第36話 惚れてはいけない人

 木漏れ日の下、気温はどんどん暑くなっていくけど、吹く風はどこか涼しい。

 腰から下げた小型の保冷袋に入れておいたペットボトルのお茶を一口飲むと、お腹の方まで冷え渡った感じがして気持ちが良かった。


「諸星さんも飲む? さっき全部んじゃってたでしょ?」


 差し出されたペットボトルを見るも、彼女はその目を伏せる。


「いらない」

「そう? 飲んだ方がお腹の中まで冷えて、熱中症の予防にもなるよ?」


 飲まないなら別にそれでもいいんだけど。

 神崎君が冷たいモノ持ってくるって言ってたし、それを待つのもアリか。

 

 飲みたくなったらいつでも渡せるように保冷袋に戻して、何もせずにその場に座り続ける。

 適当な軽口を叩いてもいいのだけど、疲労回復に努めているのなら会話は不要だろう。


 沈黙は十分ほど。

 セミの鳴き声がうるさい中、諸星さんから呟くように語り掛けてきた。


「……黒崎君はさ」

「うん」

「なんで、そんなに人に優しく出来るの?」


 なんでそんなに人に優しく出来るのか。

 考えたこともないな。


「うーん……そう言われると困っちゃうんだけど。別に両親に〝困ってる人を見つけたら助けなさい〟なんて教わった訳じゃないし。優しくしようと思ってそうしてる訳じゃなくて、行動した結果が優しいって言われてるだけ、なのかな? ごめん、良く分からないや」


 真剣に考えた事もないな、そもそも僕が優しいって思った事ないし。

 だけど、そんな僕の返事を受けて、諸星さんは口に手を抑えて笑ってくれた。


「ふふっ、なにそれ、優しいのに分からないって」

「ごめん、だって本当に分からない」

「相手が綺麗だとか、可愛いとか、そういうので差別したりはしないの?」

「別にしないし、気にしたことないよ」


 どういう質問の意図なのだろうか。

 可愛い人だけに優しいのは、それは下心満載のよこしまな奴だと思う。

 

「そうなんだ、火野上さんに優しいのも、てっきり可愛いからだと思ったのに」

「え? それはないない。だってノノンの最初とか、諸星さん知らないでしょ?」

「最初?」

「うん、ノノンの最初は本当に酷かったんだから……詳しくは言わないけどね」

「へぇ……ちょっと意外かも」


 ノノンの最初はゴミ溜めの臭いだったからね。

 着ている服も汚れてて、持ち物は全部ゴミで虫歯だらけで言うこと聞かなくて。

 可愛さの欠片も無かったのに……今からじゃ想像も出来ないよ。


「……うん。そろそろ歩こうかな」

「え、大丈夫なの? もうちょっと休んでて平気だけど」

「大丈夫、さっきも言ったでしょ? ちょっと休めば大丈夫だって――――あ」


 立ち上がった途端に、諸星さんは体勢を崩した。

 段差だったせいもあり、踏み外した身体は背後に倒れ、その先には石が見える。


 ――どずん。


 鈍い音がした。

 百三十キロの身体が段差を踏み外し、頭から落ちる。

 そんな事になったら、最悪死んでしまう。


「――――え、く、黒崎君!?」


 だから、僕は咄嗟に飛び出したんだ。

 身体一つで彼女の身体を受け止めるべく、下敷きになる覚悟で。


「だ、大丈夫!?」

「いっつー……ああ、うん、諸星さんは平気だった?」

「へ、平気、だけど、黒崎君……大変! 腕から血が!」

「ん? ああ、下に石があって切っちゃったみたい」


 激しい痛み、ペットボトルのお茶で洗ったらそれはより強烈になり、思わず顔をしかめてしまう程だった。先が尖った石、あれがモロに刺さったのだから、傷の範囲は狭くとも深いのは間違いないだろう。


