第4話 先代の遺書

 早朝になって、警察署の方に一報が入った。どうやら、近くに団地が建てられるということで、バラックも撤去されるというところであったが、そんな今は無人となっているところに、男性の死体があったのだが、どうしてそれが分かったのかというと、

「通報があったから」

 ということであった。

 ただ、その通報というのは、

「死体が転がっている」

 ということではなく、

「ひったくりにあった」

 ということで、警察がパトロールをしているところで、ちょうど死体を見つけたということであった。

「ひったくりなどなければ、早朝、あんなところをパトロールなどしない」

 ということである。

 そもそも、ひったくりというのは、当時としては珍しくもなかった。さすがに、戦後すぐというほどの混乱はなかったが、まだまだ貧富の差が激しいのは、周知であり、実際に、まだバラックに住んでいる人も少なくはなかった。

 行政も必死になって復興をしているのであろうが、物資の問題、さらに、政治家などと、土建屋との癒着などがあり、工事に着手するために、問題は山積していた。

 しかも、その土地の立ち退きというのも、買収に時間もかかっていた。

 さすがに、大日本帝国時代のような、

「建物疎開」

 を理由にできるわけもなく、

「区画整理」

 というだけでは、難しかったりする。

「住宅ができれば、今の場所に優先的に入れるようにする」

 ということを言っても、その家賃が払えるかどうかで、行政ともめているのだった。

「政府や自治体が出せる金」

 というのは限られていて、

「いくら約束をしても、その時になってみないと、事情がどうなっているか分からない」

 というのが、住民側だった。

 自分たちが今と同じであればいいが、食うだけで精いっぱいであれば、ここに住み続けるのは難しいかも知れない。

 ということになれば、お金を貰って、他の今から住めるところに移る方がいいのかも知れないということになる。

 しかし、

「先祖代々の土地」

 ということであり、そう簡単に手放すわけにはいかないということで、難しい選択に迫られるのであった。

 今であれば、

「先祖代々などという、家という発想は、ないだろう」

 と言われるだろうが、あの頃は、

「家系であったり、住んできた土地を守る」

 というような、まるで中世の封建主義のような考え方は、脈々と受け継がれてきていた。

 その頃の探偵小説にもあったのだが、

「昔の旧家ということで、恥を公表することができないというだけの理由で、殺人事件が起こる」

 というような内容である。

 しかも、その作家の代表作と呼ばれるものは、田舎の村などの旧家の家系にその殺人動機が隠されていたり、逆に、それが動機だと思わせて、実は、復讐だったりと、文字通りの、

「血で血を洗う」

 というような殺人事件が多かったりするのである。

 さすがに、都会で起こった殺人事件なので、旧家の跡取りというような話ではなかったが、

「先代が自殺し、その遺産相続で、これから遺言書が公開されるというところで、その渦中である、いや、一番の中心である長男が殺されるというのは、まるで判で押したような殺人事件ではないか?」

