第6話 柳沢家の一族
刑事二人が、柳沢商事の会社から、この事件を見てみたが、ここに動機のようなものがあるようには見えなかった。
やはり、
「遺産相続がらみではないか?」
という方が、歴然としているようで、とりあえず、遺言公開での、親族の反応がどうなるか、気になるところであった。
とりあえず、柳沢商事が、トロイカ体制であったということは分かった。
何もなければ、次期社長は、清秀氏だったのだろうが、何者かに殺された。遺産相続としては、
「もし遺言がなければ、未亡人である、春江に半分。そして、子供たち三人に均等に分けられることになるだろう」
普通ならこれでいいのだろうが、わざわざ堅苦しくも遺言に認め、ある一定の時期が来れば、華々しく公開するということになっているのだから、それなりの思惑があるはずだ。
考えられることとしては、
「子供たちの分配であろうか」
つまりは、長女が嫁に行っていることもあって、すでに家を出ている。その相手に、本来なら一銭も与えたくはないのかも知れないが、それではあまりにも可哀そうということで、変な争いにならないように、一筆書き残そうと思ったとしても、それは無理もないことであろう。
そもそも、長女の聡子が嫁に行ったのは、元々、家の方で、
「許嫁」
のようなものを決めていた。
令和の時代では、そんな許嫁などというような制度を聞いただけで、
「へそで茶を沸かす」
というほどに、ちゃんちゃらおかしいというものであったろう。
しかし、当時は当たり前に存在していた。
しかも、金持ちであればあるほど、封建的な制度が色濃く残っているものであり、それが、柳沢商事の体質でもあったのだ。
さすがに、
「そんなの時代錯誤も甚だしい」
といって、最初は飛び出すように駆け落ちまがいのことをして長女は家を飛び出したのだった。
長女が家を出た時、まだ先代も若かった。
「親のいうことを聞けないような娘はどこにでも行ってしまえ」
とばかりの剣幕だった。
しかし、次第に寂しさがこみあげてきたのか。
「聡子に会いたい」
と思うようになり、相模氏を使って、探させたのであった。
相模氏は、会社のことだけではなく、社長の案件もこなすという、社長付けの、
「秘書兼参謀」
だったのだ。
そのおかげで、和子の消息も、相模氏がどのようなルートで見付けたのか分からないが、相当素早く見つけてきた。
半年もかからなかっただろう。さすがに社長も舌を巻いていたが、それだけの情報網と、自分のための部隊のようなものを持っているということであろう。
「やつは、味方であれば、これほど助かることはないが、敵に回せば、厄介なものになりかねない」
と言えるのではないだろうか?
長女には、
「何も帰ってきないさいとは言わないので、たまに、社長の話を聞いてあげるくらいしてほしい」
ということであった。
さすがに娘も親が気になるのか、
「それくらいなら」
ということで、一件落着したのであった。
そんな長女は、実は結婚したことを後悔していた。
親に対してということと、自分の性格からのプライドで、決して誰にも言わなかったが、相手の男というのは、
「結婚して初めて分かる」
ということを、たくさん持っている男だった。
最初の人当たりはとてもよく、元々お嬢さん育ちで、男がどういうものなのかを知らずにいたかすみは、
「結婚したら、こんな人だったなんて」
と思うようになるとは思ってもみなかった。
だが、彼女のまわりの女の子は、
「あの男はやめといた方がいいわよ」
と、つき合い始める時から、忠告していたのだった。
最初は、
「私が彼と付き合うことになって嫉妬しているんだわ」
と、完全に男しか見えていなかったということを、自分から証明しているようなものなのに、まったく何も気づいていなかったことで、まわりに対して、
「自分に嫉妬しているからだ」
という妬みを抱いていたのだった。
それだけ男を見る目がなかったということである。好きになったのかどうなのかも分からないのに、まわりから言われると、
「嫉妬されているんだ」
という気持ちになる。
今までであれば、嫉妬されていると感じると、嫌な気はしなかった。それが、
「お嬢様のお嬢様たるゆえん:
なのかも知れない。
つまり、かすみは、
「自分のことしか見ていない」
ということであった。
ここまで話が続く中で、旦那のことは一言も出てこない。本当であれば、
「彼は、こういうところがいい人なんだ」
ということで、紹介すれば、それがそのまま好きになった証拠であり、それ以上、まわりに余計なことを言わせないという気概になるだろう。
