第37話 許せない行為 ※諸星綺麗視点

「当施設の治療設備は遠隔で医師による治療が可能です。黒崎さんは青少女保護観察官ですので無料で治療が受けれますが、如何なさいますか?」


 保養所に入るなり受付カウンターの人が駆け寄り、黒崎君の腕を心配する。

 遠隔治療設備、そんなのあるんだ……政府関係者が利用する施設って凄い。 


「本当ですか? それは助かります」

「けーま、治る?」

「うん、多分すぐに治っちゃうんじゃないかな」

「本当? けーま、いなくならない?」

「ならないよ。じゃあ、ちょっと行ってきます」

「ノノンも、ノノンも一緒に行く」


 子供のように純粋な眼差しを向けて、火野上さんは彼に甘えるようにくっついた。

 保護観察官と選定者の距離、私の観察官が黒崎君だったら、私も同じことが出来たのかな。


 神崎君と椎木さんは明日以降のプランを組みなおすと言い、ラウンジで話し合いを始めた。

 四宮君は私達が戻ってきた時には既に部屋にいて、この場所にはいない。


(ここに残る必要はないか)


 そう考えた私は、黒崎君と火野上さんが治療室へと消えた後、一人部屋へと戻った。

 ベッドに倒れ込んで、太くなった腕をさする。


 ……私は、男の人が嫌いだ。

 どうしても私を襲った叔父と姿が被る。


『恨むなら、お前の父親を怨むんだな』


 揺れる世界、お腹の中に走る鈍痛。

 縛られて、抵抗出来ない状態で、叔父が私の身体をもてあそぶ。

 自分の部屋、普段寝ているベッドの上で、私は襲われたんだ。

 

『本当なら俺が彼女と結婚するはずだったんだ、俺から全部奪いやがって』


 私には関係無い理由で怒りを性欲に変えて、叔父は毎晩私を襲ったんだ。

 私のお母さんのことを、叔父は愛していたらしい。

 他にも、農場を父が相続したことにも腹を立てている様子だった。


『東京から帰ってきて俺が欲しかったもん全部奪いやがった。だから、俺は兄貴の一番大事なものを汚してやるんだ。俺にはその権利がある、お前もそう思うだろ?』


 そんなのある訳ない、あるはずないじゃない。

 でも、当時の私は怖くて、声に出せなかったんだ。

 

 家にいたら襲われる、そう考えた私は家出をするようになった。

 外の世界は思いのほか優しくて、受け入れてくれて、守ってくれて。

 

『はぁ? キモ、なにソイツ、殺しちゃっていんじゃね?』


 叔父のことを相談すると、それがさも当然であるかのように殺すことを提案してくれたんだ。

 当時中学生だった私は、叔父を誘い出し、仲間と共に初めて叔父へと暴力を振るう。

 気持ち良かった、最高の気分だった、あの叔父が泣きながら許しを乞うているじゃないか。


 でも、そんな仲間であっても、殺人まではしてくれなかった。

 これぐらいでいいっしょ? そう言って叔父を解放してしまう。

 

 納得がいかなかった。

 

 私は何年間も苦しみ続けたのに、たった一回で終わり?


 殺すべきなんだよ、あんな奴。


 一人でも負けない身体を作ろう、とにかく食べて、とにかく鍛えて、とにかく強く。

 ものの数か月で私の体重は十キロ以上太り、それに加えて身長も一気に伸びた。

 叔父はあの一件以降、私に手出しする事は無かった。


 でも、他に行き場もないんだろうね。

 情けない顔をしながら、ウチの農場で普通に働いてやんの。


 イジメた、とにかくイジメぬいた。

 何か言いたげな顔をしても叔父は何も反論できない。

 だって、私に対して死ぬ以上に酷い事をしたのだから、当然の報いだ。

 

 なのに。


「顔を見るのも飽きた、殺すね」

「はは……」

「なに笑ってんの」

「いいぜ、殺せよ」

「はぁ?」

「俺は兄貴の大切なものを壊すことが出来たんだ、それで大満足だ」


 勝ち誇った顔、こんな事をするようになった私を見て、叔父は満足げに笑う。

 お父さんが可愛がって育ててくれた、諸星綺麗は、この男によって殺された。


 人を殴っても何とも思わない。

 暴力という最低な選択をしてしまう人間に、私はなってしまったんだ。

 