 と言えるだろう。

 殺人事件において、一番最初に考えることとしては、

「この人が殺されることで、誰が得をするのか?」

 ということであった。

 そういう意味では、まだ遺言状が公開される前ということなので、そのタイミングは微妙におかしなものである。

「遺言書に、殺害された人が著しく得をするような遺言だった」

 ということであれば、殺害の動機としては十分なのだが、まだ遺言書が公開されているわけではない。

 もし、これが遺産相続に駆らぬことであれば、

「前もって、犯人は遺言状の内容を知っていたということになるのだろうか?」

 と考えられるが、実際に鑑識が調べたところでは、

「封を開けて中を見た」

 ということはないという。

 だったら、

「犯人は、生前の先代を脅迫するか何かで、遺言の内容を知っていたのではないか?」

 ということも考えられた。

 しかし、そうなると、今度は問題となるのが、

「先日の、先代の自殺というのも、本当に自殺だったのだろうか?」

 ということもクローズアップされることになる。

 ここにおいて、長男の死体が発見されたことにより、

「会社社長子息殺人事件」

 ということになったのだ。

 たぶん、近い将来社長就任の予定であっただろうが、今はまだ、社長ではなかった。

 重役というわけではなかったの、ただの会社員であるが、この戒名のつけ方は、

「先代の自殺から、尾を引いている事件だ」「

 ということを、公表しているようなものだった。

 捜査本部は、K警察署に置かれた。

 県警本部からは、

「古だぬき」

 として有名な、桜井警部がやってきたが、依田島刑事は、この桜井警部が、K警察署で警部補をしていた頃からの付き合いだった。

 だから、面識はあるのだが、それだけに、気合を入れないといけないと思うのだった。

 捜査本部が置かれた中で、まずは、今回の事件のおさらいが行われた、まずは、社長の自殺からであった。

「あの事件は、元々、かたがついた事件ではありましたが、今回の事件と相関性がないと決まったわけではないので、もう一度、確認してまいりました。ただ、実際には、すでに事件性はないということで、会社内での、会社葬、さらに、親族での家族葬が行われ、荼毘に付されましたあので、もう、解剖などということは不可能になりました。ただ、鑑識としては、まったく外傷がなかったことと、カルテによる病気の進行具合、主治医の尋問等により、これ以上はしょうがないということでした。あくまでも、病気を苦にしての自殺。青酸カリを服毒しての自殺ということですね」

 との報告に、

「青酸カリの出どころは?」

 と聞かれて、

「はい、今の会社ができる前、つまり戦前から、あの会社は存続していたようで、戦争中には、軍需工場のような感じだったということです。軍需工場では、戦時中には、虜囚の辱めを受けずという戦陣訓に習って、青酸カリが配られたといいます。その時のが残っていたんじゃないですか?」

 というと、

「それにしても、戦後かなり経っているんだから、そのあたりの管理はしっかりしているんじゃないのか?」

 と聞かれたが、

「いえ、戦後の混乱期があったことで、結構戦争中の悪しき事例が見逃されていることは結構あるようで、優先順位のつけ方が難しいんです。だから、今回の青酸カリの問題も、そうは簡単には行く問題ではないんですよ」

 と、報告した刑事は、

「やれやれ」

 と言った表情でいうのだった。

 確かに時代は変わって、今では、

「もはや、戦後ではない」

 と言われるようになったが、実際には、まだまだ一部ではバラックが幅を利かせていたり、闇市が横行しているところも多かったりする。

 それを考えれば、

「この時代が、一番貧富の差が激しかった」

 といってもいいかも知れない。

 しかも、いまだに昔の部落であったり、集落のようなものによって差別されていた時代。確かに、男爵や子爵のような、爵位による特権階級はなくなってきたが、闇市の横行によって、表に出てこない、

「影のドン」

 というものが、蔓延る世界になってきた。

 戦後、土建屋であったり、闇市などで財を成した連中が、組織を形成し、その土地の、

「親分」

 となっていったのも、

「時代の象徴」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんな時代において、民主警察としては、

「何を助け、何をくじかなければいけないのか?」

 ということを考えると、

「なかなか、勧善懲悪というわけにはいかないだろう」

 と言えるのではないだろうか?

「今回の事件において、一週間前に発見された社長の自殺というのが、次期社長の殺害事件に何か関係しているのではないか?」

 と考えると、

「まったく関係のないことはないでしょうが、社長は放っておいても、死ぬ運命にあったというのに、急いで死んだということは、何か関係があると、思わせるに十分ではないでしょうか?」