それに、好きになったのが自分だということが分かれば、まわりも何も言わないだろう。それを何かいうということは、
「あの男は好きになるだけの価値はない」
ということが言いたいのか、
「あなたの目が節穴なのよ。さっさと目を覚ましなさい」
と言われているのかということを考えてしまう。
ただ、どちらでもなく、
「ただ、あの男はやめときなさい」
という言い方をする。
たぶん、
「今のかすみには、何を言っても同じだ」
と思ったのだろう。
だとすると、
「友達から言われて、頭に残る言われ方は、どういう言われ方なのか?」
と考えた時、抽象的な言い方ではあるが、後から思い出した時、時間が経っているだけに、
「どうとでも取れるような言い方で言われると、相手が何を言いたかったのかということが気になって仕方がない」
ということになり、そこから先は冷静になって自分で考えられるのではないかと思うからだった。
しかし、かすみは結婚してしまった。後悔が襲ってきた時に最初に頭に浮かんできたのは、父親である先代の顔だった。
「お父さん」
と思ってみたが、後の祭りである。
結婚してからは、あまり夫婦の会話はなかった。
「そんなことは最初から分かっていたことだったわ」
と考えるが、話をしてみると、どうも、
「男として女の許せない」
というようなところがあるような感じだった。
女としても、男の許せないところがあるのはあるのだが、それを相手に言わせないという威圧感があるのだ。
ただ、それは、迫力ではなく、威圧である。要するに、
「暴力に訴える」
というような、
「形のある暴力」
である。
しかし、夫婦間では、許されるのだ。
今であれば、コンプライアンスや、DVなどと言って問題になるが、当時は、どうしても、男が強い時代だったのだ。
泣き寝入りしかなかったのだが、その強欲な部分が、次第に色あせてくるのだった。
会社では、
「強い人間には、ヘコヘコし、自分よりも立場の弱い人間に大して、威勢を張るのであった」
そんな人間なので、会社での立場も悪くなり、会社の上の人から、責任を押し付けられる形で、会社を追われた。
ただの解雇であれば、まだいいが、上司の責任を負わされた、
「トカゲの尻尾切」
として辞めさせられることになったのだ。
会社の人は誰も庇ってくれない。それどころか、この時とばかりに、
「新海さんのせいで、俺たちがどんな目に遭わされたか」
と言い出す始末だ。
今自分の身に起こっていることは、今まで、自分が部下たちにしてきたことの報いではないか。いわゆる、
「因果応報」
というやつである。
その時になって、旦那は初めて気づいたようだ。
自分がやってきたことが、自分では、
「正しい」
と思ってきていて、そのためには、まわりの少々の犠牲は仕方がない。
そんな風に考えていれば、
「お前が今度は会社の犠牲になる番だ」
と思われて、それで終わりである。
「いい気味だ」
と皆ほくそえんでいることだろう。
「勧善懲悪の神は、本当にいたんだ」
と、旦那を糾弾した連中が、まるで神のごとくに。奉っていたに違いない。
旦那は会社を追われた。
もちろん、誰も助けてくれるはずがないにも関わらず、それでもすがろうとする。
自分の親には何度もすがったが、ダメだったという。
「済まない。実査のお義父さんに何とかしてもらえないだろうか?」
と、
「まさか、今までの経緯から、これだけは言い始めるはずはない」
と思っていた、
「禁断の一言」
を口にしたのだ。
確かに、言い方は、その表現に優しさと、切羽詰まった緊迫感があるのだが、真剣さや、本当に困っているという、訴える気持ちが見えてこない。それを見ると、初めて、かすみが、
「今までと立場が逆転したんだ」
と感じた。
今の状態で、横柄な口をきけば、こっちから、三行半を出すだけだった。
「この男を今の私なら、あやつれるかも知れない」
と思ったが、実際に、迷惑が被らないようにしないといけないということを考えながら、いかにあやつるかということを考えていた。
そんな長女夫婦が、帰国してきた。
新海は何とか、日本で海外企業にもぐりこむことができて、海外での勤務になった。これを機会に、
「離婚」
というのも頭にあったが、日本に一人で残っても、ロクなことがないことは分かっていたのだった。
そんな状態において、離婚をしなかったのは、単純に、
「戸籍に傷がつく」
というのもあっただろう。
当時は、離婚というと、あまりいいイメージはなかった。特に女性は、肩身の狭い思いをすることが多く、実家に帰っても、
「出戻り」
ということで、ロクなことを言われず、引きこもり状態になるのではないだろうか?
