第3話 殺人事件発生
そんな警察に、一抹の不安と、縦割り社会というものを、あからさまに見せつけられると、せっかくの勧善懲悪の精神が、どこか揺らいでしまうのが分かるのだった。
もっとも、それらのことは、別に警察組織でないとないわけではない。民間の会社だって、理不尽なことは結構あるだろう。
警察しか知らない依田島刑事は、何とか、気持ちを維持したまま、今日も警察の中で、刑事を言う仕事をまっとうしていくしかないと思っていたのだった。
ただ、最近の凶悪事件だけは、どうしようもない。捜査をすればするほど、世の中の理不尽さが見えてくる。
「民間企業というのも、警察に負けず劣らず、理不尽なところがある」
ということを、最近になって感じるようになった。
だが、あくまでも、凶悪犯の捜査なので、民間企業のことにまで考えが及ぶ余裕はなかったのだ。
しかも、警察は、
「民事不介入」
あくまでも、刑事事件の捜査を行うだけであった。
一時期流行ったのが、
「飛び降り自殺」
というものであった。
高いところから落ちるというもの、または、
「電車に飛び込む」
という、
「飛び込み自殺」
などが頻繁したりしていた。
「確実に死に至る」
という意味では、自殺する人間には都合がよかったのだろうが、
「他人に迷惑をかける」
という意味では、厄介であった。
「死んでいく人間が、いちいち、残される人間のことなど考えるはずもない」
と言えばそれまでであろう。
確かに、死んでいく人間にとって、残される人間は関係がない。だが、実際には、飛び降り自殺をすると、
「下には誰がいるか分からない」
ということで、直撃を受けて、巻き沿いから死んでしまう人もいるだろう。
何よりも、その人がクッションになって、死ぬはずだった自分が生き残ってしまえば、本末転倒ではないだろうか?
いや、何が一番困るといって、中途半端な状態で生き残るということだ。
何とか医者は、助けようと努力をするだろう。しかし、その結果、最悪の場合は、
「植物状態になってしまう」
ということになりかねないのだ。
もし、そうなってしまうと、家族への負担はハンパではない。生き返る可能性がどこまであるか分からないが、生命維持のための費用をどうやってねん出すればいいというのか、
それを考えると、居たたまれなくなってしまう。
「安楽死も認められていないし」
ということである。
不謹慎ではあるが、
「どうせ、自殺しようとまで思ったのだから、生き返ったところで、何があるというのか?」
と考えれば、このまま、楽にしたやる方が、どれほどいいことだろうかと、家族は、口出さずとも思うのではないだろうか?
だからこそ、安楽死という言葉は、別名、
「尊厳死」
ともいうではないか。
元々の意志で死のうとした人間なら、何も、
「延命の必要があるというのか?」
と、考えるのもおかしなことなのだろうか?
そんなことを考えると、
「このまま、生命維持装置を外すことの何が悪いのか?」
と考える方が、人間らしいと言えるのではないだろうか?
「人間らしい」
という言葉は、えてしていい言葉にも悪い言葉にもなる。
しかし、どちらかというと、あまりいい意味に取られないのはどうしてであろうか?
植物人間を抱えることになった家族はそんな風に考えたり、
「神も仏もないものだ」
と感じるに違いないだろう。
自殺をする人間には、いくらかの方法がある。
「自殺する人間は、まず何を考えるだろうか?」
考えられることとしては、目の前のこととして、二つがあるのではないかと思うのだった。
まず一つが、
「どうすれば、楽に死ねるだろうか?」
ということ、そして、もう一つが、
「どの方法を取れば、確実に死ねるだろうか?」
ということだろう。
確かに、死ぬのに、
「苦しみたくはない」
と思うのは当たり前のこと、そして、それ以上に、
「確実に死ねないと、死を覚悟した意味がなくなってしまう」
というものだ。
実際に死のうとして死にきれず、前のように回復したとしても、死を覚悟した要因になったものが、消えていないだろう。
そうなると、生き残ったことが口惜しくなるのも当たり前のことだ。
しかし、人間というのは厄介なもので、
「一度死を覚悟して死にきれなかった場合、また死ななければいけない状況は変わっていないだけに、再度、自殺を考えなければいけない」
ということになる。
しかし、
「人間というのは、そう何度も死ぬ勇気なんて持てるものではない」
というではないか?
