第29話 熱々な旅行の始まり。

 関東圏に住む僕からしたら、富士山とは〈天気のいい日に遠くに見える大きい山〉というイメージしかない。地上三十階、高層マンションの最上階に住んでいても、それは変わらない。晴れた日には西の方に見える富士山も、曇りや雨になれば全く見えなくなってしまうものだ。


「けーま、なに見てるの?」

「ん、富士山が大きいなって思ってね」

「ノノン知ってるよ! 富士山は日本一、大きい山なの!」

「そうだね。じゃあ、日本二位の山はなんだか知ってる?」

「……けーまの意地悪」


 褒めて欲しかったんだろうね、ノノンの天狗になってた鼻が、ぽっきりと折れちゃった。

 むすーってしながら右腕の鎖をじゃらじゃらさせてる。

 なんだか可愛いから頭を撫でてあげると、ノノンはぽんと倒れ込んで、僕の膝を枕にした。

 誰もいない自動運転の車内なんだ、自由にさせても問題はない。


 七月二十五日、火曜日。


 夏休みに入った僕達は、同じ青少女保護観察官である神崎かんざき沙織さおり君の提案により、山梨の保養所へと向かう事になった。


 期間は長く、八月四日までの十泊十一日を予定している。


 「短かったらダイエットなんか出来ねぇだろ」という神崎の言葉の通り、主な目的は神崎君の保護観察対象である、諸星もろぼし綺麗きれいさんのダイエットに付き合うことだ。


 先日、神崎君から『旅のしおり』が送られてきて、中を確認するとそれなりにハードな内容であることが判明した。二日に一回のウォーキング十五キロ、保養所施設内にあるプールでの水中運動、夜はストレッチを兼ねた室内運動と、朝から晩まで身体を動かすらしい。


 運動の日がハードな代わりに、そうじゃない日は娯楽のみとされていた。保養所裏にある川での水遊びや、河原でのバーベキュー、夜は肝試しなんかも計画されているみたいで、神崎君の力の入れようがこれでもかってぐらいに伝わってくる。


 それらを保護観察課の渡部さんに報告すると『話は聞いているよ、楽しんできなさい』と旅行を許可され、自動運転の車まで手配してくれた。旅行の当日となり、それなりの荷物を積み込んだ僕達は、笑顔で車に乗り込んだ……というのが現在の状況だ。


 既に車は高速道路を走っていて、遠かった富士山も今では見上げる程の大きさを誇っている。

 さすがは日本一の山、見ているだけで飽きない。


『まもなく二時間になります、サービスエリアにて休憩しませんか?』


 もうそんな時間か。

 景色も綺麗だしノノンも可愛いしで、あっという間だったな。


「ノノン、トイレ平気?」

「トイレ、行く!」

「じゃあ、一旦腕輪外しとこうか」


 サービスエリアのトイレに僕が着いて行く訳にはいかない。

 鍵を取り出して腕輪を外そうとすると、ノノンが鍵穴を指で塞いでしまった。


「腕輪外すの、やだ」

「ノノン……」


 思わず抱き締めてしまう程に、可愛いと思った。

 首筋から香るノノンの女の子としての匂いが、僕の心を興奮させる。


「きゃう……くふふ、けーま、ぎゅー好きね」


 ノノンと鎖でつながってから既に一か月。学校生活でも鎖がある生活が日常と化しているし、繋がったまま買い物にだって出かけている。シャトーグランメッセからは出る必要がないから、僕達の行動範囲はとても狭い。でも、屋外であっても僕達は鎖で繋がったままなんだ。


「じゃあ、このまま行こうか」

「うん。けーま、女子トイレ入る?」

「さすがにそれは無理かな」

「くふふ、冗談だよ」


 二人鎖で繋がったまま、にまにま笑顔のノノンと二人で車を降りる。

 談合坂SA、とても大きいサービスエリアは、沢山の人で賑わっていた。 

 

「じゃあ、一旦外そうか」

「……うん」


 鍵を差し込んでカチャリと音がすると、僕達の腕輪はあっさりと外れた。

 外れて分かるのが、肌が腕輪焼けしちゃってることだ。

 腕の色がそこだけ全然違う。ノノンは傷を隠す関係上、あまり色の差は見られない。

 それでも、若干の色素の差が出てしまっている。

 それを見て、ノノンは口端を緩ませるんだ。


「外れても、繋がってるね」

「そうだね……トイレ、行かないの?」

「にへへ、行く」


 シャツワンピースと呼ばれる丈の長いシャツを着たノノンは、くるりと回ってからトイレへと向かっていった。茶色いワンピースに白の細身のパンツがとても可愛らしい。僕も男子トイレに行こうかと思ったけど、なんとなくトイレ前に設置されていたトイレ内マップに目がいく。


