第5話 トロイカ体制
今回の事件でかかわりのあると思われる、殺害された長男が次期社長の可能性があった、
「柳沢商事」
は、社長の自殺に続いて、次期社長と目されていた長男の清秀氏が殺されたということで、一時期、パニックになっていた。
それは当然であろう。
余命いくばくかと言われた社長はともかく、次期社長が殺されるなど、青天の霹靂、どうしていいのか分からなくなっていた。
ただ、社長秘書だった男の活躍で、社長が亡くなってから、四十九日、つまりは、遺言公開の時までには、ほぼ、会社を通常に回せるようにしたのだから、その手腕は相当なものだったようだ。
おかげで、遺産相続の遺言公開にまで、間に合ったというわけで、会社が混乱したままでは、遺言公開を後ろにずらすということも言われていた。
それを言い出したのは、長男の嫁で、和子と言った。
彼女は、最初こそ、夫が殺されたことで、気を失ったりして、精神が不安定であったが、
所長である義父の死、さらには、夫の死と、かなり精神的にはきつかったのだろう。
葬儀でも、気丈に振る舞っていたが、どこまでが気力で、そこから先は本能による行動だったのか、自分でも分かっていなかったようだ。
会社では、
「社長の余命が幾ばくかしかない」
ということを知っていたのは、総務部などの一部の人間と、取締役と、一部の会社幹部だけだった。
だから、最初は社長の死が自殺であったということは、伏せておくように緘口令が敷かれたが、いったいどこから漏れたのか、
「社長は自殺したらしい」
ということが会社内でウワサになったことで、
「もはや社長の余命が限られていたことを、いまさらですが、公表した方がいいと思うのですが」
と一人がいうので、
「そうですね、隠しておく必要もなければ、今の混乱を抑えるという意味でも、公表するのがいいでしょう」
と、もう一人が言った。
ということもあったので、社長の死は、
「自殺でした」
ということを公表すると、
「社長も悩んでおられたんだ」
という同情が集まったことで、事なきを得たかと思っていたところに、今度は殺人事件が勃発したのだった。
またしても、会社はパニック。
「何か、柳沢一家には、呪いでも掛かっているんじゃないか?」
と言われたた、会社幹部も、
「まんざら嘘でもない。笑って済まされないかも知れないな」
と思うようになっていた。
この次期社長が殺されたことにおいて、次期社長問題は、完全に暗礁に乗り上げた。
そもそも、遺言が公開される前に、先代は、側近に向かって、
「次期社長は長男だ」
ということをほのめかしていた。
はっきりと明言をしなかったのは、遺言があったからだろう。
自分が生い先短いと分かっていなければ、何も口でいうこともない。
「だからせめて自分が死ぬまでは、皆さんの心の奥にしまいこんでおいてください」
と先代は言った。
ただ、この流れは、普通にあることで、常識的に考えると、これが一番という選択肢だっただろう。
それでも、大っぴらに、帝王学を会社内で、できるわけもなかった。
だから、あくまでも、
「すべては、遺言書発表があってから」
ということになったのだ。
ここには、先代の奥さんの意見もかなりの部分で占めていた。
奥さんは、名前だけ、取締役に入っていて、普段は家を切り盛りしていた。いわゆる、
「専業主婦」
といっても、これだけの家を取り仕切るのは、かなりの労力がいる。
だから、会社では、半分、
「幽霊取締役だった」
といってもいいだろう。
それに、家のことを長男の嫁である、和子に教えておく必要があった。
和子は、結構物覚えもよく、昔から、才色兼備と言われていたというが、まさにその通りだった。
だが、ある時から、和子は普段と同じようにしていても、どこかぼんやり考えていることがあった。
知らない人が見れば、普通に考えているだけであろうが、よく彼女を知っている人間は、その異常性に気づくことであろう。
そういう意味では、柳沢家では気付いた人はいるのだろうか?