 と、一人の刑事が言った。

 その刑事こそ、依田島刑事で、彼は、社長が自殺したことにすら、何か違和感を持っていたのだった。

 ただ、事件性がないのは間違いなかった。

「自殺である」

 として片付けられたことを、簡単には、蒸し返すことはできない。

 結果論であるが、次期社長候補であった長男が、殺されたことで、再度自殺にメスを入れなければいけなくなったというのは、実に皮肉なことである。

 しかも、この次期社長の死というものも、どこか胡散臭い。

「遺産相続の遺言書を開封もしていないのに、その長男が殺されるというのは、いかんせん、おかしなことだ」

 というのが、大方の意見であった。

 それは、当然と言えば当然、遺言に何が書いてあるか分からない状態で、その渦中の人間を殺すということであれば、

「この事件には、遺産相続が動機としては浮かんでこないということになるんでしょうかね?」

 というと、

「それはそうだろう。遺産相続のための遺言書が公開される前に殺されたとなれば、中身を知っていないといけないだろうからな」

 ということであった。

「ところで、遺言状の公開はどうなったんです?」

 と一人の刑事がいうと、

「長男の四十九日が終わってから、公開するとのことです」

 というと、

「それまたのんびりとした」

 というと、

「これも故人の遺志だったようで、公開前に相続に関わる人の誰か一人が死んだら、その四十九日が済んでから公開するようにというようになっていた」

 というのだった。

 実際に、一人外国にいたということで、集まる日が少し遅れたのだ。

 弁護士が至急連絡し、戻ってくる手筈を整えて、向こうでの仕事に一段落をつけての帰国ということだったので、少し時間が掛かった。

 何とか帰国を果たすというその道中に、長男が殺されるという事件が勃発したのだった。

 もちろん、最初に疑われたのは、遺言書であった。

「誰かが、遺言書を盗み見たのではないか?」

 ということで、弁護士事務所の所長である、顧問弁護士を始めとして、助手や、事務員までが疑われた。

 しかし、鑑識が確認したところ、金庫を開けた様子もなければ、もちろん、封もしっかりとしまったままだという。

 したがって、遺言書を見た者はいないということになる。

 あくまでも、遺言に関しての犯罪だということで的を絞って考えた場合であるが、

「では、誰か、遺言の内容を知っている人間がいて、その人間を家族の誰かが、買収、あるいは脅迫まがいのことをしたのではないか?」

 ということも考えられた。

 しかし、故人である、先代は、

「とにかく、人を信用しない人で、普段から、信用できるのは、金だけだというようなことを言っているような人だった」

 ということであった。

 しかも、遺言書の内容をいくら何でも、他の人に話すわけもなく、知っている人がいたとは思えない。

 そうなると、今回の殺人は、

「遺言に関しての殺人とは関係がない」

 ということかも知れない。

 ただ、普通に考えれば、一番有利なのは長男であろう。何と言っても、まだ封建的な考え方が残っている時代。しかも、世襲で会社を大きくしてきた先代の次ということになると、よほど、間抜けであったり、後を継がせるにはどうしようもないと言える人間でもない限り、遺産の分与はかなりのものだったに違いない。

 兄弟としては、弟がいたが、

「兄が死ねば、普通に考えれば、その相続の半分は自分に来ることになる」

 ということだ。

 今相続人として挙がっているのは、配偶者である奥さん、さらに、息子二人と、妹がいるが、妹はすでに結婚して家を出ている。遺産相続の立場にはあるが、かなり少ないのは、想像できるというものだ。

 そもそも。どれくらいの遺産だったのだろうか?

 戦後の新円切り替えや、財閥解体などというものを、乗り越えてきたのは、秘書をやっている人間がいたからだ。

 彼らの家系が、この家の財産と基本的には取り仕切っていた。

 だから、いくらかは彼らにも分け前はあるはずだ。どれだけのものなのかは分からないが、金銭というよりも、会社関係の権利であったり、経営権のようなものは、彼らに行くかも知れないと思っていた。

 何といっても、先代の社長は、家族よりも、秘書の家系の方を信用していた。

 昔からの執事のような家系と言ってもいいだろう。いわゆる、

「参謀のようなもの」

 であったのだ。

 ただし、あくまでも、

「家族に遺産を継がせたいという意思があった」

 というのは、皆周知のことだった。

 社長が自らそういうことをほのめかしていたというから、そうなのだろう。

 参謀というのは、行政や経営に関してを一手に握り、それ以外の法律的なことや、司法のようなこと、細かいトラブルの問題解決などには、顧問弁護士の方が取り仕切っていた。

 そもそも、顧問弁護士というのは、今に始まったことではなく、その存在は広く知られていた。ただ、秘書、執事と呼ばれる存在は、昔でいうところの、

「番頭」

 というイメージが強いのだろう。

 経営権、その他、会社に関しての権利や主導権は、昔から、彼らの手の内にあったのだ。そういう意味で、たぶん、会社関係の遺産は、会社の特殊法人が管理することになるのだろうが、その管理運営すべてを、秘書の家族がもらうということで、決着がついているというのが、ほぼ大まかな内容だった。

