第2話 青少女保護観察官としての責務

 火野上ひのうえさんと顔合わせをした翌日、朝早くから渡部さんが家にやってきた。

 暦上今日は平日、大人達には春休みなんて無いんだろうなというのを、寝ぼけまなこで感じる。


「おはよう、書類に目は通してくれたかな?」

「一応……軽くですけど」

「十分だ、さすがは選任されただけの事はある」


 およそ三百ページにも渡る革の背表紙まで設けられた青少女保護観察官の規則は、見る人が見たら何らかの辞書にしか見えない程だ。必要そうな部分にだけは目を通しておいたけど、付箋を貼るだけで眠気が襲ってしまい、本当に軽くしか目を通していない。それでも幾つか気になる項目があったから、それを質問するべく、リュックの中に分厚い規約を背表紙ごと突っ込む。


「車で移動ですか?」

「ああ、伝えていた通り、今日は黒崎君を新居へとご案内する日だからね」


 車の種類や名前なんて全然頭に入っていないけど、黒塗りの高級車っていうのは質感と雰囲気で察する事が出来る。多分お値段数百万だろうという予感は、車内の匂いや触感という形で確信へと変わった。


 後部座席に座ると、エンジン駆動の振動すら伝わってこない。ヌルリといった感じに車が動き出すと、渡部さんはナビを設定し、自動運転へと切り替える。その時聞こえてきた音声は『目的地まで、およそ一時間です』というアナウンスだった。


「結構、遠いんですね」

「近いとすぐに実家に帰りたくなってしまうだろう? だから意図的に遠くに設定されるようになっているんだ。その代わり、黒崎君と火野上さんが通う学校までは歩いていける距離だから、むしろ三年間は楽が出来るんじゃないかな?」


 楽観的な物言いだ、見知らぬ女性、しかも更生が必要な女性との同棲が楽なはずがない。

 昨日見た火野上さんは、家事どころか普通の生活すらままならなそうな雰囲気だったけど。


「あの、幾つか質問を宜しいでしょうか?」

「ああ、大丈夫だ、その為の時間でもあるからな」


 前を向いていた渡部さんは座席をクルリと回転させる。

 最近の車はハンドル操作がほとんどいらないから、走行中はこうしている人が多い。

 高齢者向けの完全自動運転、社会は高齢者を軸に回っている、なんて言葉も頷ける。


「あの、頂いた書類の中に〝青少女保護観察官には対象者への特許権を与える〟とありましたが、その中に身体権、逮捕権、拘束権、財産権とありましたが、これは?」

「そのままの意味だよ。黒崎君は火野上さんの身体に触れる権利を保持し、場合によっては逮捕、拘束、監禁する権利も有している。更には彼女の財産は基本的に全て黒崎君が管理する事になるし、その他もろもろ、基本的人権のほぼ全てが黒崎君が有する事となる」

「基本的人権って……」

「それだけの事を、彼女はしてきたという事だ」


 頭の中で今の言葉を精一杯整理する。

 そして導き出された言葉が――――


「……それはまるで、奴隷じゃないですか」


 全ての権利を奪われた少女が、悦楽の為に飼い殺される。

 両手に枷を嵌められた火野上さんが、ズタボロな一枚布で立っているシーンを想像してしまった。


「見方によってはそれもあり得る。だが勘違いしないで欲しい、触れる事は許されていても、暴力は認められていない。ここでいう暴力とは、殴る蹴るといった身体的損傷を加味する言葉であり、例えば黒崎君が不清潔な彼女の身体を綺麗にする為に洗う、といった行為は法的に許される事となる。自分の赤子を洗う親を法的に罰する事はないだろう? それと同じだ」

「同じじゃありませんよ」

「あくまで例えだよ」

「でも、それじゃあ性的な目的で彼女と一緒に、その、お風呂に入るとか、そういう別の犯罪の可能性があるんじゃないんでしょうか? しかも逮捕、監禁って、僕がその気になったら彼女を拘束して、襲えるって事じゃないですか」


 頭の中がヒートアップしそうだ、僕だって健全な十五歳の男子高校生なんだぞ?

