第6章 甘いのか甘くないのか!?

第33話 あのお父さんが私に甘い!?


 彼の子を出産してまたなにか騒がれたりするのか、と一時は警戒したけれど、世間はもう稲塚グループへの関心は薄れていたらしく、私たち家族は静かに過ごすことができた。


 稲塚グループのお店のほうは一部で悪いイメージが残りはしたものの、古くからの固定客に支えられ、変わらぬ質とサービスを維持してなんとか続いていた。


 『家族でがんばりたい』という私の言葉を受けて、ガトーさんはお仕事の現状や悩みもなるべくちゃんと伝えようと努力をしてくれているようだった。


「王子なのにおまえを守れなかったから死のうと思ったらしいよ」


 ほんとバカだよな。と、このお父さんは相変わらず平気でひどいことを言う。


「だから『王子は辞めろ』っつったんだよ」


 ふん、と鼻を鳴らしてベビーベッドの中を覗いてその目を優しく細めた。


 退院して二日目。今日はお店は定休日で珍しくお父さんが昼間のリビングにいた。窓の外は真夏の日差しがまぶしく影が濃い。蝉の声もよく聴こえていた。


 そんな窓を眺めながらお父さんは、まるでなんでもない世間話みたいに切り出した。


「おまえらが継ぐんなら」


 思わず「え?」と聞き返してしまった。お父さんは構わず続ける。


「二号店でもつくるか」


「……え!」


 今度は聞き返したわけじゃない。驚いて声が出たんだ。


「なんならもう〈シャンティ・ポム〉って名前じゃなくていい。おまえらで決めればなんでも。ここのレシピで受け継ぎたいもんがあんなら教えるし、ほかにやりたいケーキがあんなら自由に追加すればいい」


「そんなの……『二号店』だなんて呼べないよ!?」


 それじゃまるで新しいお店だもん。するとお父さんは窓の外を眺めたままでふう、と息をつく。


「おまえはうちのなにを継ぎたいの」


 なにって……。


「店名やレシピをまるきり同じにしても、おまえとガトーが作って売るのならそれは俺がやってる〈シャンティ・ポム〉とはちがう」


「そう……だけど」


「『二代目が店を潰す理由』とかいうの、そういうことなんじゃないかって俺は思うんだよね。初代の真似をしようとしてるようじゃだめなんだ。一生かけてもできっこない。なぜなら二代目は初代とは別の人物だから」


 歩んできた人生がちがう。見てきた景色が。思うことが。匙加減が。まったくちがうから。


「レシピ通りなのに『なんかちがう』ってずっと首を捻り続けることになるんだ。店主も、古くからの客も。そうして無駄な試行錯誤を繰り返し、そのうちに本来の良さまでよくわかんなくなって、行く末は」


 破滅。


 ごくり、と唾を飲み込んだ。


「おまえらに俺の味は出せない。けど、おまえらにしか出せない味だって絶対ある」


 するとお父さんは「もっかい訊くけど」とまっすぐこちらを見た。


「おまえはなにを『継ぎたい』の?」


 私が、継ぎたいのは……。


「レシピじゃないだろ」


 こくり、と頷いた。


 〈シャンティ・ポム〉でお父さんがお客様にもたらしているもの。それはたくさんの笑顔と、幸せ、そしてそれぞれの特別な時間。


 それと同じものを、私も生み出したい。それはたとえ『同じレシピ』があっても容易にできることじゃない。


「……やれんの?」


 じ、と見つめ合った。真夏の陽射しみたいな強い視線にどきりとする。だけど目は逸らさない。逃げない。だって私は、もう決めたから。


 すっくと立ち上がって、改めて向かい合った。


「やれます!」


 負けないくらいに力強く言うと、お父さんは珍しくキョトンとしてから、ふ、と微笑んで「デカい声出すと泣くよ」と笑った。私が慌ててベビーベッドを覗き込むうちに、静かにリビングから立ち去っていた。