 被害者の、死因は、

「刺されたことによる、出血多量でのショック死」

 ということであった。

 死亡推定時刻は夜中のこと、目撃者も、変な物音を聞いたという人もいなかった。

 夜中だったので、当たりは静かだったはずなのに、あっという間だったことと、後ろからの不意打ち、さらには、適格に心臓を抉っていたということで、ほぼ即死に近かっただろうということで、声を立てることもできなかったのかも知れない。

 何といっても、これだけ静かな場所で、物音を立てず、当然、真っ暗だったか、それに近いくらいの暗闇だったはずなので、

「よくこんな場所で、声も立てさせないほどに確実に殺せるもんだな」

 と、依田島刑事は言った。

「そうですね。まるでプロの仕業のようだ」

 この時代は、まだまだ、混乱が収まっていない時代でもあり、品保の差の激しさから、暗殺や強盗などというものも多く発生し、治安は決して良くはなかった。

 だからこそ、裕福な人間は、金にモノを言わせて、自分を警護するために、用心棒を雇っていた。

 だから、世の中には、そんな用心棒的な男は結構いて、その筋に聴けば、教えてくれるというものだ。

 犯人も、そんな人物を探し出し、刺客として仕向けたのかも知れない。まるで、江戸時代か、明治初期のようではないか?

 そんな連中は次第に、武装化し、過激派となっていったり、やくざの組を構えて行ったりしたのだろう。

 特に、社会主義への革命運動など、影では結構行われていたのかも知れない。警察でも公安のような部署が、目を光らせていたことだろう。

 いわゆる大日本帝国における、

「特高警察」

 のようなものだ。

 相手が社会主義勢力であれば、遠慮はいらない。昔の、

「特高警察」

 並みのことをしていても不思議ではない。

 実際に、破壊した組織もあったことだろう。

 それでも、うまくいかずに、その後の、

「日本赤軍」

 の台頭を許すことになったのも、事実であろう。

 警察としては、今回の事件を、

「ほぼ、プロの仕業ではないか?」

 と思っている。

 ということは、犯人は、プロを雇ってでも、確実に暗殺したということだとすれば、

「実に冷静で、しかも、覚悟もしっかりと持っている」

 といってもいいだろう。

 犯行現場も、死亡推定時刻も大体わかっているのに、捜査では、ほとんど何も目新しいことは出てこなかった。

 こうなったら、遺言を聞いてみるしかないのだが、四十九日の法要がすまないと開封できないということで、遺産相続に関わる人間は、気が気ではないだろうし、警察の捜査もここでいったん、中断してしまったようで、苛立ちを隠せない。

 もちろん、捜査は行われていた。ただ、新しいことがまったく出てこないというのだから、

「暗礁に乗り上げた」

 といってもいいだろう。

「この時代では、なかなか、市民も警察に協力してくれるわけではないので、捜査が進まないのも仕方がないのだろうか?」

 と、口には出さないが、捜査員のほとんどはそう思っているようだった。

 実際に遺言書の発表がなされる中で、捜査は、少し目先を変えてみることにした。

「我々は、捜査方針を、遺産相続に関してだけ見ていたが、それだけでは、暗礁に乗り上げてしまった。他の方面からも見てみる必要があるのではないか?」

 と、本部長の意見があった。

「たとえば、どういうものですか?」

 と聞かれた本部長は、

「我々は、殺されたのが、財閥ともいえるような富豪家族の持っている会社の次期社長という世に込みの高く、先代の長男であるということで、どうしても、遺産相続にばかり目を向けていたが、それだけの男なのだから、女関係であったり、会社内での派閥抗争であったり、普通に怨恨関係があったりと、考えられることを、一度出し合って、一つ一つ、潰していく必要があるんじゃないかと思うんだ」

 と、いうではないか。

 そもそも、警察の捜査というものは、そういうところから始まるものだ。

「どうして、捜査の方針を、遺産相続関係一本に向けてしまったのか?」

 ということに、誰も疑問を抱かなかったのだろう。

 何も、遺言公表の時まで、じっと待っている必要などないのだ。誰もが考えられることを、地道に捜査すればいいだけだったはずではないか。

 実際に、会社や華族、いろいろ捜査が行われた。

「いまさら」

 というところはあったが、

「現場百回」

 という言葉があるように、バラック後の、殺害現場の捜査も行われた。

 時間がだいぶ経っているので、何かが出てくるということもないだろうし、当時の鑑識では、かなり限界があるというものだ。

 殺害現場から、発見されるものは何もなかった。

 もしこれが、どこかの室内であれば、捜査のしようもあるが、何と言っても、バラックの跡地ということで、コンクリートの欠片などが、いっぱい落ちていて、空襲で焼け落ちた廃墟となった街を、いまさら思い起こさせるのであった。

