17章 帝都への長い道  31

「ようし、まずはアバれるかぁ」


 そんなことを口にしながら兜男は腰の剣に手をかけた。抜くのかと思われたがそうではなく、男はいきなり装備を外し始めた。


 よく見ると、その手は昆虫の外皮のようなもので覆われている。遠目には篭手に見えたが、間近でみるとそれが男の手そのものだと分かる。そんな手を持った種族は見たことがない。


「よっし、行くぞォ」


 装備を外し終えた男は、両手を顔の高さにあげた。指先には漆黒の鋭い爪が光っている。その先端が濡れたように見えるのは……まさか毒だろうか。


「まずはニンゲン皆殺しィ……ガボッ!?」


 なんとか間に合った。


 爪を閃かせようとした男の頭部、兜の側頭部に俺の右拳が届いた。打撃は浅かったが、それでも男は吹き飛び、そして変形した兜が宙を舞う。


 突然の暴力沙汰に、周囲のドワーフが「おおっ!!」と嬉しそうな顔をする。喧嘩は花、みたいな文化があるのだろうか。だが祭りが始まりそうな雰囲気も、男の素顔を見たドワーフが叫んだことで吹き飛んだ。


「こいつぁ……! 黄昏の眷族じゃあっ!!」


 ドワーフの叫びを聞いてその場が一瞬で凍り付き、ついでその場にいた者は一斉に男から距離をとり始めた。もちろん逃げだすものも多い。


「オレを吹き飛ばすたァ、結構やるニンゲンもいるんだなァ……」


 吹き飛ばされた男が、むくりと起き上がった。


 虫の頭部をもつ男だった。前世の記憶だとカマキリの顔が近いだろうか。服がはだけている部分は、甲虫の外皮に近い光沢をもっている。『黄昏の眷族』は姿形が様々だという話だが、ここまで人間と違うのは初めてだ。


 しかし人間のフリをする『黄昏の眷族』がいるのは少し意外だった。いや、それはむしろ偏見なのかもしれないな。ゲシューラなど並の人間より高い知性を感じさせるのだし。


 鉱山ダンジョンから出てきたばかりの冒険者たちが集まってきて、男を遠巻きに取り囲む。『黄昏の眷族』と戦う気概がある冒険者たちのようだ。もちろん『ソールの導き』のメンバーも俺の方に走ってくる。


「ソウシさま!」


「あいつは毒かなにかを使うようだ。フレイニルは『浄化』の用意をしておいてくれ」


「はい、分かりました」


 心配そうな顔をするフレイニルに指示を与えていると、ほかのメンバーは臨戦態勢を整え終わっていた。


 ゲシューラが近づいてきて俺に耳打ちをする。


「ソウシ、奴はレンドゥルム配下の中でも比較的上位の者だ。名はたしか……ミラン、だったか」


「強いのか?」


「戦えばソウシの敵ではないであろう。問題は、奴は単独では行動しないということだ。どこかに仲間がいるはず」


「そういえばローヴェとかいう名を口にしていたな。そいつか?」


「おそらくそやつだ。むしろそやつのほうが上位よ」


「わかった。ミランとかいうのは俺がやる。皆は周囲の警戒を続けてくれ」


 俺が前に出ると、虫男のミランはギチギチギチと顎を鳴らした。威嚇をしているのだろうか。


「さっきオレを殴ったのはオマエかァ?」


「そうだ。お前が岩を落としたのか?」


「まァそうだなァ。ローヴェの命令だかんなァ」


「なにが狙いだ?」


「さァ? ニンゲンの武器を作れなくスルとか言ってタカなァ」


 あっさり答えてくれたのは自信があるからなのか、単にこのミランに知恵が足りないだけなのか。


 どちらにしろ、『黄昏の眷族』が策を打ってくるとは意外だった。これは結構重要な情報だろう。


 周囲の冒険者たちがジリッと包囲を狭める。


 ミランは周りを見てから顎を鳴らして威嚇をした。


「コイツらはザコだぁな。犬でも相手にしとけよォ」


 ミランを囲むように黒い靄の柱が20ほど立ち上り始めた。それが晴れると、そこにいたのは黒い外皮の犬型モンスター。『黄昏の猟犬』だ。


 以前ゲシューラも召喚していたが、上位の『黄昏の眷族』なら誰でも呼べるらしい。


『黄昏の猟犬』が冒険者たちの方に向かって走っていくと、そちらで戦闘が始まってしまった。『ソールの導き』の方にも数体走ってくるが、ウチのメンバーなら相手にはならないだろう。


