第28話 それから。
「おはようノノン」
「桂馬……おはよう」
朝、目が覚めると隣に彼女がいる。
それはこれまでと変わらない事なのに、目の前にいるとなると、やっぱり違う。
僕の左腕と彼女の右腕に嵌められた腕輪と、繋がる鎖。
僅かな重みのそれが揺るぎない信頼の形となって、僕達の間で揺れ始める。
僕達はこの鎖について、幾つかの約束事を設ける事にした。
一つは、当然ながら極力外さないということ。
着替えとか、そういうどうしようもない時以外は一緒にいる。
無論、トイレの時も外そうと思う。そこまで一緒なのは、多分目的が違うから。
その代わり、それ以外の時はずっと一緒だ。
ご飯を作る時も、食べる時も、お風呂に入る時も、ずっと。
もう一つは、学校にいる時も、別教室に行く時以外は付けておこうということ。
他のクラスメイトの目もあるにはあるが、僕達の鎖が様々な抑止力に繋がる。
それはすなわち、情緒が不安定なノノンの心の安定剤にも繋がるんだ。
最後に、誰か一人でもやめた方がいいと言ってきた場合は、素直に外すこと。
僕の彼女へと許される行為は、客観的にそれが暴力だと認められない事と定義されている。
無論、その人の前では外そうという、消極的な意味ではあるのだけれど。
「ノノン、悪いことしてるみたいで、楽しい」
「うん、僕も楽しい。それにちょっとだけ興奮してるかも」
「興奮は、ずっとしてる。ノノン、桂馬と繋がってるだけで、興奮止まらないよ」
蕩ける瞳を僕へと向けて、当然のように腕にしがみつく。
昨晩
急な変化は、きっと毒になる。
僕達には時間が沢山あるのだから、ゆっくりと変えていけば、それでいい。
『なるほど、了解した。青少女保護観察プログラム開始時に説明した通り、黒崎君にはそれが認められている。何も気にする必要はない。そうだ、学校にも私から連絡を入れておこうか。そうすれば火野上さんが別教室に行くという不安要素が無くなり、より一層勉学に励むことが可能となるだろう。先日の二人の学友との距離も縮まる。授業中のみ彼女だけ通信教育にすればいいだけのこと、いかようにも出来るさ』
僕達のしたことを、渡部さんは気持ちの良いくらいに肯定してくれた。
渡部さんだけじゃない、夏の制服に着替えた僕たちが腕輪をし、鎖で繋がっているのを見た大人達全員が、目を細めながら微笑み、何一つ変化のない日常の景色として受け入れてくれているんだ。これが青少女保護観察官として僕に許されていた事なのだと、改めて認識する。これまでは絶対に許されなかったこと、同世代の異性と鎖で繋がれたまま屋外を歩く、性癖が歪みそうな程に緊張し、歯がゆいまでに僕は喜びを嚙みしめていた。
『一度職員室へと足を運んでから、教室へと向かうといい』
渡部さんに言われた通りに職員室へと向かうと、いつも通り流河先生が僕達を迎え入れる。
ショートカットから覗く瞳を細めながら、足を組み、吟味するみたいに僕達を眺める。
服装の乱れを確認する風紀な視線をしながらも、鎖を見ると妖艶に微笑むんだ。
最初から先生は僕のことを肯定してくれていた、一緒になるのなら、それでも構わないと。
「黒崎君、それでいいのね?」
「はい、僕がこうして欲しいと、彼女に望みました」
「そう。なら、私達がどうこういう事じゃないわね。ただ、他の生徒達からは奇異の視線を向けられてしまう事でしょう。もしそれらについて不安、不満があるようでしたら、遠慮なく私達大人を頼って下さいね。この前の上袋田君の時みたいに、暴力沙汰になる前にね」
付け加えられた言葉に、素直に驚いた。
「把握されていたのですか」
「当然よ、この学校にいくつ監視カメラがあると思っているの? それに別館は基本出入り禁止、誰かが侵入しただけで警報が鳴ってね、先生たちは一斉に確認に行くんだから。あの時は、青少女保護観察官の黒崎君がいたから踏み込まなかっただけよ」
僕に与えられた権限の大きさは、多分、僕の想像を遥かに超えている。
元より異常なんだ、同い年の女の子と同棲して、彼女を更生して欲しいとか。
そんな異常だらけの中で、僕がどれだけ平常なままでいられるか。
どれだけ他との差異なく、彼女を愛する事が出来るか。
「いろいろと、ありがとうございます」
「感謝するのは私達大人の方、こちらこそありがとうね。火野上さんをたった二ヶ月でこんなにも素敵な女性に変えてしまったのですから。でも、女心は秋の空って言ってね。火野上さんの気持ちだって、今は黒崎君にどっぷりと浸かっていても、またいつ変わるか分かりませんからね。しっかりと捕まえておかないと、すぐに逃げちゃうかもしれないわよ?」
ノノンを求める男は沢山いる、それこそ三桁ではきかない程にいるのだろう。
でも、もう彼女は僕と繋がっているから。
鎖で繋がり安心しているのは、むしろ僕の方かもしれない。
こうしているだけで、彼女は僕から離れることはないし、離れようともしない。
「けーま、教室でも、ノノン一緒?」
「ずっと一緒でいいってさ。良かったね、ノノン」
「うん! えへへー、ノノン一人嫌だったんだ。これからはノノンも高校生だね!」
「これまでも高校生だったんだよ」
僕たちの間に揺れる鎖の重さは確かにある、傍から見たらそれはきっと異常なのだろう。