どこか、彼女はそのあたりを考えなければいけない存在になっていて、
「意外と、和子のことを、まわりの連中は意識していないんだ」
と、清秀は思っていたようだが、本当は存在感の結構ある人であり、まわりからは一目置かれているようだったのだ。
先代の奥さんから、和子に伝授されたことは、結構あって、吸収するのもうまいので、結構スムーズに行っていたのだった。
いよいよ、四十九日の法要も終わり、それが落ち付いてくると、顧問弁護士である、坂下弁護士が、
「遺言状の公開」
ということで、対象者に、それぞれ、弁護士事務所に来てもらうように促した。
対象者というと、
「柳沢清秀。本人は亡くなっているので、未亡人の和子氏」
「柳沢清正。次男。嫁の聡子」
「長女の新海かすみ。嫁に出ている」
という面々であった。
かすみは海外からであったので、間に合うかという状態であったが、それ以前に、長男が殺されたということで、急遽の帰国となり、四十九日には間に合ったということだった。
まず、坂下弁護士が、話始めた。
その内容は、まず、殺された長男の清秀の警察での捜査で、聴くことができただけの内容を話したが、そこには真新しいことは何も出てこなかった。
もちろん、彼らも、事情を聴かれたが、この中で、長女の新海かすみだけは、入国した形跡がないことから、完全なアリバイが成立していた。
ただし、次男の清正、嫁の和子に関しては、アリバイというのはハッキリしておらず、今のところ、警察でも、捜査を続行中ということであった。
相続関係だけではなく、怨恨、その他も考えられるので、今はその捜査を警察が行っているということだった。
つまり、
「警察の捜査は、ほぼ進展していない」
ということなのだ。
何しろ、人通りのない場所で、真夜中は真っ暗、物音ひとつ聞いたものもいない。
そんな状態で一体何が分かるというのか?
とにかく、物証が出てこない以上、状況証拠でも掴むしかない。とりあえず、先代の人間関係から、警察は捜査しているということであった。
当時の警察は、結構、通り一遍の捜査しかしないということで、迷宮入りする事件も多かった。
「日本の警察は優秀で、世界一だ」
と言われる時代は、まだ少し先のことになるのだった。
警察がいろいろ捜査する中で、容疑者となりえる遺産相続に関わる人間は、それぞれに、確固としたアリバイがあるわけではなく、どっちかというと、
「すべてにおいて、皆グレーだ」
ということであった。
後は、その人の性格や行動パターンを調べるしかないということで、警察は今、そのあたりを個人別に集めているようだった。
ただ、警察の捜査はうまく行っていない。行き詰まっているというべきであろうか。遺産相続人を見れば、
「誰も怪しいと言えば怪しいし、怪しくないと言えば怪しくない」
と、それぞれに一長一短があるのだが、一番の問題としては、
「決定的な証拠が見つからない」
ということであった。
何と言っても、まだ遺産相続の内容を誰も知れないというし、そんな状態で、相続人であり、しかも、長男、さらに、次期社長という人間を殺して、誰が得をするというのか?
殺人事件の場合、
「この人を殺すことによって、一番得をする人間」
動機としては十分だと言われる。
しかし、その人物がハッキリとしないのだ。
何と言っても、
「遺言書がまだ未公開だ」
ということが大きい。
分かっている人がいれば、その人が怪しいのだが、見られた形跡もない。
それは警察の鑑識が調べても、その跡がないのだから、照明されたといってもいいだろう。
そんなことを考えていると、もう一つ気になるところとして、
「では、それ以外に、被害者に対して恨みを持っている人間はいないのか?」
ということであった。
実際にそんな人間は捜査を進めていても、出てくることはなかった。
「このご時世で、会社を経営しているのであれば、一人くらい恨みに思っているやつがいてもいいんだけどな」
と一人の刑事がいうと、
「いやいや、一人いたとすれば、隠れているだけで、数人はいるさ。それがこのご時世というものさ」
と、依田島刑事はいうのだった。
もう一人の刑事は、
「そんなものなのかな?」
と心の中で思いながらも、自分でも、そのあたりは分かっているつもりだったのだ。
それでも、本当に彼を悪くいう人がまったくいない。それも却って怪しいというものではないだろうか?
