第26話 巨匠の本心はほろ苦い


 そんなわけで夕方。お母さんとともにご来店した女の子はくりくりお目目のお人形さんみたいなかわいい子だった。


「こちらでお間違えないでしょうか」


 慣れない接客にドキドキしつつ、女の子にも見えるように屈んでデコレーションケーキを見せた。すると。


「ぅうっわああああっ! ひゃあ! すうぅんごいねぇ! ママ、みてみて、ほんとにサンタさんだあぁ! ゆっちゃんのサンタさん! きゃはは!」


 弾ける笑顔がかわいすぎて慣れない私は卒倒しそうだった。


「ゆっちゃんねぇ、5さいさんになったの」


 そっか。お姉さんだねぇ。と頷くと「うん!」と元気に返事をくれた。


「これ、おねーさんが作ったの? すごぉい!」


「これは……」と言い淀むと、隣からうちのお母さんが「かわいいサンタさんだね」と微笑んで答えた。


「手作りですよね?」とゆっちゃんのお母さんもまじまじと見ている。ほんとうにすごいです、と。それから「ご迷惑をかけた上、こんなご無理まで言ってしまいすみませんでした」と謝った。


 私のお母さんは「いえいえ。よかったら来年もオーダーしてくださいね」と笑顔で返して、『5』の数字ロウソクを「おまけです」と箱に貼り付けた。


 かわいいお手手をひらひら振って、ゆっちゃんは大満足でお母さんと帰っていった。


「ご迷惑かけた、って言ってたけど……どういう経緯いきさつだったの?」


 すると「ああ」とお母さんは微笑んだ。


「ゆっちゃんが初めてここに来た時ね、ショーケースを見て『サンタさんないー』って泣いちゃって」


 その日、ここに来る前にゆっちゃん親子は図書館にいて、ゆっちゃんはどういうわけか季節外れのクリスマスの絵本がすごく気に入ってしまったんだそう。それで『次行くお店にはケーキがあるよ』と言われて、バースデーケーキを注文しにきたはずがすっかりクリスマスケーキが注文できると思い込んでしまったんだって。


 それで大泣きに……。


「そしたらシェフが出てきて」


 シェフ、はお父さんのこと。お仕事中はお母さんはお父さんをそう呼ぶ。



 ──ケーキにサンタさん載せてあげよっか。



「いきなりでよくそんな約束したよね? ふふ。だけどそれでぴたっと泣き止んだんだよ」


 お父さんが折れた足を引きずってまで叶えてあげたかったこと。


 じいん、と胸がいっぱいになって、ゆっちゃんの様子を伝えようと急いで厨房に戻った。


「お父さん……」

っそい。次はパウンドケーキの仕込み。はー、まだ計量してないのかよ。早くしてよ、ほんとトロいな。さっさとやれ。あとの仕事も詰まってんだから」


 すっごく喜んでくれたよ、という言葉は即座に吹っ飛ばされた。


「お客様の顔、見なくてよかったの?」


 訊ねると「アホかおまえ」と一蹴された。なんでよ。


「こんな姿見せたらどう思われるか」


 あ……そうか。


「でも私が作ったと思われちゃったよ?」


 それはさすがに良くないでしょ? と思うけどお父さんは「べつにいいよ」と。


「喜んでたならそれでいい」


 ほら早く仕込み。と急かされて、それからはもうヘトヘトなるまでこき使われた。


「そろそろ晩ごはんはー?」


 いつの間にかお店は閉まっていてお母さんが住居の二階から呼んでいた。


 え、今何時? と時計を見てびっくり! 杏子ちゃんが先に帰ったのは気づいてたけど、いつの間にこんな時間に?


「やっぱ同量の仕事はこなせないわな。今日はもういいや。おわり」


 お父さんはそう言うとさっさと片付けて階段へ向かう。……ってその足でひとりじゃ危ないよ! 待ちなさいっ!


