第17話 性依存症

「別名セックス依存症、普通の言葉だから、身構えなくていいからね。黒崎くろさき君の報告書を読んだあと、私の担当にお願いして彼女の詳細を教えて貰ったの。女の勘程度に捉えて貰っても構わないんだけど。例えば、自慰の回数が凄く多いとか、妙にスキンシップが激しいとか、惚れやすいとか。思い当たる所、あったりしない?」


 後半は分からないけど、前半は思い当たる所しかない。

 女の子の自慰の平均回数なんて知らないけど、火野上さんは多いと思う。

 椎木しいらぎさんは椅子を近づけて来て、周囲に聞こえないように声を潜めた。


「防音って言っても、それは外への防音であって、室内のは大体丸聞こえなのよね。その顔を見るに、思い当たる節があるってていで話を進めるけど。火野上ひのうえさんって自分の意思に関わらず身体を預けてたんだと思うの、それは決して気持ちの良いものじゃない、したくてしてるんじゃないんだから当然よね」


「……うん」


「で、ここからが肝心。黒崎君っていう存在は、火野上さんからしたらこれまで見た事ない人種なのよ。何をしても怒らない、何をされても乱暴しない。どんなに誘っても自分を抱いたりしない。火野上さんにとってセックスって気持ちの良いものじゃないかもしれない、それでもしたくなるのが性依存症なの。これまで我慢してるセックスへの願望が、何らかの拍子で……例えば、黒崎君が火野上さんを受け入れたとした場合。それはこれまでにないレベルで気持ちの良い、最高のセックスになってしまう可能性が高いの」


「最高のセックス?」


「うん、これまでと違う、愛に溢れたセックス。火野上さんの身上書を読むに、恐らく彼女は愛の無いセックスしかした事がない。全部が無理矢理で、全部が痛みを伴って……読んでて涙が出るくらいだった。とっても可哀想だと思うし、個人的に彼女には幸せになって貰いたいと心から思ってる。でも、だからこそ、黒崎君には必要以上に気を付けて欲しいの」


 波打つ髪を手で梳きながら、椎木さんは懇願にも取れる瞳を僕へと向ける。


「気を付けるって……僕はこれまでもこれからも、彼女とその………しないつもりだけど」

「もしその結果が、止められない彼女のセックス依存症によって、好きでもない男に抱かれる結果になったとしても?」

「それは……」


 許せないと思う。クラスメイトが火野上さんをスマホで釣ろうとしただけで、僕は拒否反応を心の中で抱いてしまっていた。もう彼女には不幸になって欲しくない、その為には何をしてもいいと思っている。でも、それが一生涯彼女と生活を共にする事だと言われたら。


「私は四宮しのみや君に自信を付けさせばいい。神崎かんざき君は諸星もろぼしさんを減量させればいい。でも、黒崎君の場合は違う。性依存症を持った彼女と三年間過ごし、その上で彼女が幸せになれる環境を、相手を見つけ出さないといけない。もし、何かの間違いで彼女との最高のセックスをし、その上で黒崎君が彼女を選ばなかったとしたら」

「最悪、自殺するだろうな」

「神崎君」

「事実を言ったまでだ」


 生ぬるい言葉じゃないだけに、神崎君の言葉は心に響いた。

 性依存症、火野上さんがそれに該当するかどうかは、僕達には判断がつかない。

 でも、火野上さんは身体を重ねる事で、安心を得て来ていたのは間違いのない事実だ。


 だとしたら、今のこの状況は、僕としてどう受け止めればいい。

 何も考えず、ただ彼女を綺麗にし、普通を目指していく。

 それしか考えていなかったのに。


「惑わす様な事を言ってしまっていたら、ごめんなさい。でも、多分事実だと思うから」

「まぁ、難しい判断だよな。俺達が同棲相手と一緒になるのは問題ないとはいえ、俺達にだって選ぶ権利はある。一時の感情に身を任せていいものか……とりあえず、俺は諸星さんと一緒になるつもりはねぇけどな」

「そうなの? 彼女、痩せたら美人かもよ?」

「関係ねぇよ、俺は今回の青少女保護観察官としてキャリアを積んで、この平凡な人生をのし上がるんだ。この場にいる以上、俺達は平凡のちょっと上でしかねぇんだからな」


 いろいろと困惑している中で、神崎君の言葉が引っ掛かった。

 

