第12話 彼女と過ごす日常
入学式を終えて帰宅すると、
「火野上さん」
「ノノン、いま忙しいの」
「忙しくない。脱いだ制服とかちゃんとしないと、シワになるよ」
「
「自分の制服は自分で片付けなさい。僕はやらないよ」
「ノノンもやらないよ」
「……それと、家にいる時も何か着ること」
「ヤダ」
「ヤダじゃない、そっちに投げるから、ちゃんと着るんだよ」
脱衣所にあった新品のショートパンツとシャツを、ソファへと投げる。
火野上さんはブラジャーを外す癖があるのか、油断するとおっぱい丸出して歩いてるからホントに危険だ。ここが地上三十階だから外から覗かれる心配はないものの、何か間違いがあったらどうするんだよ。僕だって一応男なんだぞ、毎日我慢してるのに。
結局、玄関からリビングまで続くダイナミック殺人事件の跡処理は僕が全て片付けて、洗う物は今朝出た洗濯物と一緒に洗濯機の中へ。全自動洗濯機は便利だね、乾燥まで全部やってくれるから、アイロンと畳むだけで大丈夫だ。
さてと、今日はお昼も作らないとだな。
「火野上さん、お昼作るけど一緒に料理する?」
「料理! ノノン料理する!」
火野上さんは料理が好きみたいだ。料理をして美味しいって言われるのが好きなのか、料理自体が好きなのかは分からないけど、好きなものがある事はとても良い事だ。ただ、残念なことに料理の本を読むことが出来ない。具体的には漢字の
「これは、山菜って読むんだよ」
「さんさい……」
「うん、今日は山菜の炊き込みご飯だね」
「たきこみ……」
火野上さんが最後まで頑なに捨てなかった古ぼけたノート、これには彼女が読めなかった漢字が全て書き込まれている。一生懸命に書いているその字は決して綺麗ではないけれど、これは彼女なりの努力の証だ。昔から自分のことをある程度理解し、問題解決に向けて努力してきた証拠。ノートを捨てないでおこうと言った、
だけど、そのノートには同じ言葉が羅列されている事もある。
漢字をいくら勉強しても時間が経てば忘れる、これは誰しも起こる事だ。
しかし、火野上さんはその常識の一歩上をいく。
「桂馬、このスイッチを押せばいいの?」
「うん、これで三十分もすれば炊き込みご飯が完成だよ」
「そうか……楽しみ」
「次はうどんを作るよ。火野上さん、玉子閉じにするから、冷蔵庫から卵取ってくれる?」
僕達が耳にしている音楽のフレーズや、そういった自然と頭の中に残る情報、これらが彼女の頭の中には残らないらしいのだ。心理学会のホームページやらを色々と調べて分かったことだけど、どうやら子供の頃に家庭内暴力や暴言、そういった経験をしていると、脳が委縮し記憶できなくなってしまうらしい。
火野上さんの身上は既に把握している、そうなっていてもおかしくはない。
彼女なりに色々と努力しての今なのだ。出来る限り助けてあげたい。
「完成したね、火野上さん、お疲れ様」
「……」
「今日はこのままカウンターで食べようか、その方が洗うの楽だしね」
「桂馬」
「どうしたの?」
「ノノン、料理もっと上手になりたい」
「そうだね、きっと火野上さんなら、もっと上手になれるよ」
「そうしたらノノン、桂馬にいっぱい料理作る。桂馬も、喜ぶ?」
「うん、喜ぶね」
にぱーって子供みたいな笑みを浮かべて、彼女は喜ぶんだ。
もっと早く出会っていたら、火野上さんが僕の妹だったら。
そんなたらればを考えてしまう程に、彼女の笑顔を見るのが、ちょっと辛い。
「ふぅ……ご馳走様でした。そうだ火野上さん」
「?」
「今度、歯医者さん予約しようか」
「……ヤダ」
「僕達は医療全部無料で受けれるんだってさ。火野上さん前歯無いでしょ?」
「ある」
「ないの。それだと美味しいご飯食べれないでしょ? だから歯医者、行こうね」
「ヤダ! ノノン痛いの嫌い! 嫌いなの!」
「歯医者は我慢しようか」
「なんで!? 行きたくない!」
「ダメです」
「桂馬酷い奴だ! ノノン桂馬嫌い!」
ぴょんぴょんとジャンプして、ソファへと逃げてしまった。
部屋から持ってきた毛布にくるまって、こちらをじぃっと睨む。
いずれあそこが占拠されてしまいそうだな、隙を見て片さないと。
「え、今日できるんですか?」
『はい、午後五時から出来ますよ』
「ありがとうございます、三十階の黒崎……あ、じゃなかった、火野上ノノンでお願いします」
『火野上さん……ああ、青少女保護観察課の。かしこまりました。お越しになる際は、黒崎さんも同行するよう、お願い致しますね』
僕達が住むマンション、シャトーグランメッセ。ここの一階には生活に必要なものほとんどが揃っていると言っても過言ではない。歯科グランメッセもその内の一つだ。連絡しただけで僕達の事を理解し、予約まで取ってくれた。
「火野上さん、歯医者予約取れたよ」
「ぎゃーーーーーー! なんで! ノノン歯悪くない! 痛くない!」
「歯磨きしてから行こうね」
「いかない! いかないの! ノノン歯医者嫌い! 嫌いなの!」
どれだけ喚こうが、歯医者は連れて行く。
実は火野上さん、身体全体の匂いは良くなったものの、口臭は虫歯患者のそれだ。
顔を不用意に近づけてくる事が多いんだけど、中々に酷い。
女の子に対して「口が臭いですね」は致命傷だから、面と向かって言えないけど。
それもこれも治療すればどうにかなるさ、とりあえず、歯医者に行こう。
「歯医者! 行くの!」
「やだああああああああああああぁ! ノノン! 行かない!」
「ダメです! 歯医者! ほら、エレベーター乗って!」
「ぴぎゃあああああああああああああぁ!」
この子、全力で拒否しやがって! だけど、力では圧倒的に僕の方が上だ!
