第27話 僕は、非行少女と鎖で繋がる。


 初めての夜を迎える日には、印をつけよう。

 そんな女の子みたいな考えのもと、僕はリビングにあるカレンダーに丸を付けた。


 六月十九日、月曜日。

 今日、僕はノノンと同じ布団に入って、一緒に眠る。


 セックスをする訳じゃない、ただ、一緒に布団に入って寝るだけ。

 神崎君のアドバイス通り、僕にはノノンの過去を受け止めるだけの自信がない。

 時間を掛ければ、いずれは消えてなくなる不安なのかもしれない。

 けど、そうじゃないかもしれない。


 前に、日和さんはこう言っていた。

 いま付き合ってる人と結婚するかどうかは分からない。

 大学生になり、社会人になり、もっといい人と出会うかもしれないと。

 

 まさしくその通りだと、僕も思った。 

 高校での出会いがそのまま大人になっても続いている人の方が、統計的に少ない。

 数十人の友人関係があったとしても、大人になったらいいとこ一人か二人なんだ。


 でも、その後の古都さんの言葉。

 最初から別れるつもりで付き合うカップルはいない。

 この言葉も、僕には正しいと思えたんだ。


 ノノンの事が好きかと言われたら、現状間違いなく好きだと言える。 

 彼女もきっと好きだと言ってくれるに違いない。自惚れかもしれないけど。


 けど、それは本当に子供じみた好きという感情であって、生涯を共にする「愛している」という言葉とは程遠いものだと、僕は感じている。心の底から彼女を想い、愛していれば、そもそもこんな事で悩むことすらないはずなのだから。


「けーま、お風呂、入る?」

「うん、ノノン、先に寝ないで待っててね」

「……うん、ノノン、待ってるよ」   


 いつもみたいにくっついてこない、彼女も何かを察しているのだろう。

 一応説明はした、傷つかないように、必死に言葉を選んで、ゆっくりと。

 一緒に寝るけどセックスはしない、その事に彼女は同意してくれたんだ。

 

 お風呂上りの彼女は頬を赤らめ、ぽかぽかとした体温そのままにソファに座り込む。

 動画の視聴をし始めたのを見届けると、僕も浴室へと向かい、身体を温めた。

 出来る限り、目一杯身体を綺麗にして、それから湯舟を出る。


 果たして彼女はソファで座ったまま。

 僕がお風呂から出てくるのを素直に待っていてくれていた。


 テレビは消えている。

 音はない。


「ノノン」

「……うん」


 差し出した手を、握り返してくれる感触が、いつもと違う。

 彼女の手が、少しだけ汗ばんでいた。

 困ったように眉を下げながらも、嬉しそうな顔をしつつ、でもやっぱり困ったまま。

 とても可愛いと思った、こんなノノンを今まで見たことがない。


 どっちの部屋で寝るか悩んだけど、ノノンが僕の部屋に来ることになった。

 自分の枕を抱き締めながら、とことことやってきて、僕の布団に飛び込む。

 しばらく布団に顏を沈めたあと、ぴょいと身体を起こして、嬉しそうに微笑んだ。


「けーまの匂いがする」

「毎日そこで寝てるからね」

「これ、ノノンの匂い、する?」


 ついっと差し出された枕、香るのは間違いのない、彼女の匂いだ。


「うん、ノノンの良い匂いがする」

「えへへ。じゃあこれ、今日は使ってね。枕、交換こしよ」


 枕の交換なんて、考えたこともなかった。

 言われるがままに交換して、手にした枕に鼻を近づけてみる。

 ノノンが側にいるのに、目の前にもノノンがいるみたいだ。


「じゃあ、失礼します」

「失礼されます、んふふっ、けーま」

 

