第39話 異変

7/27 木曜日 22:00


 ノノンと別れた僕は、一人、ラウンジのソファに腰掛ける。

 日報を書くにはここが一番静かでいい。

 部屋にいても四宮しのみや君の邪魔になっちゃうだろうし、神崎かんざき君は日課のロードワークで不在だ。


 ……こんなものかな、日報送信っと。

 

 最近、渡部わたべさんや水城みずきさんからの返信が来ていない。

 あの二人のことだ、きっと何かしら仕事でもしてるんだろうけど。


「出生率低下、青少女保護観察プログラムの是非を問う……か」


 実際に観察官になり、僕も日々のニュースに目を通すようになった。 

 この国の少子高齢化は、想定を遥かに超えたスピードで悪化しているらしい。


 子供が生まれない一番の原因は、恋愛をしない若者にあると、その記事では断定していた。

 この言葉を調べると、何十年も前から騒がれていた内容らしい。

 賃金の低下、生活保護者の増加、高齢化社会による福利厚生費の圧迫。

 子供を産んで育てるといった環境が、既に無くなっていたのだとか。

  

 こうして普通に高校生をしている分には感じない事なのだけど、世間は思ったよりも厳しいみたいだ。そして、僕達が実施している青少女保護観察プログラムというのは、僕が思っているよりもこの国にとって重要な位置づけなんだなと、今更ながらに改めて思う。


「え、く、黒崎君?」


 名を呼ばれて顔をあげると、そこには館内着姿の諸星さんの姿があった。

 

「や、こんばんは。眠れないの?」

「眠れないっていうか……あ、あの、隣座ってもいい、ですか?」

「どうぞ、ご自由に」


 彼女は膝を揃えて僕の横に座ると、両手を太ももの上に添えた。

 しゃなりとした感じ、何を意識するでもないけど、必要以上に女性らしさが伝わってくる。


「それってニュース、ですか?」

「うん。トピックスぐらいは目を通そうかと思ってね」

「へぇ……凄いですね、なんか大人って感じがします」


 凄い……かな。そう言われたら凄いことなのかも。

 確かに、以前の僕はニュースに全く興味なかったもんな。


「自分が観察官やるようになってさ、大人と接する機会が増えたから、少しくらいはね」

「黒崎君は、十分知識人だと思います……」

「……桂馬って呼ばないんだ?」


 バーベキューしてる時に、諸星さんは僕のことを下の名前で呼んでいた。

 けれども、今は黒崎呼びに戻っている。

 なんだか仲良し度が下がった感じがして、ちょっと気になった。


 諸星さん、両手をふとももの間にはさんで、身体をもじもじさせる。

 赤らんだ頬、やっぱりちょっと恥ずかしかったのかな?


「だって、黒崎君も、私のこと下の名前で呼ばないから」

「ああ、じゃあ合わせようか。綺麗きれいさん」

「えひっ……は、はい、桂馬、君」

「ははっ、改めて言うと、なんか照れるね」


 もじもじさせた身体の揺れを止めて、綺麗さんは僕をじーっと見つめる。

 何か聞きたいことでもあるのかな? しかし綺麗さんか、実際呼ぶとなんか抵抗あるな。


「あの、傷の治療って、もう大丈夫なんですか?」

「うん? ああ、ここの施設の遠隔治療って凄くてね。光消毒で傷口の奥の消毒も出来ちゃって、皮膚も残ってたからレーザーで癒着して、ほんの数分で終わりだったよ。お医者さんが言うにはしばらく触らないことって言われたけど、見た感じ既に完治したんじゃないかな」

「痛くなかったんですか?」

「うん、全然痛くない。麻酔もしてないのにね」

 

 右腕を綺麗さんに見せると、彼女は傷のあった場所にそっと触れる。


「あ、ごめんなさい、痛いですよね」

「ううん、痛くない。レーザー痕が残ってるけど、それも三日もすれば消えるってさ」

「そうですか……良かった」


 ふに、ふにっと傷口に触れる。

 ノノンも治療後に同じことしてたっけかな。


「あの、一個だけお願い、聞いてもらえませんか」

「お願い? 僕に出来ることならどうぞ」


 なんだろう? と思っていたら、彼女は立ち上がり自分の手を僕へと差し出した。

  

