第5話 代行者の右腕

優れた魔法戦士として知られるエルフ、シェス・ククルアレは、アヴァルフ妖精諸王国連邦のとある里にて生を受けた。

里の中では突出した才能の持ち主であり、里長の娘として強い責任感を抱えながら育った彼女に父は言った。

「力なき者を守る盾となりなさい」

この言葉を胸に刻んだ少女は壁の守人を志すのだった。


守人となり60と余年が経った頃、シェスは運命の出会いを果たす。

領主の手により隠蔽され続けたスラム街とそこに存在する奈落の魔域。

彼女が真相に辿り着いた頃には、魔域は拡大し、スラム街の住人の多くを巻き込んだ大災害と化していた。

被災者の生存は望めない絶望的な状況だったが、助かる命が一つでもあるならと自身に言い聞かせ魔域に足を踏み入れた。

そこで見た光景は壮絶の一言だった。

齢十にも満たないであろう痩身の少年が、彼自身よりも一回り二回り強大な魔神相手に大立ち回りを繰り広げていたのである。

しかし、長いこと撃ち合っていたのだろう。遂に少年は地に足を取られ倒れ伏してしまった。

ハッと我に返った彼女は即座に魔法を構築。発生する推進力で極限まで加速した一刀でもって魔神を切り伏せた。

尚も戦う意志を見せる少年に適当な言葉を投げかけると、彼は糸が切れたように意識を失った。

彼女は少年を背に抱え考える。只の人の子の身でここまでのことを成し遂げられるだろうか。

——————否、彼の力は人々を守るためにある。

戦場から離れて身を隠していた他の被災者を救出した後、彼女は一つの決心をする。この少年は自分の手で育てると。


数日後、目を覚ました少年は開口一番こう言い放った。

「よくも俺の手柄を奪いやがったな!勝負しろ!」

シェスは頭を抱えた。

「命の恩人に向かってその態度は何?それに私が貴方を引き取ったから、これから生意気な口はきかないように」

「勝手なこと言ってんじゃねえ!」

飛んでくる拳を受け止めながら嘆息するシェス。

波瀾万丈な師弟生活が始まったのであった。


何百何千と叩きのめされ力の差を理解した少年は不思議なほど従順になった。

少年が言うことを聞くようになると、シェスは手始めに名を与えた。そして、彼の身なりを整え、正しい言葉遣いを覚えさせた。

するとどうだろう。王侯貴族かと見間違えるほどの美しさではないか。

シェスは自分の仕事ぶりに満足すると言った。

「少しは貴方の言う英雄らしくなったんじゃない?」

「ありがとうございます!それでは剣を教えてください」

顔に貼り付けた笑みから少々胡散臭さを感じるが、最初と比べれば十分及第点であろう。

シェスは爽やかな笑みを浮かべて言った。

「じゃあ次は文字の読み書きを勉強しましょうか」

少年の悲鳴が辺りに響き渡った。


少年もといマティアスが一通りの教養を身につけると、シェスは剣の稽古をつけることにした。

木剣を2本手に持ち、片方をマティアスに放って寄越す。

「好きに打ち込んできなさい」

「はい!」

改めてマティアスの構えを観察する。それがどこの流派のものかシェスには皆目見当もつかなかったが、えらく堂に入っているように見えた。

彼はしばらく様子見していたが、痺れを切らしたように突っ込んでくる。

速いッ!マティアスの動きはシェスの想定よりも数瞬先の未来を捉えていた。それでも彼女にとっては対応できないスピードではない。

今度は威力を調べるため、彼の剣を真正面から受け止めた。瞬間凄まじいほどの剣圧がシェスを襲う。

本当に人の子なの!?想定外が重なり、彼女は軽く狼狽した。

「ぐえっ」

次の瞬間、マティアスは吹き飛ばされ地面を転がっていた。

生命の危機を感じ取ったシェスの身体が無意識下に反撃を行なっていたのだ。

立ち上がりながら文句を垂れるマティアス。

「反撃するなんて反則ですよ・・・」

「そう?反撃しないなんて言ってないはずよ」

シェスは今の立ち会いを振り返る。予想外のスピードにパワー。加えてこのタフネス。この子は人の皮を被った獣か何かではなかろうか。

とはいえ分かったこともいくつかある。