 シングルベッドにノノンと二人、夏用の薄い掛け布団を一枚だけかけて横になる。

 目の前に横になったノノンがいて、とても可愛いと思えて、良い匂いしかしなくて。

 何もしていないのに、彼女を求めそうになる自分がいる。

 このまま見ていたら、それだけでキスしたり、他にも、いろいろと。


「電気、消すね」

「うん……けーま、おやすみなさい」


 横になったまま、言葉で機械に命令する。

 明るかった部屋が一瞬で真っ暗になって、隣にいるはずのノノンの姿も見えなくなった。

 遮光カーテンは一切の光を遮断し、騒音は防音の部厚い壁が全てを遮ってくれている。


 とても静かで、屋鳴りすらしない高級マンションの最上階。

 僕とノノンは二人だけの部屋で、ほんの数センチの距離で、一緒に眠りについた。


 とても静かだった。

 様々な妄想が頭の中を支配し続けたけど、時薬ときくすりがそれらを癒していく。

 心臓のドキドキもいつしか鳴りやみ、意識がふわりと抜けるような感覚に襲われる頃。


 隣で横になるノノンの僅かな動きが、布団越しに振動となって伝わってきた。

 僕に悟られまいとする、時間を空けての彼女の営み。


 性依存症。

 

 彼女が好きでそうなった訳じゃない。

 何年もの積み重ねで、彼女は毎晩のように自慰行為をしてしまうんだ。 


「…………ぁ……」


 声を殺した彼女の声で、僕の意識が一瞬で覚醒した。

 部屋越しに毎晩聞こえていた荒い吐息が、数センチ横から聞こえてくる。

 必死になってバレないように、微かな動きで最大限の快楽を堪能する。

  

 でも、それでも、くちゅくちゅという音と、彼女の身震いが僕の触感に響き渡るんだ。

 無駄に聴覚が鋭敏になり、彼女から発せられる全てを聞き逃さんと意識してしまう。

 

「……ぇ……っ! けぃ……っぁ! …………あっ、はぁっ、はぁ、はぁ」


 僕の名を呼びながらするその行為は、次第に静けさを消していく。

 もうバレてもいい、どうなってもいい、そんな彼女の心の声が僕を襲った。

 一瞬だけ激しく揺れる身体、高まる体温は、きっと布団のせいじゃない。

 

「けーま」


 目を閉じたままの僕の名を、彼女が呼ぶ。

 応える訳にはいかない、今日は一緒に寝るだけと決めたのだから。

 もぞもぞと近づいてくる甘い匂い、彼女の香りが居場所を鮮明にする。


 多分、僕の寝顔を眺めているのだと思う。

 真っ暗な部屋、だけど、次第に暗闇に目は慣れてしまうものだ。

 何を想い、何を考え、彼女は僕を見るのか。 


「……」


 仰向けに寝ている僕の左手は、彼女に一番近い。

 僕の手を探り当てると、彼女はそれを自分の下腹部へと押し当てた。 

 人差し指の側面、親指へと抜ける場所が、これまで以上に柔いどこかに触れる。

 

「……あっ…………、んっ…………」


 指の側面がわずかな突起に触れると、彼女は声を上げた。濡れる太ももの柔らかさ、熱を帯びた粘りつく液体が糸を引いていき、人差し指の爪が凹みを感じ、静かな湖面で揺れる小舟のように揺れ動く彼女の腰は次第に速度を速め、左手の五指全てが彼女の体液でびしょ濡れになり、それでも彼女は僕の指を自らの股間で堪能し、耽美たんびし、味わい、繰り返していき、僅か数分で全身に電気が走ったみたいに痺れ、びくびくとその身を振るわせた。


 温かい液体がどんどん溢れて来る。

 熱いくらいに火照った身体が、僕の真横で息を荒げた。

 

「はぁ、はぁ、けーまぁ」


 顏が沈む、両手を僕の横に置いたのだろう。

 覆いかぶさるようにしている彼女から漏れ出る声は、今にも泣きそうだった。

 いや……泣いていた、顏にかかる水滴が、いやでも僕に教えてくる。


 瞼を持ち上げると、暗闇のはずなのに、彼女の顔がハッキリと見えた。

 歯を食いしばり、鼻をひくひくさせながら、眉をハの字にして、ぽたぽたと涙を落とす。

 そんな、苦悶の表情だ。


「けーま、ノノン、苦しい」


 壊れた蛇口みたいに、彼女の口から言葉が溢れてくる。


「ノノン、けーまとえっちしたい、凄くしたい。でも、古都はしちゃダメって言ってた。ノノンたちには、まだ赤ちゃんダメだから、えっちダメって言ってた。日和もしないって言ってた。みんなダメって言ってた。ノノンを幸せにしてくれる人、みんながダメって言ってた。でも、ノノン、けーまとえっちしたい、凄いしたい」