「男は表に出ると、七人の敵がいる」
などというではないか。普通のビジネスマンでもそうなのだから、社長ともなると、かなりのものだろう。
そこで、依田島刑事が考えたのは、
「参謀である男の存在」
だったのだ。
「この会社に参謀として君臨している男がいる」
という話は、この会社の内部からも、取引先からも聞かされた。
別に隠している様子もないので、会社の人間が、刑事に訪ねられても、気軽に話すことができるのだろう。
人から訊ねられて、すべてに緘口令が敷かれていれば、何も話せない状態となり、パニックになってしまうと、本当に話してはいけないことをポロっと話してしまわないとも限らない。
つまり、
「すべてに蓋をしてしまうと、息苦しいだけで、にっちもさっちもいかなくなる」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「どこかに空気穴をあけておく必要がある」
というものだった。
そういえば、戦前の探偵小説で、
「被害者を一思いに殺すのではなく、生き埋めにする」
というのがあった。
その時には、箱に穴をあけておいて、その穴を空気穴にしておいて、すぐには窒息死をしないようにして、できるだけ長く生かしておいて、苦しみを味合わせるというような恐ろしい話があった。
そういう意味で、動物の習性としては、
「生き延びられるものには、どんなことがあっても、すがってしまう」
というものがあるのだ。
「どうせこのまま死んでしまうのは間違いないはずなのに、さらには、このまま一思いに死んだ方が楽だと分かっているのに、呼吸が苦しくなると、どうしても、その空気穴に助けを求めることになる」
というものであった。
つまりは、
「違法性阻却の事由」
と呼ばれるものの中に、
「緊急避難」
というものがある。
これは、例えば、大型船が難破したりして、沈没した場合に、救命ボートを使って逃げ出した人がいたとする。すると、そのボートは三人乗りだった場合、最初に三人がそのボートで脱出したところを、海面を彷徨っていた人がボートを見つけ、近寄ってきた場合に、ボートに乗っている人が、その人が乗ってくるのを阻止して、殺してしまったとしても、
「ボートは定員オーバーになり、このままでは全滅する」
ということで、海面に漂っている人間を見殺し、あるいは、助けなかったとしても、自分たちが助かるためには仕方のないこととして、この場合は無罪を主張できるのである。
「違法性の阻却」
というのは、これだけではなく、
「正当防衛」
などのように、
「殺さなければ、殺される」
という究極の場面においては、相手を殺しても、罪には問われないというようなものであった。
そんな切羽詰まったものではないとしても、もし、このまますべてを抑えてしまうと、人間というのは、思いもよらない行動に出たりするものだ。
せっかく緘口令を敷いていても、うっかりと喋ってしまうかも知れない。
しかも、精神的に追い詰められていると、冷静な状況判断ができなくなってしまい、本当は言ってはいけないことを口走ってしまう可能性だってないとはいえない、そうなると、せっかくの緘口令も水の泡だ。
だったら、冷静な判断力ができるような環境にしておく必要がある。
そういう意味で、空気穴をあけておくというような感覚になるのではないだろうか?
「私のことは刑事に聞かれたら話してもいい、むしろ、私に聞いてくれというくらいの方がいいかも知れないな」
といって、すべてを引き受けることにしていたのだ。
この方が社員も安心できるし、
「何かあったら、秘書に聞いてくれと言えばいいんだ」
と思うと気楽になった。
そして、社員もその時になってやっと、
「秘書がこのような仕事までしているんだ」
ということに気が付いた。
社長が君臨していて、その相談役に両極として、
「顧問弁護士の坂下弁護士」
がいて、さらに、
「秘書としての参謀役で、相模さんがいる」
ということを知らされた格好になった。
そう、秘書の名前は相模。社長がどこかから見つけてきたようだ。
実は彼は、戦前から、ある大きな財閥を切り盛りしていたのだが、派閥争いに敗れて、会社を追われていた。それを先代が見つけてきて、会社の相談役のような形に収めたのだった。
想像以上の力量に、先代もビックリするほどだったが、その元居た財閥も、今はない。
「相模さんがいれば、生き残れたかも知れない」
というのは、政財界での有名な逸話だったのだ。
ただ、一つ、依田島刑事が気になっていることがあった。
「確かに、政治の世界など、トップに立っている人からみれば、両脇に参謀がいてくれるというのは、安心できるかも知れないんだが、実際に参謀が二人もいると、次第に権力争いに発展したりはしないんだろうか?」
ということを言い出したのだ。
「でも、責任という意味でいうと、もう一人いてくれた方が、気が楽なのかも知れないですよ」