当時は女性に大して、どこかで働くといっても、職があるわけでもなかった。一人では暮らしていけない。実家に戻るか、嫌でも、旦那にくっついていくかしかなかった。
ただ、一度挫折した男は、さすがに懲りたのか、暴力もなくなり、普通の旦那になったのだ。
もし、あのまま、旦那が立ち直ることができなかったらと思うとぞっとするが、たち煽ることができたおかげで、何とかうまくいけているのは、
「不幸中の幸いだった」
と言えるだろう。
海外で、何とか暮らしていくうちに、かすみも、旦那の方も、うまくやっていた。すでに、自分が、
「柳沢の家の人間」
という意識が薄れかけていた時に、坂下弁護士から連絡があったのはビックリした。
「縁が切れた」
というところまでは行っていないと思っていたが、すでに、海外での再出発をしていたかすみにとって、柳沢家は、
「出てきた家」
でしかなかったのだ。
それが急に、
「「遺産相続の遺言書」
の存在を坂下弁護士に聞かされた時、
「過度な期待は禁物だ」
と思いながらも、
「もし、自分にその権利があるんだったら」
ということで、帰国してきた。
いや、自分が帰らないと、遺言書の公開ができないということであれば、それも致し方のないことであろうと、感じたのだ。
「私は、別に遺産なんかいらない」
と口では言っていたが、
「もらえるのであれば、貰うに越したことはない」
と感じていた。
遺産というものが、どれほどの金額なのか分からないが、それはさておき、気になったのは、兄二人のことだった。
特に、長男の清秀は、気難しいところがあり、神経質でもあった。
「清秀兄さんが、一番、お父さんの血を引いているのかも知れないわ」
と思っていた。
父の庄吉は。とにかく厳格で、
「曲がったことが大嫌い」
というところがあった。
もちろん、会社をここまでにするには、それなりにいろいろやってきたであろうが、実際の行動をしたのは、相模氏だということは、娘にも分かっていた。
それは、長男である清秀にも分かっていた。
清秀は、父親をどのように思っていたのか、あまり人と会話することのないので、本心を分かっている人などいないかも知れない。
ただ、相模氏は、この長男に関しては、
「この人は、厳格というよりも、堅物に近い」
と思っていたので、そのせいなのか、結構厄介なところがあると、相模氏の中では感じていたのだった。
だが、そんな長男の清秀は、遺言書公開前に殺されるという事件が起こった。
父親の自殺だけでも、ショッキングであったのに、ここで、次期社長と目されている長男が殺されるというのは、センセーショナルな話題となり、全国的なニュースにもなった。
特に遺産が絡んでいるということと、社長が自殺をしたすぐあとのタイミングということで、いろいろな憶測が飛び交うのだった。
もちろん、内情を知っている人などいるわけもないので、
「遺言書の内容を知っている人間が、やったんじゃないか?」
などと、簡単に考える人がいる。
もっともそんな連中は、社会のことをあまり知らない若い連中であろうが、年配の人も、
「そこに何かのトリックがあるのでは?」
と考えるようにもなっていたようだ。
しかし、厳重な金庫を開けられるはずもなく、鑑識が見れば、開封されたかどうか分かりそうなものなので、それでも、開封されたという話題が上がらないということは、遺言書の内容を知っている人間はいないということになるであろう。
ただ、中には。
「前もって、社長から聞き出した人間がいるのではないか?」
などという憶測もあったが、それも、社長の性格を知らない人間が、勝手なことを言っているだけだった。
「とかく世間は、勝手なことをいうものだ」
ということである。
そんな世情の中において、いよいよ、遺言状の公表が待たれるところになった。
先代の四十九日の法要も無事に終わった。
遺産相続関係者は、正直、四十九日の法要の間は、気が気ではなかっただろう。
法要が始まる前は、長男が殺されるということもあり、正直、楽天的な性格である次男が、
「まさか、次はこの俺じゃないだろうな?
