第10話 初めての登校
同棲を始めて三日目の朝。
四月六日、木曜日、午前七時半。
洗面台にある鏡の前で、身だしなみをチェックする。
歯も磨いたし、制服の乱れも無し、提出物も持った。
天気予報では今日の天気は晴れ、最高の入学式日和と言える。
「火野上さん、準備出来た?」
学校に行くにはまだまだ早い時間だけど、準備は早ければ早いほど良い。
マンションから花宮高校まで徒歩十五分、のんびり歩いても余裕で間に合う。
八時半までに教室に入ればいいのだから、八時に出ても良いくらいだ。
「あれ、火野上さん?」
コンコンコンとノックをするも、返事がない。
朝食は二人で六時半には済ませ、その後トイレに行った後リビングに戻ってこなかったけど。
勝手に扉を開けるのもどうかと思うけど、僕は青少女保護観察官だから、その権利がある。
「扉開けるからね、火野上……さん」
寝てる。布団に入って熟睡してる。
制服はまだハンガーに掛かったまま、下着や脱ぎ散らかした寝間着が床に散らかってる。
見れば、昨日ドリルとか入れたはずのリュックも中身が散乱してるじゃないか。
机の上には化粧品が転がり、既に汚部屋半歩手前まで来ている彼女の部屋を見て唖然と……してる場合じゃない、間に合わないよこれ。
「火野上さん、起きて、今日から学校だよ」
「…………いやぁ……ノノン、眠い……」
「眠いじゃないの、学校行くの」
「……ノノン……いかない、いかないのぉ……」
「もう、布団全部はぐからね、とっとと起きて下さい」
何を言っても無駄、そんな彼女の掛け布団を全部剥ぐと、そこには全裸で横たわる火野上さんの姿があった。同年代の異性の裸は、いくら見ても見慣れるものじゃない。しかも昨晩相当に一人遊びをしていたのか、タオルやティッシュの類が何枚も布団の中に……って、何枚あるんだよこれ。よく見たら壁の隙間にも落ちてるし、どんだけ性欲あるんだよこの子。
それらを手にしていたら、ティッシュやタオルの他に彼女の下着もあった。
まだ生理用品が張り付けられている、今朝見た時に穿いていた白い下着。
ため息と共にそれも回収すると、丸まっていた彼女と目が合う。
「それ、ノノンのショーツ……桂馬の、えっち」
「えっちじゃないでしょ、布団のシーツも帰ったら洗うからね」
「うん」
「それじゃあ昨日水城さんと練習した通り、制服、頑張って着てみてね」
返事は無かったけど、火野上さんは丸まっていた身体をぴょんと起こした。
揺れる丸い乳房、やっぱりそれは結構大きいように見える。
そんな僕の視線に気づいたのか、彼女は恥じらうように胸先を手で隠した。
「えっち……するの?」
「しない。制服を着て下さい」
「うー」
なぜか唸られた。どの返事が彼女の中で正解だったんだろうね。いや、彼女の正解なんか模索する必要はない。なぜならリビングから聞こえてくるアナウンサーの声が、既に七時四十五分をお知らせしようとしていたのだから。
長い髪の手入れとか色々と心配だったけど、一度手伝ったら甘え続ける可能性がある。
手伝わなかった結果「出来た!」と彼女が廊下にやってきたのは八時十分。ギリギリだ。
入学式初日から遅刻する訳にはいかない、エレベーターを降りると、僕達は二人全速力で走る。
「はぁ、はぁ、ノノン、もうむり」
「え、まだマンション敷地内だよ?」
「だって、走ったこと、ないから」
「ウソでしょ」
どうやら嘘ではないらしい。数歩走ったら彼女は歩きだし、そのままへとへとになってしまった。運動不足なんてレベルじゃない、まさかここまでダメだとは僕の予想を遥かに超えていた。結局、走れない彼女と歩くこと二十分、始業のチャイムと同時に僕達は花宮高校の正門をくぐる事となった。
「来ないかと思いました」
「すいません」