 今度は会社の方に行ってみた。

 会社は、戦後すぐは、闇市からの土建屋だったようだが、そのうちに、まっとうな会社として、株式登記を行い、貿易を中心とした、一種の、

「マルチ営業」

 のようなものを営んでいた。

 さすがに、会社というものが、当時では、だいぶオープンになってきただろう。

 それまでの紺頼の時代は、闇市に毛が生えたようなものや、それこそ、土建屋のような、気の荒い連中が多かった会社が幅を利かせていたのだろう。

 何しろ、住宅らしいものは、ほとんどが焼けてしまい、行政による区画整理が行われれば、その後は建設ラッシュとなるのは分かっていることだったので、土建屋というのは、どこまでも需要があるというものだった。

 どんどん、建物が建っていって、社会が元通りになってくる。

 しかも、今度は鉄筋コンクリートの家も多く、次第に団地のようなものもできてくるのだ。

 会社もどんどんできてくると、従業員を雇うようになる。

 何と言っても、インフラ整備が急務で、電気、ガス、水道はもちろんのこと、鉄道や道路などの整備も急ピッチである。

 東京では、

「東京タワーの建設」

 などもあり、ウワサとしては、

「オリンピック招致」

 もあるという。

 しかも、その招致には、

「日本の敗戦からの復興」

 ということを、

「全世界にアピールする」

 という目的があったのだ。

 だからこその、復興が急がれた。しかもただの復興だけではない。それまでの木造家屋から、鉄筋コンクリートに変わったり、いろいろな、社会を築くことになる。

 復興がどこまで進むかが、これからの日本の将来を決める。オリンピックを開催したはいいが、

「20年近くも経っているのに、まだまだ復興にまではほど遠い」

 と思われては、世界から取り残されてしまう。

 ただでさえ、

「敗戦国」

 という負い目があるのだ。

 戦後結成された、国際連合、いわゆる

「国連」

 であるが、これも、第一次大戦終了後の、

「ベルサイユ体制」

 のあやまちを、再度犯そうというのか?

 あくまでも、

「戦勝国による戦勝国のための機関」

 となっていた。

「敗戦国はどこまで言っても敗戦国」

 ということにしてしまうと、第二、第三のナチスが台頭してこないとも限らないではないか。

 世界恐慌であったり、社会主義の台頭であったりと、事情は他にもいろいろあったわけだが、ベルサイユ条約において、敗戦国であるドイツにあまりにも酷な条件を出してしまったことが、第二次大戦を招いたという教訓が生かされていない。

「敗戦国は、二度と軍国主義にならないように、経済的にも、政治的にも、軍事的にも、徹底的に締め付けることが必要だ」

 ということだったのかも知れないが、蓋を開けてみれば、何ともひどい状況。敗戦国とはいいながら、

「ここまでやっていいものか。これでは、完全に弱い者苛めではないか?」

 と言われても仕方がないだろう。

 そんな時代を通り越し、今度は日本が敗戦国。ドイツなどは、二度とも敗戦国になり、アメリカとソ連の対立に完全に巻き込まれてしまった。

 そんな状態を見ていると、

「どこまで締め付ければいいのか?」

 と言いたくなる。

 そういう意味では、日本は言い方は適切ではないかも知れないが、

「幸運だった」

 と言えるだろう。

 朝鮮半島の動乱から、戦争が勃発したことで、

「戦争特需」

 が生まれたのだ。

 その特需が、日本を豊かにし、復興を急ピッチで行えるようにした。

 そのおかげで、特需から、そんなに時間が経っていない間に、

「もはや、戦後ではない」

 とまで言われるようになったのだ。

 気説ラッシュでの土建屋、さらには、元闇市などから生まれた、貿易関係の会社などは、大きな成長を遂げていくことになるのだった。

 そのうちの一つが、今回の事件に関係する、

「柳沢商事」

 だったのだ。

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