無理矢理にでも押し込んで、歯医者に連れて行ってやる!
途中、乗ろうとしてきた住民さんが「あ、先に行ってどうぞ」と言ってしまう程に泣き叫んでたけど、何とか歯医者まで連れて来ることに成功した。連れてくるって言うか、引きずって来るが正解だったけど。
「火野上ノノンさーん」
名前を呼ばれて全身ガクガク震えさせながら、看護師さんと一緒に施術室へと向かう。
ふぅ……ようやく僕の手を離れたか、と思ったのもつかの間。
歯医者に来ていた子供よりも激しい叫び声が、僕の耳をつんざいた。
「黒崎さん、こちらに来て頂けますか」
「あ、は、はい! すぐ向かいます!」
人間って、女の子ってこんな声が出せるんだね。
これはもはや超音波だよ。
「ピギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィ!」
まだ何もしていない。なんなら歯医者さんが隣に座っただけだ。
なのに火野上さんは全力で治療を拒否している。
「通常、本人の同意なしに強制的な治療は実施しないのですが。彼女は保護観察プログラムに選定されておりますから、青少女保護観察官である黒崎さんが同意して下されば、本人の同意アリとみなされます。その場合、強制的に治療を開始する事が法的にも認められますが、如何なさいますか?」
「お願いします」
「では、この用紙にサインを」
歯医者での強制治療、拘束具なんてのもあるんだね、初めて知ったよ。
結果、火野上さんは全ての歯に何らかの異常があるとの事で、二週間に一回、定期的に通う事が決定となった。そして今日から治療開始、口を閉じられないようにマウスピースみたいのをハメて、舌に触れないように治療を開始していく。
なお、彼女の手を握っていて欲しいと医者に言われ、治療中ずっと手を握る事に。
凄い力だった、相当に力んでいるみたいで、彼女の爪が喰い込むほどだった。
「はい、終わりましたよ」
「えぐっ……ひっく……」
「ありがとうございました」
もう号泣、化粧とかそういうレベルじゃないぐらいに泣きはらしてるの。
目が充血するぐらいに泣くって、どういうレベルだよ。
「黒崎さんもどうですか? 青少女保護観察官として、歯が綺麗なことは示しの一つですよ?」
「僕は……そうですね、宜しくお願いします」
虫歯はないと思うけど、歯石くらいはあるかな。
「えと、火野上さん?」
「……」
診療台に横になると、なぜか火野上さんが手を握ってきた。
僕が治療を怖がると思っているのだろうか。
「はい、とても綺麗ですね。歯石取りだけしておきましょうか」
火野上さんがずーっと手を握ってくるけど、考えようによっては逃亡阻止にもつながる。
彼女の意図は可愛いものだけど、これはむしろ必要な事なのかも。
ドリルの音に合わせて彼女の手に力がこもる。本当、可愛い女の子だよ。
「桂馬、痛かった?」
「ちょっとね。でも、火野上さんが手を握ってくれたから、大丈夫だったよ」
「そ、そうか! ノノンも、桂馬が手を握ってくれたから、我慢できた!」
出来てたかな……なんて言った所で意味ないしね。
どうやら歯医者に行くという行為を怖いものと認識しなければ、恐怖は和らぐらしい。
「ノノンの歯、綺麗になる?」
「うん、ちゃんと歯医者に通えば、真っ白な歯になれるよ」
「本当! ノノン、頑張る!」
やっぱり、ちょっとは気になってたみたいだね。
それからしばらくの間、火野上さんは鏡の前で「にーっ」て歯を眺めたりして。
真っ白になるのは多分一年後ぐらいだろうけど、地道に治していこうね。火野上さん。
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