結局生き残ることになるのだが、もう、何をどうしていいのか分からなくなるだろう。
自殺をする方法としては、いくつも考えられる。
まず一つとしては、前述のような、
「飛び込み」、
「飛び降り自殺」
というものである。
これは確実に死ねる確率は高いだろうが、生き残った場合を考えると果たしてどうなんおだろうか?
何よりも、人に迷惑をかけることで、下手をすると、
「残された家族に、自分と同じ道を歩ませることになる」
ということであった。
「植物状態:
となってしまうと、前述の問題を抱えることになる。
また、電車などに飛び込んでしまった場合は、残った家族に、
「電車を遅らせた」
ということで、その賠償金を言い渡されるのだ。
その額はハンパではないという。一番迷惑を被ったはずの客に還元されることのない。言い方はあれだが、
「鉄道会社の丸儲け」
といってもいいくらいで、
「飛び込み自殺は、家族を崩壊させ、その分、鉄道会社を儲けさせただけという、実に皮肉で、バカバカしい死に方になるのだ」
ということになるだろう。
しかし、実際に、こんな理不尽なことはないはずなのに、飛び込み自殺というのは多かった。
たぶん、その後の賠償などというのを知らないのだろう。それを思えば、
「飛び込み自殺などをした時、残された家族がどうなるか? ということをちゃんと世間に知らしめたほうがいい」
という意見もあったが、どうも鉄道会社が、それを拒んでいるようだった。
「丸儲けできなくなる」
などと真剣に考えているわけではないだろうが、何か裏に潜んでいるものがあるということではないだろうか?
あの時代の人たちが、どのようなことを考えていたのか、あるいは、もくろんでいたのかというのは。なかなか理解できるものではないようだ。
また、他にもいくつも自殺の方法はある。
「確実に死ねる」
という確率が高いものとしては、
「毒薬を煽る」
というものがあるだろう。
ただ、この場合の問題は、
「いかに毒薬を手に入れるか?」
ということだ。
戦後すぐであれば、たとえば、軍需工場に勤めていた人たちや、兵隊の人たちなどは、
「捕虜にならないように」
ということで、青酸カリが配られたということがあったようなので、まだ大切に保管している人もいるだろう。
「ただ、いつまで効力があるかというのが問題であるが」
正直どれだけもつかということを知っている人は少ないだろう。昔はネットのようなものもなく情報は少ない。
だからと言って、迂闊に誰かに聴いたりすると、
「何でそんなことを聞くんだ?」
と言われて、どういい返せばいいのかも困ってしまう。
結局、分からないままの使用になるのだろうが、これこそ、
「死にきれなかったら、どうなるんだ?」
ということになるだろう。
だが、やはり青酸カリというのは、入手が簡単にできるものではない。
殺人だったら、
「足がつく」
というレベルであろう。
では、他の自殺の方法としては、同じ薬で、
「睡眠薬」
を多量に服用するというのがある。
しかし、この場合は死にきれない可能性がある。さらに、目覚めることもなく、こちらも最悪、
「植物状態」
である。
睡眠薬の服用を考えるのは、たぶん、
「眠っている間に死ねるから、一番楽だ」
ということであろう。
しかし、分量を間違えると、却って副反応を起こして、痙攣を起こしたり、泡を吹いたりして、苦しむというようなことも聞いたことがある。決して、楽に死ねるわけではないということであろう。
そういう意味で、睡眠薬というのも、自殺の方法としては危険なものである。
さらに考えられることとしては、いわゆる、
「リスカ」
と呼ばれるもの、つまりは、
「リストカット」
手首の動脈をナイフなど切り、出血多量のショック死で、死に至らしめるというものである。
これは、よく若い女性などが一番自殺を試みる時にやるもので、死にきれなかった人であっても、何度も繰り返すという、
「常習性」
のようなものがあるという。
「ためらい傷」
と呼ばれるもので、精神的に、慢性化するものなのだろうか?
リストカットの場合は他と違って、
「自分の力」
が必要となる。
首を吊るわけでもなく、毒を飲むわけでもない。自分で力を掛けるので、どうしても、セーブしてしまうので、ためらい傷が残るのだ。
だが、
「一番楽な死に方」
と思うのではないだろうか?
