第35話 うまくいかない。

7/26 水曜日 AM05:00


 酷暑と呼ばれる真夏の暑さも、まだ空が東雲に染まる時間帯ならばそうでもない。

 二十度をちょっと超えたぐらいの、薄ら寒さすら感じる程の気持ちのいい朝だ。


「各々身体をほぐしておけよ、これから保養所の裏手のハイキングコース、約十五キロだ。予定時間は大体三時間、八時には戻ってきて朝食には間に合わせるから、そのつもりで頼むぜ」


 ぐっぐっと身体をほぐしている神崎君に対して、椎木さんが挙手をした。


「歩くだけでいんでしょ? 高低差ある感じ?」

「ああ、結構あるぜ。下調べした感じだとなかなかの絶望っぷりだ」


 絶望? どういう意味?

 今度は思わず僕が挙手してしまった。


「え、山登りではないんだよね?」

「高尾山ってあるだろ? アレに近い感じだな」

「え、じゃあ結構本格的だね……ノノン、ストレッチしっかりしておこうね」

「うん! ノノンの身体、好きにして!」


 意味が変わっちゃうよ。


 昨日の夜、女子部屋ではすぐに寝付いた訳ではなく、持ち込んでいたコスメグッズやらトランプやらで結構盛り上がっていたらしい。学校のクラスでも日和さん古都さんと楽し気に会話しているから、女性同士で楽しむ分には何も問題ないのかもしれない。


 ノノンが成長してくれて、僕としても嬉しい限りだ。

 そんな事を考えていても、椎木さんのキツイ視線が飛んでくる。

 そんなに焦らなくとも大丈夫だと思うのに、何をそんなに急かしてくるのかな。


「うー! 背中伸びるー!」

 

 ノノンと二人、背中を向け合い腕を絡め、お尻を合わせて相手を背負う。通称青天井。

 これをしていたら、既にうっすらと汗をかいている諸星さんが僕達に話しかけてきた。

 

「あの、ウォーキングの最中も腕輪外さないつもりですか?」

「え? うん、歩くだけなら普段から腕輪つけっぱだから」

「でも、さっきも神崎君が言っていた通り、高低差ある場所だと危険じゃありません?」


 言われてみればその通りだ、朝露でぬかるんだ道もあるかもしれないし、僕が転んだ拍子にノノンも一緒に転倒してしまう危険性だってある。平坦な道を歩く訳ではないのだから、この腕輪は外しておいた方が無難と言えよう。


「そうだね、諸星さんの言う通りかも」

「……けーまぁ」

「腕輪は外しておこう。でも、その代わりに手を繋いで歩こうか」

「――! うん! ノノンそれで我慢する!」


 鎖をしていようがしていなかろうが、僕達は手を繋ぐんだ。

 身体の一部分が触れているととても安心する、ハイキングで手を繋いでも何の問題もないさ。


 そんな感じで始まった諸星さんダイエット計画二日目、十五キロのウォーキングは青々とした草原の中を歩く道であったり、雑木林の中やちょっとした山道もあったりで、かなり自然を満喫できるものであった。


 でも、高低差のある十五キロはやっぱりというか、予想以上にキツイ。

 まず最初に音を上げたのが四宮君で、ついで諸星さんだった。

 休み休み歩いていたのだけど、今の季節は夏、日が上がれば上がるほど気温も上昇してくる。


 吸い込む空気の質が変わる、喉に引っ掛かる熱と臭いを持った空気。

 カブトムシの巣箱の中で深呼吸したみたいな不快感が、僕達の肺を支配する。

 

「ちと時間が掛かり過ぎてんな……予報だと九時には三十度を超えるぜ」

「今ってどのぐらいなの?」

「まだ十キロ歩いたぐらいだな」


 現在時刻は既に七時半、二時間半で十キロか……相当なスローペースだ。


 周回する感じのウォーキングなら途中で止めれるけど、今回のハイキングコースは途中離脱なんて不可能なコースだ。山の中を歩ききるしか戻る道が存在しない。残り五キロを歩くにしても、体力が尽きかけた状態で歩くのだから、更に時間が掛かる事は必須だろう。