ともう一人の刑事が言ったが、
「それはそうかも知れないが、彼らのように、参謀として生き抜いてきた人たちには、上に上がるという感情が強いだろうから、同じような立場の人間がもう一人いるということは許されないんじゃないかな?」
というのだった。
確かに、ナンバー2というのと、ナンバー3とでは、まったく違うものだろう。やはり、自分が絶対的なナンバー2でいたいと思うのは当然のことであろう。
そういう意味でも、この会社の体制は、影では、
「トロイカ体制」
と言われた。
表に出て、代表として君臨する社長、顧問弁護士として、財産や法律的なことを処理する坂下弁護士、さらにウラのことをすべて一手に握るフィクサーのような存在である相模秘書。
それぞれに立場をわきまえている限り、この会社は安泰だと思われていた。
しかし、社長が亡くなり、今度は、長男が何者かに殺されるという、社長側の立場が安定しなくなった。
ひょっとすると、
「社長の座」
を奪い取る。
というような、野心に燃えている二人なのかも知れない。
もちろん、ライバル関係にある二人は、会社でも犬猿の仲だった。それを分かっていて先代は、二人をニコニコ見ていたのだ。まるで。わざと、二人を衝突されるかのようではないだろうか。
先は、不治の病だった。そのことは、家族と、両腕の二人は知っていた。
特に顧問弁護士である坂下氏の方は、社長の遺書の作成にも携わり、そんな二人の急接近を、いくら仕方のないことだといっても、相模氏が気にならないわけではなかったであろう。
社長は、そのことを気に病んでいたようだ。
社長は、自分が不治の病だと宣告された時は、ショックで目の前が真っ暗になったという。
もちろん、それは社長に限ったことではない。誰もが、
「余命半年」
などと告げられると、どうすればいいのか、困ってしまうことだろう。
しかし、先代は、
「社長になるべくしてなった人だ」
といってもいいくらいの人であろう。
社長にとって、余命宣告は、
「残りの人生をいかに過ごすかということを見つめなおす機会だったに違いない」
そこで考えたのが、
「参謀二人の関係を、ゆるぎないものにする」
ということだった。
普通なら、それぞれの立場から、嫉妬もあれば、ライバル心をむき出しにすることもあり、なかなかうまくいくことは難しいと思われた。
それでも、先代はいろいろ考え、
「要するに、それぞれに、相手に気を遣うことが、自分が上だということを示している」
と認識させることであった。
なかなか口では言えるが、実際には難しい。
それでも、社長は、何とか存命中にその目的を達成できたのだった。
だが、社長の自殺死体が発見されたのが、その直後だったのだ、
坂下弁護士も、相模氏も、
「社長は、やることをやり切ったと思って、満足して死んでいったんだろうな?」
と思った。
遺言書は残してはいるが、本来なら、
「社長の座を息子に譲ったところを手土産に、死へと旅立つ」
ということになるのだろうが、そういうわけではなく、自殺をしたのだ。
「何をそんなに死に急ぐのだ?」
と考えずにはおられなかった。
とにかく、三人がうまく回っている時というのは、
「トロイカ体制」
ということで、うまく回っていたのだ。
社長も、自分が表に出ているというだけで、すべての権力が集中しているわけではないと思っている。要するに、
「三権分立」
を絵に描いたようなものだといってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、社長の、
「不治の病」
というのは、社長にとって、
「志半ばで、命を断たれる」
ということのショックは計り知れないものだったに違いない。
それでも、何とか、残った二人を今の安定した体制におかせて、新社長の後ろで支えていけるかという問題があったのだ。
そもそも、
「新社長に自分ほどの才覚があるのか?」
というのも、問題であった。
「自分にだって、トロイカ体制で、やっと会社を存続できるというのに、甘えた考えを持ったままの息子に、ちゃんと会社の操縦ができるだろうか?」
というのが気になるところだった。
本来なら、自分はもっと長く生きて、ゆっくり、次期社長を育てていけばいいと思っていた。
それだけに、早く息子に社長の器になってもらわないといけないということが分かっているくせに、実際にはそうもいかない。
「一体どうしたらいいのだろう?」
と先代は、自分の病のことよりも、会社の行く末の方が、どうしても気になるのだった。
しかし、社長本人の人間性は、ある程度覚悟はできていて、
「人生に悔いはなかったな」
と感じているところであった。
「いつまでも、本当はトロイカ体制などというものでもないのかも知れないな」
と先代は感じるのであった。
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