(へぇ、サービスエリアのトイレって、どこの個室が使われてるって分かるんだ)


 ぼーっと眺めていると、四角く区切られたマス目の中の赤い電球が、一か所新たに点いた。

 見てた限り、トイレに入ったのはノノンだけだ。つまりあそこに……。

 ……見てちゃいけない気がする。僕も用を足しに行こう。

 

「けーま、お待たせー」

「僕もいま出たとこだよ」

「ん」


 差し出された右腕に腕輪を嵌めると、ノノンは嬉しそうに微笑んだ後、僕の手を絡めるように握り締めた。鎖で繋がっていても、こうしていると単なるファッションにしか見えない。仲の良いカップルならこれぐらいしても当然、そう見える感じだ。


 有名なサービスエリアだからか、店頭に並んでる商品もテレビや動画のCMで見た事あるものが多くて、試食もしたりしながら、僕達は二人でいろいろと満喫してしまっていた。


 そんな時、ふいに子供の声が耳に入る。


「あれー? あの人達、鎖で繋がってるよー? 悪いことしたのー?」


 悪意のない奇異の視線に、僕は一旦歩みを止めた。


「悪いことしてないよ、あの人たちは仲良しなんだよ」

「そうなんだー、変なのー」

「そういうこと言わないの」

 

 ご両親は青少女保護観察官の制度を知っているからか、僕達の状態を見ても何とも思わなかったみたいだけど。子供の純粋な目で見たら、やっぱりこれは普通の状態ではないのだろう。でも、普通じゃない理由は、ノノンがダメだからという意味じゃない。


「けーま、外す?」

「いいよ、ノノンのことが大好きすぎて、こうしないと抑えられない僕がダメなんだからさ」

「……ノノン、ノノンの方が、けーまのこと好き」

「ふふっ、どっちが上だろうね」

「ノノンの方が上! けーまの負け、残念でした!」


 残念なのかな、どっちもお互いが好きって意味だと思うんだけど。

 両想いなのは分かってる、こんなにも愛おしく思えるのだから、間違いはない。


「そろそろ行こうか」

「けーま、日和と古都、お土産は?」

「帰りにも買う時間あるから、帰りにしとこ」

「わかった! 日和と古都、何が喜ぶかなー?」


 何が欲しいか、聞いてしまった方が早いんだろうけど。 

 こういうのは相手を考えて買うのが一番喜ばれるからね。


「時間はいっぱいあるから、沢山悩んで買って帰ろうね」

「うん!」


 素直なノノンと手を繋いで、夏の日差し全開の駐車場へと向かう。

 僕達を検知していたであろう車内は既に涼しい、空調がない時代じゃなくて良かった。

 ちなみに鎖はプラスチック製で、夏の猛暑であってもそれほど熱くならない。

 これが鉄だったら重いし熱いしで、多分付けてられなかっただろうな。


「ふぃー、あちちち」

「……」


 胸元をぱたぱたとさせるノノンの無防備な仕草に、思わず目が行く。

 日和さんが言っていた、ノノンはEカップはあると。

 谷間に流れていく汗の雫が、とても色っぽい。


「……」

「あ、ごめん」


 いつの間にか、シャツワンピースの襟をもったノノンが僕を見ていた。

 じとーっとした目で見られていて、思わず謝罪してしまう。


「ノノンのおっぱい、見たい?」

「……ノーコメントで」

「しょーがないなー、けーまには特別に見せてあげよう」

「ダメダメダメ、車の中には監視カメラあるから、知らない人に見られちゃうよ」


 ぐって当然のように持ち上げるから、焦るよ。

 

「くふふ、けーま、可愛い」

「僕は可愛くないよ」

「んーん、可愛い、一番可愛い、大好き」


 涼しくなった車内なのに、熱々なノノンと二人、保養所へと向けて車は動き出す。

 サービスエリアに長居しすぎちゃったかな。神崎君に連絡入れておかないと。

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