続けた。


「綺麗さん、君は一番近くで神崎君を見ている。そんな君なら分かるだろ? 神崎君が目指していたものが何なのか」

「……陸上?」

「うん、だけど、彼は中学で結果を出せなかった」


 結果を出した人には、観察官の話は回ってこない。

 観察官の話が来た以上、国から『お前はその世界では生きていけない』と言われたのと同じなんだ。


「中学では芽が出なくとも、高校で伸びる人って沢山いるんだよ。でも、観察官になってしまうとそれが出来なくなる。理由は分かるよね?」

「……私達を、見守らないといけないから」

 

 それだけじゃない、僕達観察官は部活に入ることも禁止されている。

 習い事の何もかもを禁止され、三年間選定者と過ごさないといけないんだ。

 無論、大会に出る、なんて許されるはずがない。

 

「神崎君は青少女保護観察官の話が来た時に、物凄く悩んだんだって言ってた。でも、綺麗さんの過去を知り、彼女の為になるのならって、自分の将来を諦めたんだよ」

「……そんなの、嘘よ」

「嘘じゃない」

「だって、観察官って強制なんでしょ? 裁判員制度と同じものって、私知ってるし」


 青少女保護観察官は強制である。

 渡部さんも使っていた言葉だ。

 ……でも、実際には違う。


「裁判員制度に選定されて、実際に裁判に行く人ってどれぐらいだか知ってる?」

「……全員、行くんじゃないの」

「ううん、半分近くの人が行かないんだってさ」


 無断欠席者約四割、これが裁判員制度の実態だ。

 罰則はあるものの、実際には罰則が下されたことは過去一度もないらしい。

 そして、ここから先は僕が調べた結果だ。


「青少女保護観察プログラムもね、実はリタイアする事が出来るんだよ」

「……リタイア? そんなの、教えて貰ったことない」

「教えないんだと思う。僕も調べるまで知らなかった。年に数組のペアが解散になっている実態は、あまり公表されていないんだ。僕もノノンとの将来を考えて調べてる内に、偶然知っただけなんだけどね。でも、あれだけ頭脳明晰な神崎君が、それを知らないと思う?」


 神崎君はリタイアの存在を知っていたんだ。

 リタイア後、保護観察官は責務を解除され、元の生活に戻ることが出来る。

 選定者は新たな保護観察官をあてがわれ、その人と一緒に再度プログラムに臨む。

 差がないとは言い切れないけど、こうした実態が確かにあったんだ。


 リタイアを選択して、夢を追い続けるか。

 観察官として、一人の女性を守ることを選択するか。


 綺麗さんは、わなわなと震えながらも、呼吸を荒くする。

 一番側で見ているからこそ分かる、神崎君の諦めきれない陸上への熱意。

 彼が抱いていた葛藤は、言葉にせずとも伝わっているはずなのだから。


「もう一度言う、神崎君は、間違いなく綺麗さんを見ていたよ」

「……そんな…………信じられないよ…………」


 喉を震わせながら、必死に僕の言葉を否定する。……でもね。


「だって、そうじゃなかったら、こんな旅行計画なんか立てないでしょ?」


 その時、雲の隙間から真っ白な月が姿を現したんだ。

 暗闇がなくなり、月明かりに照らされ、真実の姿を暴いていく。

 綺麗さんの頬を伝う涙、彼女の視線が、僕じゃない場所を見ていた。


「ま、そういう事だな」

「神崎君」


 驚かそうと思っていたのだろう。

 神崎君は片手にコンニャクを持って、僕の後ろに立っていた。

 照れくさそうに眼を細め、口元には笑顔を携えた彼の笑顔は、悔しいくらいカッコいい。


「……神崎、君」

「沙織でいいよ。水くせぇな、俺とお前はパートナーだろ?」

「……また、そうやって、お前って言う……」


 僕の横をすり抜けて、綺麗さんは神崎君へと駆け寄る。

 もともと好きだったんだろうね。

 彼の胸に顔を沈めるなり、綺麗さんは泣き始めてしまったよ。


「不安にさせちまって、すまなかったな」

「……ううん…………私が、バカなだけだから……」


 高身長な二人だけど、やっぱり神崎君の方が上なんだ。

 背中に回した手で、綺麗さんの背中をぽんぽんと叩く。

 すすり泣く声が聞こえるけど、別に心配する必要はなさそうだ。


「あと、本当は旅行の最後に渡そうと思ってたんだけどよ」

「……ぐすっ、……なに?」

「ほれ。俺とお前の専用の腕輪。わざわざ配達して貰ったんだぜ?」


 神崎君が腰のポシェットから取り出したのは、僕とノノンが付けてるのと同じ腕輪だった。 


「羨ましそうに見てたからさ、そんなにしたいんなら一緒に着けようかと思ってな」

「…………本当?」

「ただし、これを着けたが最後、俺のロードワークにも付き合ってもらうぜ? もちろん、もうちょっと加減してやるけどさ」

「……うん、うん……全部、付き合うよ……」


 嬉しそうに眼を細めながら、綺麗さんは自分の腕を神崎君へと差し出す。

 はめ込んだ瞬間に『神崎沙織様を確認しました、施錠します』という機械音が響いた。


 二人の間に繋がった鎖がとても眩しく見えて、なんだか羨ましく感じる。

 隣にノノンがいないのが寂しい……そう思ってしまうのも、やむなしかな。 


「ひっく…………私、嫌われてるって、ずっと……ひっく……思ってたの、に…………」

「俺が不器用なだけだよ。努力してもダメだったんだから、とっとと諦めれば良かったのにな」

「ううん。沙織はきっと、これからでも間に合うよ。大学駅伝とかもあるし……」

「……ま、そうだな。改めて宜しくな、綺麗」

「……うん。沙織、ありがとう……」


 さてはて、僕はそろそろお邪魔虫かな。

 一人階段を上がり祠のお札を回収しに向かうと、そこには椎木さんの姿があった。

 驚かすつもりだったのだろう、白装束に三角頭巾をつけていて、なんだか可愛らしい。


「さすがに、あの空気に一人じゃいられないわよね」

「ははっ……まぁね」

「それにしても意外だった。まさか神崎君が諸星さんを好きになっていたとわね」

「好きかどうかは、まだ分からないんじゃないかな?」

「そうなの?」

「うん。だって、僕達に与えられた時間はまだ二年以上もあるんだし、焦る必要ないでしょ」


 微笑みながら伝えたつもりなんだけど、椎木さんはどこでもない場所を見ながら、軽くため息をついた。

 分からないわ。そう呟いたけど、彼女だって間違いなく根っこは優しい人なんだよね。


 でも、こと恋愛となったら、どれだけ考えても正解なんか無い訳だし。

 焦った所で良い事なんか何もない、恋愛は時間を掛けてなんぼだと、僕は思うよ。


「あら? そういえば、あの二人の懐中電灯、動いてないわね」

「え? あの二人って……あ、本当だ」


 祠の周辺は開けていて、ちょうど高台から保養所が見えるようになっているのだけれど。

 出発地点にいるであろうノノンと四宮君の懐中電灯が、動いていないように見える。


 ……というか、あの二人、何してるんだ。

 ノノンが頭を抱えてしゃがみ込んで、四宮君が何かしてるような。

 

「僕、ちょっと行ってきますね」


 何かがあったんだ。

 階段を駆け下りて僕は一人、ノノンの下へと走る。





§四宮鉄平視点


「けーま、うわき……?」

「ああ、そうだよ。黒崎桂馬は諸星綺麗と浮気している……証拠もあるんだ」


§


次話『もう一人の非行少女 ※四宮鉄平視点』

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