「わ、私とも、鎖で繋がって貰えませんか」

「……へ?」

「……あ、あの、ずっとじゃないんです。一回でいいんです。一瞬だけでも、桂馬君と、繋がりたいっていうか……そうしたら私、もっと頑張れる、っていうか……」


 鎖に憧れを持ったのか? あんなの束縛の証であって良い事なんか何もないはずなのに。

 

「ごめん、あの鎖は特別なんだ」


 それに、あの鎖は僕とノノンを繋げる大切な鎖なんだ。

 結婚指輪に近い存在だと、僕は考えている。

 だから、一瞬だけでも他の人と……なんて、僕には考えられない。


「……そう、ですか」

「いろいろと理由はあるけれど、何よりも僕達が使う拘束具には使用者権限とかもあってね。他の人を拘束したら僕が逮捕されちゃうんだよ。例えそれがノノンと同じ選定者であっても、それは変わらない。僕が拘束出来るのはノノンだけなんだ」


 渡部さんに教わった内容をそのまま綺麗さんに伝える。 

 変な言い訳をするよりも、これが一番無難な方法だろう。


「それは、しょうがないですね」

「でも、手を握ることぐらいは出来るよ?」


 鎖で繋がることは出来ないけど、手を繋ぐことぐらいは出来る。

 差し出された手に触れると、彼女はぴくっと反応した後に、ゆっくりと指を絡めてきた。 


「いろいろと不安なんでしょ? 神崎君って厳しそうだしね」

「……別に」

「僕はこの旅行中、毎晩ここにいると思うからさ。相談ごとがあったら遠慮なくここに来なね」


 指と指を一本ずつ挟みながら、綺麗さんは僕の右手を両手で包み込んだ。


 上唇で下唇を甘噛みする、微笑んでしまう頬を無理して抑えるような顔をしながら、綺麗さんは無言のまま頷く。彼女の印象も随分と変わったように感じるな。初対面から不満を露わにしてた時と比べたら大違いだ。柔らかい物腰になって、笑顔が素敵になった気がするよ。


「……私、部屋に戻りますね」

「ああ、うん。あれ? ていうか、なにしに来てたの?」

「なにっていうか……素敵なことが起こればいいなって思いながら、適当に歩いてただけです」

「なんか、女の子っぽくていいね」

「はい。素敵なこと、起きましたし……おやすみなさい、桂馬君」


 ぱたたたたって居なくなったけども。

 適当に歩く……か、選定者の彼女は普段は自由に出歩けないもんね。

 とはいえ、この施設だって彼女一人で自由に行動できるのは施設内のみだ。

 外に出るには観察官との同行が必要になる、選定者との差は結構深い。


「あー終わったー」

「あ、神崎君。お帰りなさい」

「お、黒崎か。どうよ、これから風呂一緒に行かね?」

「そだね、話したいこともあるし、付き合おうかな」

 

 この日を境に、諸星さんはダイエットに本格的に挑むようになった。

 極力食事をとらず、限界まで運動に励み、空いた時間もストレッチをしていたり。

 周囲が心配するほどの運動量だったけど、彼女は「大丈夫」を繰り返した。


 夜ごと彼女はラウンジに来るようになり、僕との他愛のない会話を楽しむ。

 さすがに体重が一気に落ちる事はないのだけど、心なしか彼女の線が細くなってきた。

 そう感じてしまうほどに、綺麗さんは文字通り綺麗になっていく。


 彼女の目的が僕にあるんだろうな……という事は、なんとなく感じていた。

 鈍感な僕でも分かる。目に見えて好意を寄せられているんだから、気付かない方がおかしい。

 

 そんな感じで日々を過ごし、そして、旅行は八日目へと突入する。


「肝試しやんぞー」


 イベントの一つ、神崎君主催の肝試しだ。


§


次話『肝試しと、神崎君の事情』   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る