第8話 ようやく片づけた過去の因縁

 火野上ひのうえさんと同棲を始めて二日目の朝。

 昨晩の内に日報を仕上げた僕は、一人風呂に入り自分の部屋にて就寝した。

 お風呂に入っている間に彼女も自室に戻った様子で、一人で気楽に寝れ……なかった。


 部屋の選定を失敗した。


 玄関入って左側一番目が彼女の部屋で、二番目は僕の部屋なんだ。

 つまりは彼女とは壁一枚の生活をしている、そしてなぜか、その壁はとても薄い。

 僕が布団に入った辺りから、ずっと隣の部屋から喘ぎ声が聞こえてくるんだ。


 くちゅくちゅという音まで聞こえてくる始末、この家は防音じゃなかったのかよって文句を言いたくなる。吐息と共に漏れ聞こえるその声は、火野上さんが出しているとは思えない程に大きくて、とても扇情的で……残念な事に、まだ十五歳の若い青少年の僕は、その声を聴きながら、一心不乱に自分のをしごいてしまっていた。


「おはよう……」


 朝から気まずい。

 オカズにしてました、なんて報告書に載せる訳にもいかず。

 昨晩の事に関しては必要な事だけ追加して、そのまま送信をタップした。

 

「ねぇ」

「え、なに、どうした?」


 てっきり部屋から出てこないかと思ったのに、彼女は朝から普通にリビングにいる。

 服装は寝間着のまま、それは着替えが施錠された部屋の中だからしょうがないんだけど。

 ソファに座ってタブレットを操作する僕に対して、彼女は自分の部屋を指差す。


「ノノン、荷物出したい」

「荷物って……何?」

「汚しちゃったから、下着欲しい」

「下着……あ、それなら脱衣所の戸棚の中に新品が入ってるから、それ使えばいいと思うよ」

 

 なんで汚したのかは聞かない、想像できるから。

 火野上さん、むすーっとしてる。

 そしてその顔のまま、脱衣所へと向かってしまった。


 本当はあの汚部屋と化した部屋の中から何かを取り出したいんだろうけど、あの部屋にあるものは基本的に全部処分してしまいたいと思っている。絶対に臭いままだ。そしてあの部屋には黒きGが大量に潜んでいるに違いない。決して開ける訳にはいかない。


「ねぇ」

「なに、まだなにか……って、おわ!」

「うわ、ビックリした」

「火野上さん! ブラは!?」

「起きたらなかった」


 なんで上に何も着てないんだよ、朝から彼女のおっぱいモロ見ちゃったじゃんか。

 う……昨晩のと合わさって、なんか鼻血が出そう。


「だから、ノノン、ブラした事ないから……外したら付けられないの。付けてよ」

 

 あーそう言えばそんなこと言ってたね、ってダメだろ。

 どこに同級生の男に毎朝ブラ付けさせる女子高生がいるよ。


「自分で付けれないか、ちょっと頑張ってみようか」

「……じゃあ、いらない」

「ダメでしょ、火野上さん明日から僕と同じ花宮はなみや高校に通う女子高生になるんだよ? 女子高生で下着が着れない女の子なんていないって」

「ノノンがいらないって言ったらいらないの。じゃあお前が付ければいいじゃん」


 振り出しに戻る。

 結局僕が負けて、背中を向けた彼女に対して手探りでブラジャーを付けることに。

 良いのかな、こんなので。更生しているように見えないんだけど。


「立派に更生されてるよ。火野上さん、私にだって下着付けさせてくれなかったんだから」


 と言ってくれたのは、十時頃にマンションを訪問してくれた水城みずきさんだ。

 お願いしておいたG対策グッズを持ってくるついでに、僕達の様子を見に来てくれたらしい。

 タイトな黒基調のスーツ姿にポニーテールは、もはや彼女の定番のスタイルなのだろう。


 僕が寝ていたソファとキッチンの間に、もう一つ存在するテーブル。

 そこに三人で腰掛けると、水城さんからの差し入れのフラペチーノが並べられた。


「本当のことを言うとね、一日で頓挫する可能性だって考慮してたくらいなのよ?」

「さすがに一日では諦めませんよ。それに、彼女について知れば知る程、どうにかしてあげたいって思うんです。別に何か悪い事をした訳じゃない……いや、悪い事もあるんでしょうけど、それらは致し方なかった事なのかなって、そう思えてくるんです」


 生まれからして不幸の塊、周囲に助けてくれる人もいたけど、そうじゃない人の方が多かっただけのこと。間違った選択が多かったのだろうけど、こうして選ばれた以上、僕に出来る事があるのなら、出来る限りしてあげたいと思う。心からの本音だ。


「そう言ってくれると、私達も安心する。火野上さん、どう? 黒崎君っていい人でしょ?」


 隣に座る火野上さんは、同じくストローにしゃぶりつきながらも、どこか困惑した表情だ。


「……まだ、分からない」


 そう漏らした彼女の言葉に、僕は静かに眉を下げる。

 