 一歩間違えれば火野上さんを襲う事だって往々にしてありえるじゃないか。 


「でも、君はしないだろ?」

「するつもりは、ありません。今のところ」

「はっはっは、今のところか、健全な男の子でいいじゃないか」


 額に手を置き、足を組みながら渡部さんは笑った。

 スーツ姿なのに無駄にカッコいいと思える、流石は大人。


「青少女保護観察官の選別は、君みたいな奥手な人間が選ばれる事が多いんだ」

「奥手?」

「そう、これまでの人生において、女友達とも呼べる女子もいない、もちろん彼女もいない、そういった男の子が選ばれる傾向が強いんだよ」

「女友達くらい、僕にだっていますけど」

「最後に会話したのはいつ?」

「……小学校、二年生の頃ですけど」

「内容は?」

「プリントを配って貰った時に、消しゴム新品だねって」


 くっくっくってまた肩を震わせながら笑い始める。

 分かってるよ、これが自虐的な無駄なプライドの保持だって。

 

「とにかく、黒崎君は火野上さんに対して乱暴はしないと断言できる。こうして会話をしていても肌で感じる事が出来る、君は心の底から良い奴だ。それは私が保証する」

「……どうも」

「それと、保護観察をする上で、君は火野上さんのこれまでを知る必要がある」

「これまで、ですか?」


 チャックの部分に南京錠が設けられたバッグ、それを開錠すると、渡部さんはクリアファイルにまとめられた数枚のA4サイズの用紙を手渡してきた。


「他人のプライバシーだなんだと抵抗があるかもしれないが、君はもう既に国に認められた青少女保護観察官だ。彼女を更生するにあたって、彼女の生い立ちそのものを知る必要がある。これはもはや義務とも言えよう……受け取って、内容を確認するといい」


 見終わる頃には、目的地に着いているから。

 そんな言葉を耳にしながら、僕は受け取った用紙に目を通し始める。


――――身上書、火野上ノノン、十五歳、九月十五日生まれ。生誕場所、近畿地方にある◎✕公園の多目的トイレにて、赤子の泣き声がすると、近くを散歩していた近隣の方からの110番により保護される事となる。両親の詳細は不明、深夜帯に公園にて出産したものと思われる――――


 最初から物凄いハードな内容だ。

 トイレで出産って……母親は一体どうしたのだろう。

 

――――髪の毛が生誕当初から赤く、火野上という苗字は髪色から付けられた。名前のノノンは、発見されたトイレ内のゴミ箱に入っていた雑誌名が、母親に関連づけられている可能性があるとし、雑誌名そのままを付けられている。警察官に保護された時には既に呼吸が停止しており、救急隊員により蘇生により息を吹き返した。よって、この日付を誕生日としている――――


 氏名……そんな理由でいいのかよ。 

 もっと他に名前が書かれた札があったとか、そういうのすら無かったのか。


――――幼少期は他人と接することを極端に避け、施設職員に対しても距離を取り、何かあると癇癪かんしゃくを起こしていた。言葉を覚えるのが極端に遅く、まともに会話が出来るようになったのは八歳の頃。しかし舌足らずのため発音が悪く、自分が喋った内容に対して、相手が理解していないと判断すると即座に暴れ出してしまう事が多々発生していた――――


 短気、もしくはADHD……発達障害って事なのかな。

 

――――十歳の頃、小学校から逃げ出し、都会の街を一人で歩いている所を警察官に保護される。この頃から施設に居たくないと叫ぶようになり、職員の目を盗んでは脱走し、同居する子供たちも彼女の脱走を止める事はなく、脱走すること自体が常習と化してしまっていた。そして十月二十二日、股間から大量の血を流しながら倒れている所を保護され、救急車にて運ばれる事となる――――


「股間から大量の血って」

「襲われたんだ、バカな大人にな」

「そんな、まだ十歳ですよね?」

「だから、バカな大人なんだよ」


 信じられない、まだ十歳って、心も身体も未熟なままなのに。

 続きを読むのが怖くなってきたが、それでも僕は彼女の為を思い、用紙を手に取った。

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