ある死闘の一幕
深い森の豊かな木々が,風で揺れている。その何十何百の木々の葉が奏でる演奏はしかし今のノルドには自身への前倒しの鎮魂歌にしか聞こえなかった。戦いの幕が開いて数分が経った。そうたった数分でノルドには限界が来ていた。戦いの前にもノルドは勝てるなんて思っていなかった。せいぜいやれて深傷を負わせるところくらいだろうと思っていた。だが、そんな想定すら甘かったと言わざる得ないだろう。戦いが始まってから今この瞬間まで肉弾戦が続いていた。それは魔法の使える両者にとって様子見にすぎないはずだった。だが,はじめノルドは絶影狼が吠え終わった直後に腰の剣を素早く抜き、体の前に構えて、地面を強く踏み締め足に溜めていた力を一気に前への推進力に変え突撃した。急加速を完全に制御し、そこから生じた力と身体を捻った遠心力を全て剣に乗せ一文字斬り、確かな技術で巨狼の喉元に振り抜かれた一撃は音速を遥かに超えており相手の虚をもついていてまさに必殺の言葉に相応しい一撃と言えた。だが、そうはならなかった。確かにノルドの一撃は絶影狼の虚をついていた、だがかの巨狼はその一撃を認識するなりノルドには認識できない速さで動いた。ノルドは気付けば脇腹が抉り取られた状態で宙を舞っていた。わけがわからなかった。先の瞬間までは自分が攻撃する立場だったはずだ。魔法を使われた気配もなかった。だが気づけば立場が逆転していた。ノルドにはやはり何が起きたかわからなかった、わからなかったが予測はできた。おそらく自分が認識できないほど早く動かれたのだろうと思った。そう短い時間思考してから勢いを殺して着地する。巨狼は追撃をしてこなかった。それが余裕なのか油断なのかはわからないが都合は良かった。そうしてその後数分に渡りノルドは初めと同じようにあの手この手を変えて巨狼に突っ込んだ。だが、打つ手は見つからず、ただ身体スペックの差を見せつけられただけであった。その上ノルドは度重なる戦闘とそれによる傷で満身創痍、限界であった。だが,何もノルドは無闇にこの数分間馬鹿正直に正面から突っ込み続けたわけではなかった。もしノルドの真意を簡潔に語るのなら時間が欲しかったのだ。覚悟する時間が。
今は先の無い肉弾戦を繰り広げているが、先程やったようにノルドには魔法がある。ならなぜ様子見で勝ち目のない肉弾戦を早く切り上げ魔法戦に移行しないのか? その理由は二つあった。 一つは単純に魔力の残りがあまり無いということだ。 実を言えば始めに黒狼一体を消し飛ばした魔法はかなり消耗が激しいのだ。だが,あの状況では黒狼にとって自身は格上だと判断させ時間を稼ぐ必要がありノルドとしては強力な魔法を使い威嚇するしか方法がなかった。そんな事情であれだけでノルドの魔力の三分の一が消し飛んでおり残りの魔力の運用には慎重にならざるを得なかった。 だが,今の時点で一つ目はどうでも良かった。もう一つの理由がノルドをここまで苦悩させていた。その理由は敵である巨狼が想定よりずっと強かったことだ。この巨狼を仕留めるなら使うのは生半可な魔法ではダメだった。今の魔力で使える最大の魔法を使ってやっと少し希望があるというところだろう。だが,魔法というのはその効果が大きいだけリスクも大きい。さらに言えばノルドの使う魔法は普通の魔法ではなく効果が絶大である分そのリスクも大きい。 過去に一度だけその魔法を使った時には正直何日も生死を彷徨った程だ。それがトラウマで秘境調査団を辞めてしまうほどに苦しかった。だからノルドとしては出来ればこの戦いでもこの魔法は使いたくなかった。たとえそれが理由で死んだとしても、足止めさえ出来ればそれで良いと思っていた。それほどまでかつての経験はノルドを苦しめていた。だが、このままではまともに足止めすらできない。ここで違う魔法を使った所で恐らくすぐにこの巨狼に破られてしまう。そうなったら、この巨狼を足止めすら出来ずいかせてしまったら、きっと確実に村の奴らは誰一人生き残れない。なら…‥
もう何度目になるかわからないノルドの特攻をまた巨狼が遊んでいるかのように吹き飛ばす。ここ数分繰り返しのように見られているこの光景。絶影狼はそろそろこれに飽き飽きしていた。自身に屈辱を味合わせた相手を徹底的に潰してやろうと、すぐに殺さず追い詰めに追い詰めて最後の希望すら絶って絶望させて殺してやろうと特攻に付き合ってきたがもはやあちらに打つ手はないらしい。魔力はまだ残っているみたいだが、おおかた今の魔力では自身に有効な魔法が使えないのだろう。それなら最早時間のフリ無駄だ、もう少し骨のある相手かと思ったが次で終わりにしよう。 そんなことを思っていた時だった。 瞬間、空気が変わった。先程まで予定調和の繰り返しで弛緩していた空気が張り詰める。 そしてまるで抜き身の刃物ような殺気が先程男を吹き飛ばした方向から浴びせられた。 男が立っていた、紫紺の髪と眼をしていて筋肉質な身体に決して美しいとは言えない無骨で強面であろう顔、紛う事なく先程と同じ男が胸の心臓のあたりに右手を当てて顔に狂笑を貼り付けて立っていた。 先程までと同じ男のはずだ、だが何かが決定的に違う、自身の直感がそう感じている。巨狼は今日初めて警戒の唸り声を上げた。それほどまで危険だと本能が告げていた。そして口に三日月を浮かべながら男は声を張り上げ吠える。
「悪いな、退屈だっただろ。だが安心してくれ。もう決意は定まった。 こっから先は文字通り死闘にしてやるよ。楽しもうや、どの道俺もお前もきっとこんなに楽しいのはこれが最後だろうからな。」
そう言い切って、絶影狼が反応する間もなくノルドは抑えていた自身の胸の心臓あたりを思いっきり握りこみ、絶叫と見紛う声で唱えた。
「
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作者からの注意
ノルドは主人公ではありません。
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