「平凡のちょっと上って、なに?」

「なにって言われても、そのままの意味だぜ?」  

「神崎君は思ってた以上にガサツな感じね」

「うるせ」


 手にしていた炭酸飲料をグッと一気飲みすると、神崎君は盛大にげっぷした。

 沙織って名前がこんなにも似合わない人、初めて見たよ。


「黒崎君は、青少女保護観察官にどんな子が選ばれるか、知ってる?」

「いや、あまり調べたことがなくて……もしかして、それが平凡のちょっと上ってこと?」


 足を組むと、彼女は膝に手を伸ばしながら軽く頷いた。


「うん、正解。その証拠に、学校でトップクラスに頭が良い人とか、スポーツ万能とか、結果を出している子はこの場にはいない。両親も普通、自分自身も普通、努力した所で一番上の人には敵わない、そう自負している子が選定される事が多いの。上も下も見ている中間の人、だからこそ、人の痛みも理解出来る。私たちは世間から言われる『良い子』って言われる存在なのよ」


 渡部さんが『良い子が集まっている』と言った理由がこれか。

 だけど、椎木さんはなぜその言葉と共に、表情を寂しそうにしたのだろう。


「そんな抜け出せない中間から、抜け出せるチャンスがこの青少女保護観察官だ。三年の内に同棲相手を国が望む人物へと成長させた場合、俺達だって官僚になれるって保証されてるんだからな」

「もっぱら、青少女保護観察課に回されるらしいけどね」

「それだって立派な公務員だろ? いつ海外に飛ばされるか分からない一般企業よりかは全然マシだぜ……っと、そろそろ解散の時間だな。どうだい、この三人だけでもSNSのグループ作らねぇか?」


 SNSのグループ。作りたい、作って入りたい。

 火野上さんのこと、もっと相談したい。


「僕はぜひお願いしたいです」

「あら、私もお願いしたかったところなの。神崎君って気が利くのね」

「似たような人間が集まってんだから、考えも似てんだろ」


 スマホのSNSを起動して、三人のコードをかざす。

 すぐに『宜しく』と椎木さんから送られてきて、続いて神崎君のスタンプが送信された。

 僕も『お願いします』と返すと、『固い挨拶だな(笑)』と神崎君から即で返信が来て、思わず笑ってしまった。


「ま、国内百人しかいない同年代の青少女保護観察官なんだ、仲良くしようや」

「私は、青少年保護観察官だけどね」

「あ、やっぱり呼称違うんですね」

「当然でしょ? 四宮君は女の子みたいな男だけどさ」


 あはははって笑いながら、保護観察官報告会は解散となった。

 十人といいながら、ほとんど二人としか会話してなかったけど。

 それでも、僕にとって大きな実りのあるものになったと思う。


「けーまぁ!」

「火野上さん」

「けーま、うふふっ、けーまぁ」


 僕の胸に飛び込んできて、頬をスリスリと寄せる。

 なんか、朝よりもスキンシップが激しくなってる気がするんだけど。


水城みずきさん、これって」

「あー……基本的に、各々の報告会に関する情報は公開されませんので」

「え、何があったんですか? 今朝とまるで違いますけど?」

「内緒らしい、仲が良いことは悪いことじゃないぞ?」


 渡部わたべさんがそれらしいことを言っているけど。

 彼女の愛情表現は車に乗り込んでも一切変わらず。

 頬をスリスリしたり、僕の膝を枕にして首をフリフリしたり。

 

「けーま、くふふ……けーまぁ」


 性依存症を知ってしまった後だと、どうしていいのか悩んでしまう。

 でも、そんな事を理由にして距離を取るのも、今は違うと思う。

 まずは互いの信頼を勝ち取らないといけない、そこからだ。


「じゃ、車出すぞ、シートベルトは……おやおや」

「けーまぁ…………すぅ…………すぅ…………」

「寝ちゃってますね」

「しょうがない、警察官に見つからないように、祈りながら運転するしかないな」


 眠っている彼女を見て、ふと気づく。

 涙の痕……? 泣いたのか? 

 

 僕には笑顔しか見せない彼女の涙の意味。

 それを問うた所で、きっと誰も教えてくれないんだろうな。

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