18章 帝都 ~武闘大会~  09

 湯船のふちに背をもたれた皇帝陛下は、さらに言葉を続けた。


「オクノ伯爵をこちらにお呼びしたのは、まずは彼女……ゲシューラさんに話を聞きたかったからです。我々にとって『黄昏の眷族』と対話できるだけでも前代未聞の事件なのですが、その上彼らが大陸侵攻を企てているなど、驚き以外の何物でもありません」


「私も初めて聞いた時は、気が遠くなる思いがいたしました」


「それはそうでしょう。オクノ伯爵も聞いていると思いますが、『黄昏の眷族』については、帝国内でもここ3カ月ほど出現数がほぼゼロになっていたのです。ところがここにきて彼らは今までになく多く現れるようになりました。しかも以前にはなかった組織的な動きを見せています。私たちはそこに確かに『黄昏の眷族』の大陸侵攻の動きを感じています」


「私もゲシューラをとらえに来た『黄昏の眷族』が、レンドゥルムという王の存在を示唆しさする言葉を話していたのを聞きました。大陸侵攻は信憑性の高い情報だと思います」


「オクノ伯爵がドワーフの鉱山で遭遇したような事件が、複数の場所で起きています。その場に向かった冒険者たちも、口々に『黄昏の眷族』がなにかの目的のために動いているようだと言っていました。間違いなく帝国建国以来最大の危機ですよ」


「心中お察しいたします。こちらも冒険者として、協力できることはいたします」


「助かります。っと、ああすみません、実はこのような話をするためにここに来たのではないのですよ。オクノ伯爵……いや、皆がソウシ殿と呼んでいるようだからソウシ殿と呼ばせてもらいますよ。ソウシ殿に聞きたかったことがあるのです」


「どのようなことでしょうか?」


 聞き返すと、皇帝陛下は目を細め、強い力のある瞳で俺を見返してきた。


「ソウシ殿はどのような目的で冒険者を続けられているのでしょうか。伯爵位をたまわったくらいなのですから、領地を求めれば与えられたでしょう。もちろんそれ以外の道もあったはずですし、なぜ冒険者にこだわるのでしょうか」


「それについては大それた理由があるわけでもありません。一つは自分が冒険者としてどこまでできるのかを見定めたかったから。もう一つはこの世界……大陸を一通り見て回りたいと考えているからです」


「冒険者としてどこまでできるか……というのは、例えばもっとも強くなるとか、名を上げるとか、そういうことを言っているのですか?」


「私は冒険者の活動の目的を、ダンジョンの踏破、地上のモンスターの討伐、そして冒険者でない人々を守ること、そんな風にとらえています。それらをどこまで行えるのかというのを見定めたいのです」


「それは一生をかけて求めるもののような気がしますね」


「そうかもしれません。しかし私もそれなりの年齢ですから、どこかで見切りはつけるでしょう。その時はどこかに居を構えてのんびり過ごそうかと思っています」


「ふふふっ、面白い方ですね。ここまでの功績を挙げ、英雄とまで言われているソウシ殿が、最後はのんびり過ごす、ですか」


「それが一番難しいのだろうとは感じていますが……」


 と溜息混じりに言うと、皇帝陛下は深くうなずいた。


「そうですね。例えば私が今、5年後に皇帝の座を退いてのんびり暮らしたいと願ったとして、そのようなことが可能だと思いますか?」


「いえ、不可能だと思います。代わりとなる者はすぐには現れないでしょうし、なにより皇帝陛下がもし位をお降りになっても、どうしても放っておかない者が現れるでしょう」


「まったくその通りです。絶対に不可能なのですよ。そしてそれはソウシ殿、貴方も同じです。いえ、むしろ私などよりよほど難しいと思いますよ」


「……」


 皇帝陛下はあくまで事実を述べているという感じで、決してたしなめているという雰囲気ではない。だがそれだけに、言っていることは確かなのだろうと思えた。


「ソウシ殿については、すでに帝国の爵位を差し上げることは決定しています。もちろん伯爵位以上になるでしょうが、そういったものを勘案した上で、ソウシ殿は『のんびり暮らす』以外の生き方をお考えになったほうがいいでしょうね」