「じゃあオマエ、ちょっと俺と戦えよォ」


 そう言うと、ミランの背中が盛り上がり、上半身の服が破けた。何が起きたのかと思えば、ミランの腕が4本に増えていた。どうやら背中に畳んでいたらしいが、こうなると完全に異形のモンスターだ。


「いくゼェ!」


 叫ぶと同時に、ミランの身体がブレたように見えるほどの速度で突っ込んできた。


 4本の腕の先すべてに濡れた鉤爪、それらが黒い閃光となってあらゆる角度から俺を切り裂こうとする。


 俺はその攻撃を腕ですべて弾いていく。空手の回し受け、もしくはボクシングのパーリングみたいな感じだろうか。


 ミランの爪撃は単純な打撃力もすさまじく、並の冒険者では受けることもできず切り裂かれ、叩き潰されるくらいの破壊力がある。とはいえ今の俺にとっては脅威ではない。


 むしろ『アイテムボックス』の軛から逃れた俺にとって、足を止めての殴り合いは望むところだ。全身のキレが恐ろしく増していて、4本の腕の攻撃にも十分に対処できる。


「オマエ生意気だぁなッ! ニンゲンのクセに素手でオレとやり合えるナンテなァ!」


 しかしさすがにゲシューラが上位と言っただけはある。巧妙なフェイントをかけて、ミランの突きが俺の腹に突き刺さった。もちろん『金剛体』スキルもあって腹筋を貫くほどではない。しかしその瞬間、腹からじわっと熱が広がっていくのが分かった。やはり毒か。


「オレの『屠龍泉とりゅうせん』、すこぉし毒に強いくらいじゃ意味ナイぞォ!」


 笑っているのかギチギチギチと顎を鳴らす虫男ミラン


 だがその毒の熱も、腹より広がる気配はない。『毒耐性スキル』と『再生』スキルが十分に働いているのだろう。


 かさにかかって攻めてくるミランの腕を跳ね上げて、俺はその腹に一発正拳突きを返してやる。


「オごォッ!?」


 硬い表皮が砕けた感覚、ミランが身体をくの字に曲げて吹き飛ぶ。


 その機を逃さぬよう俺は距離を詰める。


 しかしすぐに起き上がったミランが、2本の腕の手のひらを俺に向けてきた。


「ナメんなァッ!」


 手のひらかから、なにかが打ち出されたのが分かった。


 俺はとっさに腕を十字に構えそれを受け止める。腕が折れそうなほどの衝撃。


 走っている途中だったので踏ん張りがきかなかった。そのまま数メートル後ろに飛ばされる。が、辛うじて転倒は避けられた。


「やっぱり飛び道具は持ってるよな」


 ミランが岩を落としたというなら、崖に残った破壊の跡からいってなんらかの遠距離攻撃の手段を持っていないとおかしいのだ。魔法かと思っていたのだが、どうやら特有のスキルかなにかのようだ。


「オレの『穿山鱗せんざんりん』、素手で受け止めるンかよォ。オマエホントフザけてンなァ!」


 ミランがその場で交互に手のひらを突き出してくる。連続で打ち出された不可視の『穿山鱗』が、俺の防御の上から叩きつけられる。回避してもいいが、後ろにはフレイニルたちがいる。そもそも俺は攻撃を受ける盾だ。