 身体が求めているのに、頭が否定している。

 葛藤、その苦痛は、彼女をこれまで以上に苦しめるものだ。 


「ノノン、セックスしたいよ。でも、我慢してる。すっごいしたい、今も桂馬の欲しいって思ってる、ずっと入れて欲しいって思ってる、我慢してる、頭がおかしくなりそうなくらい我慢してる。ノノンバカだから、セックスしか出来ないから、ダメなのにしたいってずっと思ってる」


 出来ない、絶対に出来ない。

 僕とのセックスは、彼女にとって愛のある最高のセックスになってしまう。

 そのセックスは彼女だけじゃない、僕をも破滅へと誘う諸刃の剣だ。

 二人して快楽に溺れ、もがき苦しむだけの最低の選択。

 そんなのを、ノノンにさせる訳にはいかない。


「けーま、好き、ノノン、桂馬のことが、大好き」

「ノノン」

「桂馬は、ノノンのこと、好き?」

「……うん」

「本当? でも、ノノン不安だよ。心が壊れそうになるくらい不安だよ。他の女の子と会話してる時も、一人で別教室にいる時も、報告会の時も、夜一人で寝てる時も、ずっとずっと不安だよ。桂馬の周りにはいつも誰かがいる、電話で相談できる相手がいる。ノノンの周りには誰もいない、桂馬しかいない、ノノンバカだから、桂馬がいなくなるって不安になる。いなくなるのヤダ、卒業したら分からないのやだ、やだなの、やだ、ヤダヤダヤダ、ノノンだけの桂馬がいい、バカだから、ノノンバカだから、ノノンだけの桂馬にしたい」


 僕は、火野上ノノンのことが好きだ。


 上袋田君の時に感じた感情、憎悪ともいえる感情を一瞬で抱いてしまう程に好きだ。

 目の前で僕とセックスが出来なくて涙する彼女を見て、興奮してしまう程に好きだ。


 彼女が隣で自慰を始めた時から、僕の股間は毎晩のようにいきり立ち、壊れてしまう程に硬く、膨張し続けている。こんな状態の僕がセックスを拒む理由なんてどこにも存在しない、してはいけない事が間違っていると考えてしまう程に、彼女のことが好きだ。


 何も考えず抱いてしまえばいい、それがどれだけ楽で、どれだけダメな選択か、残念ながら僕は理解出来てしまう。彼女もそうだ、それらが全ていけない事だと認識し、理解し、解釈したからこそ、セックスが出来ない苦しみを味わい、嘆き悲しみ、苦しんでいる。


 僕達には、セックス以外の何かが必要なんだ。

 それと同じぐらい安心を与え、束縛し、証明を果たす何かが。


「ノノン、ちょっとだけ、いいかな」

「けーま……」


 上体を起こし、泣き虫な彼女の涙に、そっと触れる。


「僕も、ノノンのことが好きだ。でも、皆が言うことも正しいって僕も思う。今この瞬間にノノンとセックスしたら、間違いなく最高に気持ちいいって分かる。僕だって毎晩ノノンの声を聴きながら、この部屋で一人でしてたんだ。一日じゃない、ノノンがしてる時に毎日してた、一日も欠かさずにしてた、壁一枚挟んで興奮してる、そんなノノンを想像しながら一人でしてたんだ」