それでも、彼女と一緒なら笑っていられるんだ。
「うわ、黒崎それは引くわー」
ごくごく自然に一般論を述べるのは、教室でイチゴミルクを飲む古都さんだ。
「精一杯の努力と我慢の証として認めて下さい」
「ノノンもいっぱい我慢した! セックスしなかった!」
ざわって教室内の視線が僕達へと注がれる。
前の席の小平君が眉間にシワを寄せながら振り返るも、何も言わずゆっくりと元に戻った。
「ノノンちゃん、そういうのは教室じゃ言わないんだよ」
「ひよりー、ごめんなさい」
「いいよ。ねぇねぇ黒崎君、ノノンちゃんが告白する時、なんか変じゃなかった?」
ノノンの赤い髪を櫛で梳きながら、日和さんはニマニマと僕を見る。
そうか、あの告白はお泊りした日に、日和さん達でノノンに教え込んだのか。
「……なるほど、理解しました」
「あはっ、上手くいったんだね。教えるの大変だったんだから」
「どうやって教えたのか、僕にもご指導ご鞭撻してください」
「ごし……?」
「僕にも教えて下さい日和さんって意味だろ。覚えたての言葉を使いたがるとか、黒崎も結構お子様なんだな」
「ビジネス用語は覚えたら使いたくなるものなんだよ」
「ノノン、ノノンも! ごくどーごへんたつしてください!」
「いいよ、またノノンちゃんに可愛い言葉教えてあげるからね」
「うん!」
日和さんとノノン、古都さんの三人は、休憩時間になると延々とお喋りするぐらいに仲が良くなった。本当なら鎖を外して、三人でどこか別の場所でお喋りとかでもいいんだろうけど。三人とも、それに関しては何も言わず。
授業中であっても僕達の間で揺れる鎖。重くないか気にしてみたりすると、彼女はニマーって微笑みながら僕の手を握ってきたりして。なんでもっと早くこうしなかったんだろうって考えてしまう程に、それは温かくて、優しさあふれる物へと変わってしまっていた。
『すげぇな、俺のアドバイスがあったとはいえ、一日中鎖で繋がるとか』
帰宅して直ぐに神崎君へと連絡する。
無論、真横にはノノンがいる状態でだ。
「神崎君ありがとうね。でも、そんなに珍しい事じゃないんだってさ。水城さん……ああ、ノノンの担当の人なんだけど、水城さんが言うには、相手を拘束したままにするっていうのは、青少女保護観察官としては結構あることなんだって。昔はそれを見た一般の人が、あれは奴隷なんじゃないのかって抗議したとかあったらしいよ」
『熊退治みたいなもんなんだろうな。問題に直面してる人じゃないと理解できない苦悩とか』
「あはは、そうかもしれないね」
『なんにしても、一歩前進だな。あーあ、俺の方も前進してくんねぇかな』
「諸星さん、ダイエット上手くいってないんだ?」
『十キロ痩せて三キロ戻った』
「あらら」
『そこで相談なんだが……黒崎、夏休みに青少女保護観察官だけが利用できる保養所に行かねぇか? 山梨の方にある施設なんだけどよ、川とか最長二十キロのハイキングコースとかもあるみたいで、ダイエットには最適だと思うんだが、さすがに一人じゃ行く気になれなくてな』
保養所。
ノノンと一緒に行ったら相当に楽しそうだ。
「ぜひ。あ、じゃあ椎木さんも誘ってみない?」
『おー、いいぜ、アイツも結構苦労してるみたいだからな』
「そうなんだ」
『たまには連絡取るといいぜ、悩みは誰だって抱えてるもんだからな』
青少女保護観察官なんていう特殊な職業に高校生でなってるんだ、悩みが無い方がおかしい。
悩んで悩んで悩みぬいて、そして同じ悩みを抱える人たちとで相談して、解決策を探して。
そうやって、僕達は成長し、答えを導き出していくんだ。
「分かった、さっそく連絡してみる」
『あいよ! じゃあ保養所の方は俺の方で手配すっから、宜しくな!』
「うん、楽しみにしてるね」
夏の保養所か……ノノンの傷のことを考えると、一般の人が行くプールとか海は避けたかったから、ちょうどいいかも。
「ノノン、夏に……って、どうしたの」
さっきまでタブレットで動画見てたのに、ぎゅーってくっついてきた。
どこはかとなく怒ってる感じもする、どうしたんだろ。
「けーま、知らない人と話してるの、不安になる」
「保護観察官同士の会話だから、大丈夫だって」
「でも、ノノンの知らない人」
「あ、それなら今度顔を合わせる事になると思うよ。夏休みに保養所に行こうって話になっててね、ハイキングとか川でバーベキューとか、いろいろと楽しめるんだってさ」
楽しそうな単語が出てくるだけで、ノノンのルビーみたいな瞳が一気に輝きを増していく。
「ハイキング! バーベキュー! ノノンしたことない!」
「そっか、いっぱい楽しめるといいね」
「うん! 今からいくの!」
「夏休みだから、今からじゃないかな」
「やーだ! 今からがいい! けーま、ノノンとハイキング行こ!」
僕の知らないいろいろな事を経験しているノノンだけど、彼女だって知らないことも沢山あるんだ。ひとつずつ経験していこう、僕とノノンと二人で、ゆっくりと。
七月。
草の匂いと共に、夏の風が僕達を包み込む。
彼女と過ごす初めての夏休みが、始まろうとしていた。
§
次話『閑話……目に見えない場所で起こっている問題。』
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