「でも良かったー、怪我をしたのが僕で」

「……え」

「諸星さん女の子だからね、頭とか顔に傷が出来たら大変でしょ?」


 ハンカチで押し当てると……うはぁ、血が凄いや。

 どうやっても止まらないな、血でどんどんハンカチが真っ赤に染まっていく。

 その様子を見ていた諸星さんが、僕の手ごと傷口を握り締める。

 

「これ、ハンカチを押し当ててた方が止血になるから」

「ああ、そうかも」

「その上から私のタオルで縛れば固定できる。ごめんなさい、汗で濡れてるタオルじゃ嫌かもしれないけど、私、今これしかなくて」

「別にそんなの気にしないよ。ありがとうね、後で洗って返すからさ」

「ごめんなさいは私のセリフだよ……ごめんなさい、本当にごめんなさい」


 ぎゅーっと縛られると、痛みも少し和らいできた。 

 しばらくするとタオルにも血がしみ込んできたけど、ある程度でそれは治まる。

 ふぅ、と一息ついてから、申し訳なさげに縮こまる諸星さんを見た。

  

「さっきの会話なんだけどさ」

「……?」

「優しいのは、諸星さんも一緒だと思うよ?」

「私が、優しい?」

「うん、こうして僕のことを心配してくれてるし、タオルで縛る時に自分の汗が……なんて、どうでもいいことを気にしてくれている。他人を気遣う心があれば、誰だって優しくなれる。僕はそう思うな」


 そこまで伝えると、彼女は「そんなことない」って言いながらも頬を紅潮させた。

 真夏の気温とは別の理由かな? 図星って恥ずかしもんね。


「さてと、神崎君の負担を少なくすべく、ゆっくりとでいいから歩こうか」

「……うん」

「あれ? 足もくじいたっぽい? ごめん、諸星さん、肩かしてくれる?」

「……はい、喜んで」


 右腕の負傷に左足の捻挫、こりゃ満身創痍だな。 

 百三十キロを受け止めた代償としては、軽い方なのかもしれないけど。


 いま思うと、かなり危険な事をしていたのかも。

 でも、諸星さんが頭を打ち付けるよりかは全然いいよね。


「ここら辺、春か秋に散策するには気持ちいいんだろうねー」

「そうですね……夏に来る場所じゃないですよね」

「だね、神崎君に後で文句言わないとだ」

「ふふっ、はい、そうだと思います」


 けらけらと二人笑いながら、ゆっくりと歩を進める。

 こうして会話している分には、諸星さんも普通に良い子としか思えないけど。


 僕達が歩きだしてから四十分くらいして、遠くから神崎君が走ってくる姿が見えた。

 相当に速いな、僕達が歩いていたとはいえ、まさかもう合流するとは。


「はっ、はっ、おお!? 黒崎どうしたんだお前それ!」

「神崎君、結構早かったね」

「ちょ、怪我したんなら言ってくれよ! 応急処置しか出来ねぇぞ!」

「あー、大丈夫、それよりも日傘ない? 直射日光キツクって」

「あるある! ほれ、諸星さん俺が交代すっから!」


 傘を差しだして交代をせがむ神崎君なのだけど。


「……別に、大丈夫です」

「え?」

「……嘘です。交代お願いします」

「あ、ああ、じゃあ代わりに日傘頼むわ」

「はい」


 心境の変化でもあったのかもしれないね、怒ってるよりかは全然良いと思う。

 諸星さんに日傘をさして貰って、神崎君の肩を借りながら保養所へと戻る。

 結局僕達が保養所に戻ったのは、時計の針が十時を指し示す頃になってしまっていた。


「けーま、けーま! ひえええぇ! けーま、ケガしてる!」

「ちょっと、大丈夫なのその怪我!?」


 僕達を出迎えてくれた皆が心配してくれて。 


 この場にいる人は全員優しいよねって諸星さんにアイコンタクトを送ると、彼女はツンとした唇をして、頬を染めたまま明後日の方を向いてしまった。


§


次話『許せない行為』

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