「そういえば、今朝の日報、私も読まさせて貰ったんだけど」

「あ、どうでしたか? 誤字脱字がないかちょっと心配だったんですけど」

「ううん、学生とは思えないぐらいに立派な日報だったよ。ちゃんと時系列に書けてたし、細かいけど、必要な部分だけって感じで、とても読みやすかった」


 褒められると嬉しい、次も頑張ろうって気持ちになる。

 

「ただ、ちょっと強引だったかなって気もしなくもないわ。火野上さんはいろいろとあった女の子だから、とにかく優しく……ね?」

「……はい」


 どこまで許して、どこまで厳しくして。

 線引きを設けた方がいいんだろうな。

 ただただ甘くしていては、これまでと変わらないだろうし。 


「そういえば黒崎君、明日からの火野上さんの制服、袖通してあげた?」

「え? いや、そういえば何も」

「今の内に教えないと、毎朝制服着せるハメになるわよ?」


 想像出来てしまう、毎朝火野上さんにブラと制服を着せる光景が。

 

「やりましょう、今すぐやりましょう」

「……そこで、一個問題があるのよね」

「問題?」

「制服、ノノンちゃんの部屋にあるの」


 フラペチーノに夢中だった火野上さんの耳がピコッと反応したのを、僕は見逃さなかった。

 

§


「殺虫剤ジェット二刀流、準備OK、いつでも開けて頂戴」

「了解です。では、開けますよ」


 廊下に敷き詰めるだけ敷き詰めたGホイホイの数々が何とも頼もしい。

 部屋の方に開く扉なら良かったのに、残念ながら廊下に開く扉。 

 多少のGは逃がしてしまう可能性があるが、敷き詰めたGホイホイが捕獲してくれる事を願おう。


 こちらの緊張感を察してか、火野上さんもどこかワクワクした感じに僕達を見ている。

 いや、彼女の場合自分の部屋に入れるから嬉しいだけかも。


『黒崎桂馬様を確認、解錠します』


 すっと開いた瞬間に、あの臭いが鼻を強襲する。今の火野上さんは良い匂いしかしないから、すっかり記憶から消えていたこのゴミ溜めの臭い。やっぱりだ、やっぱり荷物からも臭ってたんだ、着ていた服やそれらが入っていたバッグやリュックや段ボール。


 丁度いい機会だ、全て捨て去ってやる。

 その小汚い服や段ボール諸共、ゴミ集積場所まで運んでやる!


「臭い! この荷物全部臭かったのよ!」

「ですよね! なのに火野上さん臭くないって言い張ってて、本当に昨日は苦労しました!」

「ま、待って、ノノンの荷物、大事なのもあるからー」

「いったん外に出します!」

「なんでぇー」

「全部外に出して、それから本当に必要なモノだけ選定して下さい! そこから更に水城さんが選定した後に、僕が全て処理します!」

「ノノンの、ノノンの大事な物も、あるから、あの、待って、まってぇー」


 水城さんがいてくれて本当に助かった。三十階に停止させたままのエレベーター、そこに荷重上限まで荷物を載せては二階で降ろす作業を三往復くらいして、ようやく部屋の中から火野上さんの汚物が全部綺麗さっぱり無くなってくれた。


 全ての荷物が無くなった部屋で、ぐおんぐおん空気清浄機を稼働させる。

 自動にしたら部屋の空気状態は最悪を表示してくれた。機械も認める悪臭、凄かった。

 捕獲したGの数は不明。ヒゲがホイホイの中から沢山見えてて、そのまま捨てた。


 二階のエントランスに置いておいたら他の住民さんから苦情が来るって警備さんに言われて、荷物は外の駐車場まで運ぶことに。今はかれこれ三十分くらい駐車場エリアに荷物を広げて、火野上さんがどれを残すか選定中……なんだけど。


「いらないでしょ! 下着も洋服も全部新品があるのよ!」

「まだ着れるもん! ノノンが着れるって言ってるんだから着るの!」

「はい黒崎君! これも処分袋に入れて!」

「了解しました」

「あー! ノノンが必要だって言ってるのに! バカー!」


 僕一人だったら通報されてただろうね。水城さんがいてくれて本当に良かった。

 結局、火野上さんが持ってきた荷物は約九割強が処分される事となった。

 残ったのは一冊のノートと、ボロボロの財布のみ。


「化粧品も全部新しいのあるし、欲しかったら何でも買ってあげるから」

「……ノノンの、全部なくなっちゃった……ノノンの全部、無くなっちゃったぁぁぁ……」


 わんわん泣いてるから、なんかちょっと可哀想な気がしてたけど。

 一階のお店で売ってたアイス食べさせたら、すぐに機嫌が良くなった。

 

「……ぺろぺろ」

「……あの」

「こんなもんなのよ、マトモに付き合うだけ無駄なの」

「そういうもの、なんですかね……」

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