ただ、本当に、
「一番楽」
と考えるのは、
「睡眠薬の服用」
ではないだろうか?
この場合は、前述のように、
「もし、死にきれなかった時、副反応を起こして、泡を吹いたり、呼吸困難になったりして、相当苦しむ」
という話を聞いたことがある。
眠っている間に死ねるという発想は、相当甘いということが言えるのではないだろうか?
そういう意味では、
「リストカット」
も同じことである。
苦しみながら、しかも、ためらい傷が残る。出血していく中で、こちらも痙攣を起こしかねない。死に至るまでに一番時間が掛かり、苦しむ時間が長いのも、このリストカットではないだろうか?
まだまだ死に方はいろいろあるが、次に考えられるのは、
「首吊り」
である。
よく、自殺する人が、
「借金などで首が回らなくなって、首を括る」
というのがあるが、ある意味、一番、
「手軽」
ということであろう。
首を括る場所と、ヒモさえあれば、どこでもできるのだからである。
ただし、首を括る場合は、相当な苦しみを味わうことになる。
こちらもなかなか死ぬところまでは行きつかない。苦しみなから死ぬことになるだろう。
しかも、その苦しみは、身体の限界を超えるといわれている。
身体から、体液が漏れてきて、口や、下半身から、垂れ流し、などという悲惨な状態を見せつけることになる。女性が死を選ぶには、
「これほど人に見せられないものはない」
と言えるだろう。
一般的な自殺というと、このあたりになるだろうか?
過去の著名人の自殺などで、話題性になったものをして、
「割腹自殺」
「焼身自殺」
などというものがあるが、そこまでくると、
「ただ死ぬだけではなく、死を宣伝する」
という形になるだろう。
また、これは異色な考え方だが、
「死んだかどうか分からない」
という、まるでミステリーの謎のような話しがある。
「死んだと思わせて、実は生きていた」
と思わせたいというのもそうであるが、
その場合の自殺(したとされる方法)としては、
「断崖絶壁からの飛び降り」
などによるもので、
「死体が潮に流されて、絶対に上がらない」
というものであったり、
「富士などの樹海に入り込む」
というもので、これも、死体が見つからない。
というパターンである。
ちょうど、戦後のこの時代であれば、それらの自殺も多かっただろう。
死体が見つからないことがいいのか悪いのか、その人は、ただ、死ぬことだけを考えて、残った人がどうであろうが関係ないという場合である。
特に行方不明ということになると、遺産相続ができるわけではない。そうなると、残された人には、
「せめて、自殺がハッキリしている方がいい」
と思うことだろう。
保険金は手に入らなくとも、遺産相続はできるからである。
だから、それでも、行方不明になりたいということは、逆に、
「意地でも、遺産を相続させたくない」
というほど、残された人を恨んでいるという可能性があるではないか。
それを思うと、
「自殺するなら、死体が見つからないのは、困る」
というものである。
それは警察も同じで、
「余計な手間がかかる」
と思うかも知れない。
行方不明であっても、遺書があったりすれば、死体の捜索は行われる。ただの行方不明者のように、届を出しただけということにはならないだろう。
つまり、行方不明になっている人が見つからないと困る場合など、実は、
「死んだことにして、実は生きている」
ということで、犯罪に関わっているのではないかというのが、結構探偵小説などではあるだろう。
時に、戦後の探偵小説もそうだが、その後の、
「社会派推理小説」
と呼ばれる時代に入ってくると、特にそういう話が使われることが多かったりする。
社会派というと、よくあるのが、
「一人のサラリーマンが、会社の上司に言われて、悪に手を染めたはいいが、上司の立場が悪くなると、部下を切り捨てるようにして、自分たちが生き残るというパターンであある」
つまりは、
「部下に全責任を押し付けて、密かに葬り去ったのだが、それを怪しいと思った主人公が、実は殺された人間が実は生きていて、会社を脅かしているというような、一種ホラーのような話しができたりもしている」
実際に、そのような小説も多かったりした。
奥さんと、犠牲になった社員の親友とが手を結んで、会社を脅かすというようなことである。
かといって、力があるわけではないので、組織に捕まったら終わりである。
そのあたりを、サスペンスタッチで描くという、いわゆる、
「社会派ミステリー」
というような話である。
結構、ドラマ化や映画化もされたりした。
一世を風靡した作家も何人もいて、主人公も、刑事だったり、弁護士だったり、検事だったりと、その後の、
「安楽椅子探偵」
と言われるものの走りだったりするのではないだろうか?