「もう、ひとりでやろうとしないでよ」


 慌てて支えに行くと「ああ、ありがとう」と案外素直にお礼を言われてしまった。


「おまえやっぱセンスはいいね」


 更にそんなことまでぼそりと言うからいよいよ反応に困る。


「ちゃんとパティシエになれてんじゃん」


「……まだまだ、だよ」


 謙遜じゃなく本心で言った。すると「当然だ」と睨まれた。ええっ。どっちなのよ。



【どんな具合?】


【しごかれてます】

【いや、ケガの方は】


 ああ、そっちだ。と慌てて【大丈夫そうです】と返信をした。


 あ、そうだ。伝言があるんだった。


【そういえばガトーさん。お父さんが巨匠の話をしてました。「巨匠はちゃんとガトーさんを認めてたよ」って】


 送ってみると、電話が鳴った。


「ごめん。メールじゃちょっと、もどかしくて」


 お父さんから聞いた話を、なるべくそのまま伝えてみる。


「……知らなかったな」


 ぽつりとそんな返事をされた。


「というか。父はどちらかというと兼定さんを口説き落とそうとしてた印象だったから。まあ知っての通り結果は父の完敗だったわけだけど」


「え!」驚いて言うと「知らないよね」と笑われた。


「一歩間違えたら、本店のスーシェフは僕じゃなくて兼定さんだったかもしれない」


 ま、あの兼定さんが引き受けるわけないけどね。と。


「それでもかなりしつこく誘っていたらしいから。だからまさか二人が僕の話をしていたなんて……思ってもみなかったな」


「ガトーさん」

「……ん」


「巨匠は……お父さんは、ちゃんと知ってくれてたと思いますよ。ガトーさんがパティシエとして活躍する姿も、スーシェフとして立派に現場をまとめる姿も」


 返事はない。だけど続ける。


「もう大丈夫だな、って安心したから、早めに旅立ったのかもしれないです」


 私の方まで目が潤んだ。「そうかもね」と返すガトーさんの声が、震えているように感じた。



 こうして始まったお父さんと過ごす日々はほんとうに大変だった。なんとか指示通りに仕事をこなすものの、常に暴君シェフの文句が飛んでくる。


「は? おまえこれ何分焼いた?」

「雑だな。やり直し」

「クリームゆるいね。だめ」

「はー。カスタードもまともに作れないの」

「冷蔵庫荒らすな」

「接客くらいちゃんと覚えれば?」

「下手。こんなん使えるか」


 あのね。私だってそんなにミスが多いタイプじゃないんだよ? ただこの暴君シェフが膨大な量の仕事を投げつけてくるから!


 たくさんパティシエがいた前の職場とあまりに違う環境と仕事内容に目を回した。


 だけどそのおかげで。


 前みたいにガトーさんを恋しいと思い悩むことはほとんどなくなっていた。


 もちろん好きな気持ちが薄れたわけじゃない。連絡は相変わらず毎日取っているし、次の帰国が待ち遠しい気持ちだってある。


 仕事も、恋も。

 ……あれ、私。


 充実してる。人生でいちばんって言えるくらい。



「ね、お父さんはなんでパティシエになっの?」


 そういえば訊ねたことがなかった。定休日の今日は専門学校へ非常勤講師として出向いていた。今はその帰りの電車。


 ちなみに「娘です」と自己紹介したら何人かの女子学生が仰け反ってひどくショックを受けているようだった。……あの子たちってお父さんのこと、いつもどう見てたんだろう。


「なに急に」

「……や。聞いたことないなって」


 すると「んん」と少し考えるようにして橙色に染まる窓の外を見つめた。


「べつにないよ」


「……へ」


 思いもしない答えだった。


「まあ強いて言うなら。高校ん時にたまたま食ったケーキが異常に美味うまかった、とかそんなん」


 けど。とこちらを向いた。


「俺が作る菓子を食ったやつらが、バカみたいに幸せそうな顔するから」


 そこで切って「ふ」と笑った。車窓から西日が射し込む。


「辞めらんなくなったんだろーね」


 お父さんはそう話して、私を見た。


「おまえはどうなの」


「えっ、私は……どうかな」


 大学を辞めてまで私がやりたかったこと。今、なんだかそれが、おぼろながら見えてきているような気がした。


 そしてそれは、お父さんとお店で日々過ごすうちに徐々に明確になっていった。




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