「は、はあ……」


 意地の悪い笑みを浮かべる皇帝陛下の前で、俺はなんとも答えることができなかった。


「そうそう、それと帝都の闘技大会にお出になられると聞きました。それは優勝を目指していると考えてよろしいでしょうか?」


「あ……はい。出るからには手を抜くつもりはありません。多くのパーティメンバーを預かっている身ですので」


「それは嬉しいことを聞きました。ところで『ソールの導き』のメンバーは見目麗しい女性たちばかりのようですが、個人的な関係などは?」


「いえ、彼女達とはそういった関係ではありません。……今のところは、と申しておきますが」


 さすがに彼女たちの何人かが俺に好意を持っているのは分かってきているし、しかも数人はすでに娶ることを打診されている。関係がない、と答えることはできなかった。


「なるほど。たしかザンザギル侯爵からもお話があったようですし、おそらくオーズ国でも同様の話はあったのでしょうね。獣人族も強い男性にはかれると聞きますし、メカリナンでもそういった話がなかった、などということはないでしょう。大変ですね、ソウシ殿ほどの方になると」


「……ええ、どうやらそのようです」


 さすが皇帝陛下、情報に精通している上に、察する能力も極めて高くていらっしゃるようだ。庶民の俺としてはひたすらに恐縮するしかない。


「ところでご存知と思いますが、今度の武闘大会は私の妹も出場するのですが、これがちょっとお転婆な妹でしてね。ソウシ殿には少しらしめてやっていただきたいのですよ」


「マリシエール殿下のお話はお聞きしておりますが、懲らしめるというのは……」


「皇族であるにもかかわらず自分より強い者でないと縁を結ばないなどとわがままと言っていましてね。その上帝国で一番強いので手がつけられないのですよ。私としては血のつながった妹ですし、すでに帝国のために冒険者として十分以上に尽くしてくれている彼女については、結婚くらいは自由にさせてやろうとは思っているのですが、さすがに貰い手がないとなるといろいろうるさい者も出てくるのが困りものでしてね」


「……確かに皇妹殿下ともなると周囲が放っておかないでしょうね」


「ええ、その通りです。そのようなわけでソウシ殿には期待をしているのですよ」


「それはその、闘技大会でマリシエール殿下に勝利することを期待されている、ということでよろしいのでしょうか?」


「そこから先は二人の話になると思いますからあまり強くは言えませんが」


 皇帝陛下が何を言いたいのかはその意味深な目つきを見るまでもなく明らかだが、しかしそんなことを初対面の人間に言うものだろうか。


 俺がその疑問を投げようとするその前に、皇帝陛下は「ふふっ」と笑みをもらした。


「ソウシ殿が言いたいことはわかりますよ。もちろんソウシ殿の人となりについては、その出自が一切謎なことをのぞいては綿密に調べておりますし、こうして直接お話をして調べた通りの方だと分かりましたから。その上でのお話と思っていただいて結構です」


 なるほど、そういうことかと納得はできなくはない。


 俺という扱いに困る人間を、で帝国に取り込もうというのも為政者としては当然の考えだ。俺自身にとってものんびり暮らすことが難しい以上、権力者から疎まれないようにつながりを作っておくことは必要になるだろう。


 問題は、俺自身の感覚がそういった政略的な考えについていけてないということだけだ。もっとも俺ももう感情だけで行動を決めるほど若くはない。必要があるなら婚姻関係を結ぶことを強くいとうつもりはない。ただ現代日本の道徳観を持つ者として、相手方の感情を完全に考えないというのも難しい。


「……とりあえず、もしマリシエール殿下に勝つことができたなら、お話は少ししてみようと思います。私自身、力ある冒険者とは情報の共有もしておきたいですし」


「大変結構なことだと思います。ふふっ、これで悪い湯あたりをしなくて済みそうです」


 そう笑って皇帝陛下は静かに立ち上がり、湯船を出た。


「今日の夕食の場にはマリシエールも出席しますので少し話をしてあげてください。彼女もソウシ殿のことを聞いて興味津々ですから」


 去り際のそんな言葉にいよいよ逃れられなくなりそうな気配を感じ、俺はなぜか湯のなかで寒気を感じるのだった。

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