「ノノンはまだ歩ける?」

「ノノン、元気だよ!」

「じゃあ、僕と神崎君で諸星さんのサポートに回るから、椎木さんとノノンで四宮君のサポートをお願いね。一人が前、もう一人が後ろから押してあげれば、ちょっとは助けになるだろうからさ」


 このまま時間だけかけてしまうと、猛暑のなか歩く羽目になる。

 天気予報では今日の最高気温は三十八度だったはず、まだ涼しい今の内に歩かないと危険だ。

 

「大丈夫だから、触らないで」


 こんな状態なのに、諸星さんは僕達の補助を拒んだ。

 段差に座り込み、立つことも辛そうにしているのに。


「バカ野郎、そんなこと言ってる状態じゃねぇだろ」

「後からついて行くから、私なんか無視してとっとと行きなさいよ」

「お前なぁ、家でもワガママばっかり言ってるから、こうして皆に協力して来てもらってるんじゃねぇか。俺と黒崎でサポートしてやっから、頑張って歩こうぜ?」

「うるさいなぁ、ほっといてよ!」


 神崎君が差し出した手を、諸星さんは結構な勢いで払いのけた。

 バチンッて音が聞こえる程の威力に、一同沈黙する。


「大体ねぇ、一体いつ私がダイエットをお願いしたの!? 保護観察だけしてればいいじゃないの! 死ななければいいんでしょ!? 高校卒業したらお別れなんだから、そんなにベタベタして来ないでよ!」

「お前なぁ……」

「そうやって私のことをお前呼ばわりする! 人のことをお前って呼ぶ奴、私は大嫌いなんだ! 神崎君、優しくないよ! 私は黒崎君みたいに優しい人がいい! 早く行けよ、私の前からいなくなっちゃえよ!」


 まるで悲鳴のように叫ぶ彼女の意見を受け、神崎君は両肩をすくめた。

 さすがに売り言葉に買い言葉で喧嘩をしたりはしないけど、その眼が語っている。

 

 後を頼むぜ黒崎、と。

 無言で頷くと、神崎君は片手を立てて〝すまねぇ〟とジェスチャーをした。

 そんな様子を見ていた椎木さんが腕を組んだまま、僕達に近づいて小声で質問する。 


「結局、どうするの?」

「椎木さんと火野上さんとで四宮を頼むわ。俺は走って保養所まで戻って、日傘とか冷たいモノを持ってここに戻るよ。十キロくらいのマラソンなら普段からしてるからな、とはいっても一時間半くらいは掛かっちまうかもしれねぇけど、それぐらいなら諸星さんも耐えられるだろ」 


 既に十キロを歩いているのに、これから走って往復十キロをするっていうのか。

 無論、そこから五キロ歩く訳で……神崎君、凄いな。


「さすがに諸星さんを一人にする訳にもいかねぇしな。じゃあ黒崎、後を頼む」


 パンパンっと太ももを軽く叩いた後、神崎君は軽やかな足取りであっという間に見えなくなってしまった。


「四宮君、歩ける?」

「……はい、大丈夫です。椎木さん、すいません、ご迷惑をお掛けしてしまって」

「大丈夫よ、貴方が気にする必要なんて何もないわ」


 状態から察するに、諸星さんよりも四宮君の方が具合が悪そうだ。

 汗が出ていない、水分補給はしているけど、体温がかなり上がっている証拠だろう。


「……けーまぁ」

「ノノンは四宮君をお願いね」

「うぅ……わかった。けーま、帰ったら、一緒に休もうね」


 本当は僕と一緒にここに残りたいんだろうけど、椎木さんだって女性だ。

 男である四宮君を一人で見ながら五キロを歩くのは大変だろう。


 こうして、各々の役割分担が決まり、僕は自分の役割を果たすべく諸星さんの隣に座った。

 上下ジャージ、首に巻いたタオルは汗で変色してしまう程に汗をかいている。

 頬が紅潮しているし、汗も凄いかいてるけど、呼吸は荒くないし大丈夫そうだ。


「……なによ」

「ああ、ごめん、健康状態はどうかなって思ってさ」

「……別に、大したことない。少し休めば普通に歩ける」

「そっか、なら良かった」


 諸星さんと二人きりの時間が、始まった。


§


次話『惚れてはいけない人』

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