 口元に手を当てながら、ノノンは出そうになる言葉を必死に堪える。

 大好きな人が自分を想像しながら自慰をしてくれている。

 そんな歪みつつも理想的な出来事が、毎晩壁一枚挟んで行われていたんだ。


 今だってそうだ、夏の薄着は僕の興奮を一切隠さない。

 ノノンはそれを嬉しそうに眺める、でも、触らせない。  


「一度したら抜け出せない、ノノンも僕も歯止めが利かなくなる。絶対にいつの日か赤ちゃんが出来てしまう、そんな予感がする。そうじゃなくても高校生でセックスはダメなんだ、稼ぎが一円もないこの現状で、僕はノノンを抱く事は出来ない」

「桂馬、ノノン……」

「だから、僕から一個だけ提案させて欲しい」


 不思議がる顔をしたノノンをベッドに残し、僕は部屋の隠し戸を開ける。

 中に入っているのは、本来彼女のみを拘束する為の道具だ。 

 手錠、首輪、スタンガンまで常備されたその中から、僕は手錠を取り出した。


 手錠……というよりも、これはどちらかと言うと腕輪に近い。

 筒状の五センチ程度の腕輪、縦に開き、閉じると鍵が掛かる仕組みの腕輪だ。

 それが二つあり、鎖で繋がっている。


 本来、左右の腕につけて拘束するものなのだろう。

 鎖の長さも手錠よりもゆとりがあり、引っ張ったとしても痛みが少ない。


「これを、僕は左腕につけるから、ノノンは右腕に付けて欲しい」

「……ノノンとけーま、繋がっちゃうよ」

「うん、繋がっちゃうね。だから、もう僕から離れることは出来なくなるよ」


 離れられなくなる。ノノンがその言葉を理解すると、涙で濡れていた瞳に輝きが灯る。

 大きな赤い瞳がどんどんと大きくなると、ややもって静かに閉じられていき、雫が零れた。


「ノノン?」

「桂馬……ノノン、桂馬と出会ってから、毎日幸せ」

「うん」

「でも、今が一番幸せ……けーま、お願いします」


 差し出されたノノンの右腕、リストカットの傷跡が沢山残る右腕。

 手首に近い場所だけでも隠れるように、僕は彼女に腕輪をめた。

 次に、僕は自分の左腕に腕輪を嵌めて、カチャリと音が鳴るまでロックをする。


 自然と僕達の手が触れ合い、恋人のように繋がれ、距離がどこまでもなくなっていく。

 セックスはしない、でも、キスぐらいは。


「……ダメ」

「え」


 急にノノンが自分の口に手を当てて、最大限に距離を取った。

 鎖の長さは1メートルはある、ベッドの端までは行けてしまう。


「ノノン、虫歯だから」

「そんなの、別に」

「ダメなの。桂馬には、綺麗な歯でキスがしたい」


 ……治療が終わるの、一年後じゃなかったっけ。

 でも、既成事実の何もかもがないというのも、僕達らしくていいのかもしれない。


「ノノン、桂馬――」


 彼女が何か言いかけて、飲み込むように言葉を止めた。

 嬉しそうな顔をした後に、もう一度彼女は僕に正対する。


「私、桂馬が好き」

「……ノノン」

「大好き、迷惑いっぱい掛けちゃうと思うけど、これからも宜しくお願いします」


 はにかみながらされた愛の告白に、僕の胸は今日何度目かのドキドキを再開した。

 いや、一番ドキドキした。

 いつもつっかえながら喋るノノンが、きちんと喋り、しかも、私って自分の事を言うなんて。

 

「……寝よっか!」

「うん」

「手を繋いでも、いい?」

「もちろん」

「ふふっ、嬉しいなぁ」


 流暢に喋るノノンと手を繋ぎながら、二人でベッドにもぐりこむ。

 ほんの数分前まで泣いていた彼女は、安心したのか横になってすぐに寝息を立て始めた。


 繋がる鎖が外れる日は、そう遠くない。明日にも一旦は外れてしまうのだろう。

 このままじゃトイレにだって行けないし、着替える事も出来ない。


 でも、外してもすぐに元に戻そうと思う。

 これは、僕とノノンが繋がっている、大切な証なのだから。


§


次話『それから。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る