 俺は攻撃を受けつつ、少しづつ歩を進めていく。


 ミランは気圧されたかのよう下がる。顔が虫だから表情はよくわからないが、アレは焦っている顔だろう。


 俺がぐっと前に出ると、ミランは跳ねるように大きく下がった。一瞬だが『穿山鱗』の攻撃が止まる。


「フッ!!」


 それで十分だ。俺は虚空に向けて渾身の正拳突きを放った。


『衝撃波』――飛び道具はなにもお前だけの特権ではない。


 不可視の力の波が、ミランの顔面を中心にして炸裂した。左右にわかれた顎や大きな両の複眼がひしゃげ、ミランの身体が再度宙を舞う。


 吹き飛んだミランを走って追う。今度は立ち上がる前にとらえることができた。


 俺はミランに馬乗りになり、左手で首を締めあげた。


「おごォ……オマエ……ェ!」


「ローヴェとやらはどこにいる?」


「知らネェよォ、ローヴェは頭がいいカンなァ」


「一緒に行動していたわけじゃないのか?」


「ぐげげ……、ニンゲンと違ってオレたちは群れネェんだヨォ……」


 信じていいかは微妙だが、嘘を言うほど知恵が回るようにも見えない。


 とすると、ローヴェとやらは別行動でほかの策をめぐらすために動いている、と考えるのが適当か。


 さてこいつはどうするか、と一瞬思ったが、


「オマエ……ニンゲン……殺スゥ……!」


 などと言っている奴を生かしておく義理もない。俺はその虫頭に拳を叩きつけ、ついで胸に手刀を突き入れて魔石をえぐり出した。こんな時だが『貫通』スキルの効果が確認できる。


 周囲を見ると、『黄昏の猟犬』もすべて倒されたようだ。多少傷ついた冒険者はいるようだが、死者は出ていないように見える。


 俺が立ち上がると、メンバーたちが走って近づいてきた。


「さすがソウシさま。見事に倒されたのですね」


「ああ。フレイ、すまないが一応俺とコイツの死体に『浄化』をかけてくれ。やはり毒持ちらしい」


「はいソウシさま。一応広い範囲にかけておきます」


 フレイニルが杖を掲げて周囲一帯に『浄化』の魔法をかける。


「もうソウシにかかると『黄昏の眷族』も可哀想なくらいね」


「『黄昏の眷族』を素手で……。この目で見ても信じられるものではござらんな……」


「情報を聞き出してから容赦なくとどめをさすソウシさん。うふふ……」


 サクラヒメ以外はもう驚いた風もなく、ほとんどは呆れ顔だ。気になるのはスフェーニアの瞳が怪しく光っているくらいだろうか。


 いや、もう一人、目を輝かせている人間がいる。もちろんグランドマスターのドロツィッテ女史だ。


 彼女は走ってくると、ドラゴン戦と同様に俺に全身を触り始めた。


「う~ん、何度見てもすばらしい強さだね。狂戦士のごときドラゴン戦もしびれたけれど、『黄昏の眷族』を相手にしても冷静さを失わず、情報を聞きだす今回の戦いも感服しきりだ。これぞまさに英雄の器というものだね」


 やはりこのお褒めの儀式(?)はマリアネが止めるまで続いた。


 それはいいのだが、ふと見ると、周囲が異様な雰囲気で静まり返っているのに気づいた。冒険者やドワーフたちが、俺たちのことをじっと見たまま動かないのだ。


「あ~、これはあれじゃ、いつものやつじゃのう」


「だねえ。ソウシさんはどこでもやらかしちまうからねえ」


 シズナとカルマが訳知り顔でうなずく。


 それを引き金にしてか、俺たちを囲んでいた人々が一斉に爆発した。


「すげぇなアンタ! まさか『黄昏の眷族』を素手でのしちまうなんてよっ!!」


「とんでもねえ男がいたもんだな! まさかあれか、王国から来た英雄伯爵ってアンタのことか!?」


「うおぉっ! 酒だ、酒を持ってこぉいっ!!」


「宴じゃ、宴じゃあっ!」


 ああ、どうやら俺はまたもみくちゃにされないといけないようだ。

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