 二号店……。いや。私たちのお店。夢が、どんどん具体的になってくる。見えてくる。


 ガトーさん。

 二人の夢が、いつかきれいにぴったり重なる。



「そんなの……いいんですか!? 兼定さん」


 休日に会いに来てくれたガトーさんは私から話を聞くと飛ぶように立ち上がってリビングからお父さんのいる厨房へと慌てて駆け下りた。


「べつにいいよ」


「べつにって、だってそんな、なにも新たに店をつくる必要なんか」

「必要ないか? 俺はここを譲る気はないよ」


 まさか俺が死ぬのを待つつもり? と。そう言われるとガトーさんは弱い。


「おまえ夫婦で店やりたいんでしょ。んでいちごはここを継ぎたい。だったら『二号店』ってのが一番折り合いがつくだろーが」


「それはそう、ですけど」

「店名考えといて。〈シャンティ・ポム 2号店〉とかはなしね。パクリは禁止。おもしろくない」


 するとガトーさんは。


 なにも言わずに、びゅん、とその頭をお父さんに向けて深く深く下げた。めいっぱいの、感謝と敬意。


 こんな姿、結婚の申し込みでも見なかったけどな。


 そっと私も隣に行って、ぺこりと頭を下げる。


「大袈裟だろ」とお父さんは笑った。



「考えてきたんだ」と彼が案を持ってきたのはそれからまた一週間後のことだった。忙しい時期でない限りガトーさんはこうして週に一度は私と眞白ましろの顔を見に来てくれている。


 見て。と差し出された手帳には、ちょっと可愛らしい手書き文字のアルファベットが並んでいた。


〈Frésier〉


「……フレジェ?」


 それはフランスの華やかでかわいらしい苺のケーキ。サイドの部分に苺の断面が見えるようにして作るのが特徴の、主に丸型の赤いホールケーキ。


「そう。『エ』は大きく発音しようと思うんだ。だから『フレジエ』。単純なんだけど、いちごちゃんと、僕だから」


 なるほど、〈苺のお菓子〉。

 ほんとうは生クリームの意味も入れたかったんだけど、難しくて。と眞白をちらりと見た。


「ふふ。いいんじゃないかな。眞白は眞白で、きっと好きに育ちます」


 するとガトーさんは一瞬はっとして「そうだね」と微笑んだ。


 私もガトーさんも、稲塚グループや自分たちのお店を眞白に継がせるつもりはない。もちろん本人が希望すれば話は別だけど、自分たちのように「そうしろ」「するな」とは言わないで育てよう、と二人で決めていた。


 だから店名にも、眞白を意味する言葉はない方がきっといい。



Frésierフレジエ



 はじめは〈シャンティ・ポム フレジエ店〉にしたいとガトーさんは言ったけど案の定お父さんに却下された。


「意味わからんだろーが」

 まあ、そうだね。


 それでも結局ガトーさんは〈シャンティ・ポム〉をどこかに入れることを譲らず、何度も試行錯誤して、〈Frésierフレジエ〉のロゴの隣に小さく〈 Chantillyシャンティ Pommeポム〉と並べることでようやくまとまった。



「ところでガトー、おまえほんとうに両方やるつもりなの?」


 どうやって? と訊ねられて「ああはい」と頷いた。


「月別で半々でやるつもりです。例えば偶数月と奇数月、という感じで」


「いちいち移動して?」

「もちろん」


「クリスマスは」

「状況をみて判断します」


「ふうん」


 この件に関して、お父さんはほんとうはあまり良く思っていないんじゃないか、と私は密かに感じていた。だからこうして何度も機会を作っては本人に確認してるんでしょ。だけどガトーさんは譲らないし、彼を理解しているお父さんも強くは言わない。


 私としては、ガトーさんを信じたいから。彼が「できる」と言うのなら、無闇に反対する理由はなかった。


 ……というのに。


 思わぬところから波風が立った。

『嵐』は突然に私たちのもとへと訪れたんだ。



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