自殺というものも、こうやって考えてみると、いろいろあるものだ。
そして、その成功未達成など、その後において、いろいろな遺恨を残すことから、
「一長一短ある」
といってもいいだろう。
本当は自殺などないに越したことはないのだが、
「生きていく方が、死を選ぶよりも、何倍も辛いことがある」
と言われる通り、自殺をする時というのは、自分の覚悟とタイミングのようなものがあるのかも知れない。
そういえば、以前、
「死にたくなるのは、菌の影響で、自殺菌というものがあるのではないか?」
という話を聞いたことがある。
妖怪などでは、
「死神」
というのがいるというが、似たようなものなのだろうか?
ただ、今回の自殺は、別に何も怪しいところのない自殺であった。
身元もハッキリしているし、遺族のところに行くと、
「そうですか。自殺を」
と、憔悴はしていたが、別にビックリしたという感じではなかったのだ。
そこにいたのは、長男だった。
ちなみもその自殺した人というのは、柳沢庄吉という人で、会社社長をしていたという。
会社社長をしていて、今だ現役であったが、今は病気ということで、長男が、社長代行をしていたという、
しかし、
「まもなく、私が社長に就任することになっているんですよ」
というではないか。
「じゃあ、社長が、会長職になって、息子さんが、社長に就任されるという、いわゆる、代替わりというやつでしょうか?」
と聞くと、
「いいえ、実はそうではなく、父の病いは不治の病いで、もう長くはないと宣告もされているんですよ」
と、長男が言った。
「ほう、そのことを、お父上は知っておられたんですか?」
と刑事がいうと、
「ええ、知っていました。だから、私たちも父がある程度覚悟はしているのだと思っていましたので、自分が死んだ後のことも、弁護士を通じて、ちゃんとしていると思っておりました」
という。
「なるほど、これだったら、憔悴はしても、驚きはなかったわけが分かったというものだ」
と刑事は感じたのだ。
さすがにこれ以上は、遺産相続に絡むことのようなので、個人情報に抵触するということで聞けなかった。会社の顧問弁護士という人にも遭ってきたが、さすがに社長が自殺をしたということで、その後始末にてんやわんやであった。
いくら弁護士とはいえ、どんなに段取りよくしても、忙しい時は忙しいというものだ。弁護士も、いくら刑事とはいえ、あまりかまってもいられないし、刑事の方としても、自殺だとハッキリわかっていて、事件性もないことなので、ウラドリを形式的に行うだけであった。
それを考えると、
「ここは、あまり時間をかけても」
ということで、弁護士が、
「遺言を預かっている」
ということと、
「その手続きに少し手間がかかる。つまり、遺族を集めることに少し時間が掛かる」
ということがあるので、忙しいということのようだった。
警察も、
「別に事件性もない」
ということで、その日のうちに、
「自殺死体発見」
ということで、報告書という書類を回すだけだったのだ。
この事件は、すぐに忘れられた。司法解剖することもなく、毒を煽っての服毒自殺だったので、外傷ももちろんなかった。
誰かと争った跡でもあれば、それは、それで問題だが、そんなことはなかった。静かに死んでいったようである。
「普通青酸カリを飲むと、もっと苦しむはずなのにな」
という意見もあったが、
「普段からの薬も結構きついもので、苦しい薬に関しては、免疫ができていたんじゃないか?」
ということだったので、担当医に聴いてみると、
「ええ、そうですね。闘病は結構きついものでしたね、体力が衰弱したり、なかなか眠れなかったりと、挫折する人も結構いて、延命を望まない人もいるくらいです。ただ、自殺というのは思い切ったことをされたものです。治療がかなり苦しかったことは、想像できますね」
ということであった。
そこまで裏付けを取ると、さすがに、
「もう事件性はない」
ということで、何も言われることはなかっただろう。
それから一週間も経たないうちに、ある殺人事件が勃発した。
まさか、この間の自殺をもう一度思い出すことになるとは、誰も思うことはなかったであろう。
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