「貴方の剣は大振りが過ぎるわ。それに刃筋を立てられてない。

全身を連動できている点だけは評価できるわ」

「ご指摘ありがとうございます」

「チグハグな剣ね。一体どんな剣術を習っていたのよ」

「剣術を習ったことはありません」

「つまらない嘘つかないで」

睨みを利かせたシェスの鋭い眼光をマティアスは真っ直ぐに受け止めていた。

「嘘よね?」

「師匠に嘘をつく理由がありません」

シェスの頬を一筋の汗が伝う。自分はとんでもないものを拾ってきたのかもしれない。

少なくとも剣の才能は自分以上。しかし、それだけでは説明できない何かをこの少年が持っていることも確かだ。

それが何なのか、彼女は知る必要があると考えた。


六年後。守人の集う修練場にて二人の男女が激しく撃ち合っていた。

「やるわねマティアス。あのクソガキがここまで腕をあげるなんて」

「今に追いついてやりますからね師匠!」

あの日の少年は立派な青年へと成長した。

この時、シェスは稽古を続けながらも焦りを感じていた。自分の方があらゆる面で上であるはずなのに、迷いのないマティアスの剣に気づけば押し込まれている。自分が師匠でいられるのもあと僅かだろう、漠然とそう思ったのだった。


マティアスを弟子に迎えて十年が経った。この頃には彼にあって自分には無いもの、その正体に気づいていた。それが決して自分の手には入らない類のものだということも。

それは身を滅ぼすほどの強い覚悟。自分が逡巡している間に、マティアスは一歩二歩先へ行ってしまう。

それに最近では単純な技量で負かされることも増えてきた。

弟子への嫉妬や自身の至らなさを恥じる気持ち。そして、素直に弟子の成長を祝う気持ち。

複雑な思いを胸に抱えながら、シェスは意を決して話を切り出した。

「マティアス、貴方に教えることはもうないわ。

おめでとう。免許皆伝よ」

驚いた顔をするマティアス。しばらく考え込む素振りを見せた後、彼はおもむろに口を開く。

「これからも師匠は僕の師匠のままですよね?」

「甘えたこと言わないで。これで師弟関係は解消よ。自分よりも強い相手に師匠と呼ばれても虚しいだけだもの」

伏し目がちにシェスは答える。

そして、その様子を見逃さなかったマティアスが再度問いかける。

「それもそうですね。プライドの高い貴女のことですし。

では、これから貴女と僕はどんな関係になるんでしょうか?」

少しは否定しなさいよ!こいつ煽ってるんじゃないかしら!?こめかみに青筋を立てつつも慎重に言葉を紡ぐ。

「そのうち貴方の方が階級が上になるでしょうし、今までみたいな口は利けなくなるわね」

「なるほど」

マティアスはニヤリと笑うとこう続けた。

「じゃあ僕は”君”との対等な関係を望もう。免許皆伝なんて要らない。

そうすれば、僕は君の弟子であり、君の上官だ。これで対等じゃないか」

どこかいたずらっぽい、それでいて真っ直ぐな気持ちの籠った翠の瞳がシェスを貫く。

突然のことで彼女にはマティアスが何を言っているのかわからなかった。彼の言葉をゆっくりと咀嚼する。瞬間頭の中に溢れかえる疑問。何故私に執着する?何故私をそんな目で見つめる?何故これ以上私を苦しめようとする?

それらを呑み込み、努めて動揺を隠しながら至極真っ当な答えを返す。

「そんなの詭弁よ。そもそも弟子が師匠の決定を突っぱねるなんて許されないわ」

「それでもだよ。一生君の弟子がいい。これからも僕と一緒に戦ってくれないか?」

こうなったマティアスは絶対に折れることはない。それはこの十年で嫌というほど思い知らされた。

「全くこの坊やは・・・」

ある種の諦念を覚えたシェスは嘆息しながら渋々了承する。

こうして凸凹師弟の旅は続くのだった。

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冒険者たちの門出 @namusan_power

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