第30話 幸と不幸はカミヒトエ②
凍りつくって、こういう感覚なんだ。
いつの間にか外は雨が降り始めていた。豪雨くらいに激しく、ざあざあと。
勤務していた本店じゃなくて良かった、なんてのん気に言っている場合じゃない。さっきの話だと、ガトーさんがその責任を取るってことだよね?
「ねー!」
思っていると二階からお母さんが呼ぶ声がした。「テレビ!」
その夜、はじめてガトーさんから連絡が来なかった。
『パティシエ王子 転落人生か!?』
朝一番、珍しく新聞を広げているお父さんのもとへ行って覗くとそこにはそんな大きな見出しが。
「今日にも緊急会見だって。見る?」
正直見たくない、だけど。
こくり、と頷いた。
テレビではすでにガトーさんの仕事ぶりや過去のことまで放送されていた。さすがにちょっと騒がれすぎでは? と思うけど、少し前に『王子様』と騒がれたばかりの人には仕方のないこと、なの?
「んー。身体にわるいよーう。ねー、やめたらー?」
お母さんは心配してそう言ってくれたけど、「大丈夫」と返した。しっかり見ておきたかった。彼の姿を。
さすがのお父さんも時間にはお店を抜けてきた。そうして親子三人で、昼下がりにテレビを観た──。
「連絡は、変わらず取れてないの?」
お母さんに訊ねられて「ああうん」と返す。今朝も早くから待っていたけど彼からはメッセージも着信もない。
あのガトーさんが連絡してこない。それがどれだけ非常事態なのかを物語っていた。
「大丈夫かな……クマがすごかったね」
「そりゃ寝れないっしょ、こんな状況では」
お父さんはスマホを眺めて苦い顔をしていた。すると電話が鳴ったらしく立ち上がって廊下へと出て行く。
たまらず私も立ち上がって廊下に近づいて聞き耳を立てた。
「……ああ。でしょうね」
お父さんの声が聴こえた。
「は。それはキツい」
詳細はもちろんわからない。だけど返す言葉でなんとなくの察しはつく。
ガトーさん。
ガトーさん。
何もできない自分がほんとうにもどかしかった。
お店で食中毒が出た場合、三日から一週間程度の営業停止処分を受けることとなる。今回の場合は二号店だけで済むようだけど、ガトーさんの身動きが取れなくなっているのもあって本店以外のお店は臨時休業となっているらしい。
本店リーダーの雨宮先輩に連絡してみると、お店はガラガラ、とまではいかないにしてもお客様の入りは確実に減っている、という。
お店とガトーさんが襲われるのは営業停止やお客様の激減だけではない。被害者への謝罪と賠償、つまり医療費の負担までしなければならないんだ。
被害者側からすれば当然のこと。だけど、お店側、ましてガトーさんからしたら……。まさか百人以上のところへ謝罪と賠償に出向くのかな。そうでなくても大変なことには違いない。ここでの動きがお店の今後のイメージにも大きく関わるのだろうし。
だけど個人店のシェフと違って彼は『本店』の勤務。自分が直接関わったわけでもないのに全責任を負わないといけないの?
「当然っしょ。あいつが責任者なんだから」
お父さんの言葉に、改めてその立場の重さを理解した。
それにしてもこんなにメディアに取り上げられて。いくら覚悟してオーナーシェフを継いでいたとしても、こんな仕打ちあまりにひどい。もともと繊細な彼が、このストレスに耐えられるのか。
私も心配で押しつぶされそうだった。
愛する人がこんなに大変な目に遭っている時に、私はどうしてそばにいないのか。妊娠中だからって実家でぬくぬくと過ごしているなんて。なにもできなくても、そばで寄り添うだけでもできるはずなのに。
ああ。ああ。なんでこんなに遠いの。画面越しなの。声が聴けない、掛けられない。
届かない────。
「いちご」
お母さんが、抱きしめてくれた。
ああ。温もりに触れたら、涙が止まらなくなってしまった。
「また声が出なくなったりしないよね?」
ニュースの度に画面に映るガトーさんを見てお母さんがお父さんに言う。
「ならないっしょ。あれでもかなり成長してるよ、精神的にも」
答えながらテレビを消した。
「連絡ついたかよ?」
訊ねられて、首を横に振って答えた。
短い返信がやっと来たのはそれから二日経ってからだった。
【心配かけてごめん。また連絡します】
「短い」
お母さんは不満げだったけど、お父さんは「仕方ないよ」と弁護した。
「生きてるってわかっただけでもよしとしないと」
冗談にならないからこわい。負担にならないように、私からも短く返信しておいた。
【大丈夫。連絡、待ってます】
ほんとうはもっと溢れる気持ちがあるんだけど。今は、がまん。
一週間の営業停止を終えて二号店の営業は再開されたものの、ショッピングモール内の三号店と、ショコラ以外の専門店は再開されなかった。
通常ならそこまで影響が及ぶことではないはずなんだけど、原因はテレビでの過剰な報道によるお店のイメージダウンとのことだつた。
「ずいぶん縮小すんだね」
お父さんはそうつぶやいて「あいつ生きてる?」と訊ねてきた。
「……んん」
メッセージは、来たり、来なかったり。前までのように毎日欠かさず、ということはなくなっていた。
カメラや記者に四六時中追われている生活なのか、あるいは未だに被害者のもとへ謝罪と賠償に行っているのか、彼の動きは私にはわからない。ただ、余裕がない、というのはよくわかった。
それでも。
【いちごちゃんも体、大事にね】
優しいな。こんな時にまで。
ほどなくして、彼がオーナーを辞めることになったと報道がされた。
責任……。
責任って、なんなのだろう。
巨匠がオーナーシェフだった時代に同じことが起こっていたら、ここまでの騒ぎになったかな。きっとそんなことないんじゃないかな。
王子に仕立て上げた彼を平民に叩き落として、ただおもしろがっているのではないかと思えてならない。
『王子、就任わずか2年であっけなく平民へ』
テレビでは『二代目が店を潰す確率と原因を解明!』なんて話題まで出てくる始末だった。
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