「誰のせいで……」

「はっはっはは……ははは」

「誰のせいでこんな人間になったと思ってんの!? ふざけんな、死ねよ!」


 激情が津波のように押し寄せてきて、私は叔父を殺す決意を持った。

 拳を作り、何度も、何十回も殴りつけて、蹴って、殴って。

 近くに置いてあった棒で叩いて、それが折れたら違う棒を握り締めて叩く。


「綺麗! 貴女なにしてるの!」

「お母さん……」


 母親に止められた時、私は返り血を浴びた状態で叔父を殴りつけていた。

 微動だにせず、呼吸もまばらな叔父を見て、母親は悲鳴をあげる。


「従業員さんから聞いたの、貴女が叔父さんに酷いことしてるって!」

「違う、これは」

「もう、警察も来ちゃってるんだからね!? 綺麗、貴女……!」


 足元に出来た血の海に、一人茫然としながらもへたりこむ。

 その後の取り調べで、叔父は私への性的虐待を認め、実刑判決を受けたけど。


 性的加害者への実刑は、六カ月から長くとも十年の懲役しかないらしい。

 対して、私がしてしまった殺人未遂は、三年から無期懲役。


 毎日毎日、死ぬような思いをした私よりも、叔父の方が罪が軽いんだ。

 ならば、殺してしまえば良かった、そう思ったけど。


「……くっそぉ……」


 悔しい事に、私は当時を思い出しながら、一人でしてしまっていた。

 犯され続けた毎日で、私の身体はもう壊れているのだと思う。

 

 ううん……違う、よね。


 今日、本当に優しい人と出会えたから。


 だから、こんなに濡れてるんだよね。


「黒崎君……」


 彼が、私の観察官だったら良かったのに。

 神崎君もとても良い人だけど、彼からは暴力を感じるんだ。


 それに、彼は私を見ていない。

 あれだけ酷いことをした叔父と同じ、目の前に私がいるのに、私を見ていないんだ。


 黒崎君は違う、しっかりと私を見てくれている。

 

――諸星さん女の子だからね、頭とか顔に傷が出来たら大変でしょ? 

――優しいのは、諸星さんも一緒だと思うよ?


 人から優しいなんて、私、一度も言われたことないよ。

 黒崎君だけ……黒崎君だけが、私をしっかりと見てくれている。


 それに、彼は火野上さんを受け入れているんだ。

 あんな全身に傷を負った女……聞かなくても分かる、あの女は私以上に穢れている。

 

 ふさわしくないよ。

 黒崎君にふさわしいのは、私の方だ。


「ちょっと、部屋で休もうかな」


 廊下から彼の声が聞こえてくる。

 治療を終えて部屋に向かってるんだ。


「ノノンも一緒に寝る」

「でも、部屋に四宮君いるし」

「一緒に寝るだけ。昨日寂しくて、ノノン、ちゃんと眠れなかったの」

「……ずっと一緒に寝てたからね。寝るだけなら平気かな」


 隣の部屋で、黒崎君と火野上さん、一緒に寝るんだ。

 壁に耳をあてて、静かに聞き耳を立てる。


 扉が開く音、部屋の中を歩く音、布団を捲る音、横になり、深く息を吐く音。

 

「けーまと一緒……安心するね」

「……うん。おやすみ、ノノン」

「おやすみ、けーま……大好き」


 手の震えが止まらない。

 羨ましくて頭が爆発しそうになる。

 今すぐ隣の部屋に行って、黒崎君を奪いたい。

 彼の横で眠ってみたい、彼に愛されたい、優しくされたい。


「…………ちくしょう……」


 でも、頭の中でそれらがダメだって警鐘を鳴らしている。

 今の私が何かしたら、今よりもっと酷い状況に追いやられるんだ。

 保護観察中の身分で悪事を働いたらどうなるのか、多分もう、ここには帰ってこれない。


 それが分かるから、我慢しないといけないんだ。

 私にはもう、後がないから。


§


次話『青春の一コマ』

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