といって、怯えていたのだった。
そうでなくとも、長男が殺されたことで、その容疑者の一番手に上がったのは、かくいう次男の、清正だったからだ。
それは遺産相続の優先順位からいくと、そういわれるのも無理もないことで、特に世間では、通説のようになっていた。
自分ではやっていないということが分かっているからなのか、それよりも、自分も狙われているという思いの方が強くなってきたのだった。
清正というのは、一見楽天的に見えるが、その実、思い込むと、頭から離れない性格だった。
神経質というわけではないが、どちらかというと、二重人格的なところがあり、それも、躁鬱が絡んだ、
「ジキルとハイド」
のような二重人格性だったのだ。
清正は、兄が存命であれば、社長が清秀となり、自分が専務に就任というところだろうと思っていた。
実際には、清正には、それほど強い野心のようなものはない。楽天的な性格だとまわりから見られるのは、そういうところにもあったからなのかも知れない。
実際、楽天的だというのは、
「世の中、何とかなる」
と思い込んでいるところにあった。
だから、あまり余計なことを考えないようにしていて、余計なことを考えると、ロクなことはないということを、子供の頃から分かっていた。そして、達した結論として、
「兄の影に隠れていれば、これほど気楽なものはない」
と思っていた。
「だから、自分は社長の器ではない。兄に社長をやってもらって、俺は、専務という立場から、気楽に会社を支えていけばいいんだ」
と考えていたのだった。
「 だから、兄を自分が殺すはずはない」
そのことを一番分かっているのは、清正自身で、そのせいもあってか、世間で、自分が殺したなどという誹謗中傷があるが、
「そんなものは、放っておけばいい」
と思っていた。
しかし、そうもいかなかったのは、嫁の聡子の存在があったからだ。
聡子は、清正と違って、貪欲だった。
「殺されたお兄さんには悪いけど、これであなたが、表舞台に立つことができるわね」
といって、喜んでいた。
そんな喜んでいる妻を見るのが、清正は嫌だった。
「そんなことはないさ。俺はわき役でいいんだ」
と言えればいいのだろうが、そんなことをいうと、
「何言ってるのよ。しっかりしてよ。あなたに出番が回ってきたのよ」
といって、けしかけてくるに違いない。
けしかけられると、元々楽天的なところがある清正は、そのおだてに乗ってしまうところがあった。おだてられると、乗りやすい性格は、兄にはなかった。兄は、
「石橋を叩いだだけでは渡らない」
というような、超がつくくらいに用心深い人だった。
だから、神経質であったのだし、それこそ、
「自分の机に、人が触れたというだけで、いちいちアルコール消毒をする」
と言ったような、異常なほどの潔癖症だったのだ。
その性格は、行動だけではなく、精神的にも大きかった。
「勧善懲悪」
まさにそれを言葉がそのまま性格にも表れていて、
「俺が社長になったら、少しでも、裏での動きを減らしていこう」
と思っていたようだ。
そのことを父親に話すと、父親は、
「何を言っているんだ。そんなきれいごとだけで、世の中を渡っていけるわけはないじゃないか」
というのだったが、それを聞いて、
「そうですね、お父さん」
と、その時はアッサリと引き下がったが、それは、父の気持ちを試すためだった。
心の中で、そう思っていたとしても、それを押し隠して、何も言わなければ、
「お父さんもまだ、人間らしいところがある」
と思っただろうが、少しでも自分に言ったことで、しかも、それが、まるで教科書のような回答だったことで、清秀は、少し幻滅していたのだ。
「俺よりも、厳格だと思っていたのに」
と思ったが、逆に今度は、
「自分が社長に就任してしまうと、会社を守りたい一心で、父が変わっていったように、自分も、変わるに違いない」
と考えるようになり、大きなショックを受けることになると思うのだった。
長男のところは、本人が野心家で、潔癖症なのに、奥さんは、普通の性格で、いかにも、
「一歩下がった、良妻賢母」
というところであろう。
ただ、長男も次男も、子供がいない。長男は殺されてしまったので、もう、子供を期待することはできないのだ。
だが、次男は違う。ここは兄のところとは正反対で、野心家なのは、奥さんの方だった。うだつの上がらない亭主の尻を叩いて、やる気にさせる女房。そんな構図が、柳沢家にはあったのだ。
「長男、次男、長女」
とそれぞれに、性格も違い、まったく違った性格や、足取りのあった兄弟であったが、父親の四十九日の法要が終わり、一区切りついたのか、柳沢家の一族は、いよいよ佳境に入ってきたのだった。
当然いきり立っているのは、次男の嫁であった。
「目の上のたんこぶである、長男が死んでくれた」
と、本人には悪いのだが、
「これからは、私の時代だわ」
と思わないわけではなかったのだ。
実際に、今のままいくと、社長の座は、自分の夫にくるであろう。そうなると、自分は、裏から何とでも手を回すことができるからだ。
しかも、次男の清正は、会社を切り盛りできるだけの、才覚があるわけではない。自分のようなサポートがなければやっていけないだろう。
とそんな風に思っていると、気になるのが、相模氏の存在だった。
相模氏の存在は、会社でも、
「公然の秘密」
当然、聡子が知らないわけではない。
「あの男をいかに利用するかが、今後の問題よね」
と、考えていたのだ。
そう、聡子は、義兄である清秀が死んでからというもの、遺産相続というものよりも、いかに会社を自分のものにできるかということの方が頭の中で大きかったのだった。
そういう意味では、
「長男の清秀への殺意が、遺産相続ということであるとすれば、聡子は、容疑者から外れることになる」
と言えるのだが、聡子のそんな思惑を知っている人がどれだけいるというのか?
当然警察の人間が分かるはずもなく、聡子の存在は捜査を進めれば進めるほど、
「黒に近い」
ということになるのだった。
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