登校と同時に職員室へ。
遅刻したからという訳ではなく、僕達だけはそういう指示が出ていた。
他の生徒たちは既にクラスにいるのだろう、学校全体が人の気配でにぎにぎとしている。
「うふふっ、冗談です。黒崎君の事情は青少女保護観察課の方々から連絡を受けておりますので、許容範囲内です。むしろ良く間に合いましたね。私が貴方達のクラス担任になる、
三人四脚、多分、真ん中が火野上さんだろうな。
流河先生、落ち着いた感じの先生だけど、多分まだ三十代前半の若い先生だ。ショートにした黒髪、春物の淡い水色のセーターに、茶色いウールのロングスカート。しっかりした感じだけど、優しい雰囲気が全身から溢れ出ていて、とてもいい先生なんだろうなって、なんとなく分かる。
他の生徒とは違い、僕達は予めクラス割りが確定している。
三年間ずっと一組、そしてずっと火野上さんと同じクラス。同じ担任だ。
「それじゃあ、早速クラスに向かいましょうか」
「はい、三年間、宜しくお願いします」
「うん、こちらこそ、宜しくお願いしますね。……火野上さんは?」
「……あ、う、うー……」
挨拶するのが嫌なのか、先生という存在が嫌なのか。
彼女は僕の腕にしがみつき、背中の方へと隠れていく。
「すみません、なんか、緊張してるみたいです」
「ううん、そういう風になるのなら、私達はそれでも大丈夫ですから」
「そういう風?」
「ええ、黒崎君が火野上さんと一緒になるのなら、って意味ですけど?」
青少女保護観察プログラムは、彼女の更生を最大の目的としている。
将来、彼女が誰かと結婚し、優秀な子供を産むことがこのプログラムの最大の成果だ。
そして、その誰かとは、無論僕でも構わないと明記されている。
「さすがに、そこまでは考えておりませんが」
「あらそうなの? 別に謙遜しなくても大丈夫よ?」
「謙遜してません」
「ウチの高校、恋愛大歓迎だから」
「だから違いますって」
「またまた、若いっていいわね」
「流河先生?」
「さて、そろそろ教室に行きましょうか、先生も遅刻になっちゃうわ」
どこまでが冗談なのか分からないけど、先生たちもプログラムを了承してくれているのは、本当に心強い。さすがは国家が動いてるだけの事はある、なにもかもが規格外だ。
「あの、火野上さん」
「……」
「その腕、離さない感じ、かな?」
「……けーまぁ……」
不安そうな声、教室に入る手前で立ち止まり、僕の腕を強めに握る。
彼女はこれまで集団の中に身を寄せては、その都度爪弾きにあっている。
自業自得にしか思えない内容でもあるのだけど、きっとノノンには精一杯の選択だったんだ。
僕を通して人間関係を学ぶこと、それを考慮すると、最初の第一歩はこれでいいのかもしれない。
「どうします? また時間をおいてから教室に入りますか?」
「……いえ、このままで大丈夫です。きっと火野上さんからしたら、今日この場にいること自体が、既に勇気を振り絞っての事でしょうから。これくらいの甘えは、許容範囲内ですよ」
クラスメイトにどう思われるか分からないけど、僕は青少女保護観察官だから。
役目はきちんと果たす、火野上さんが独り立ちできるその日まで、僕が支えてあげないと。
「そう……本当、優しいのね」
「別に、優しくなんかありません」
「そうかしら? じゃあ、中に入るわよ」
賑やかだった一年一組の教室は、流河先生が扉を開いた瞬間に静まり返った。
男子十人、女子十人、計二十人のクラス。
ごくありふれあた人数のクラスだけど、どこか緊張感が漂う。
その緊張感の原因は、相も変わらず僕の後ろで隠れている、火野上さんへと注がれていた。
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