第25話 父の本音はほろ苦い

「サンタとトナカイ。俺がやるからいいよ。おまえは土台ナッペ(クリーム塗り)して」


 はい。と答えつつ気になる。だってこのお父さんは……。過去には数々の有名コンテストで受賞歴もある凄い人……っていうのは実は専門学校に入ってから知ったことなんだけど。そんな人が今ここでマジパン細工をするって言うんだよ!? 見たいよね!?


 ちなみにマジパン細工というのはアーモンドの粉と砂糖などを練って固いペースト状にした『マジパン』と呼ばれるもので作る細工菓子。食用色素で色を付けて人形などを作り、ケーキの飾りとして使用する。その技術や出来栄えを競う菓子職人のコンテストもあるのです。


「見んなよ。気が散る」


 く。少しくらいいいじゃん。そう思っているといつの間にか杏子あんずちゃんも寄ってきてすっかり製菓専門学校の授業のようになった。


「わあ……すごい」

「か、かわいい」


 こんな態度の悪いオジサンから生み出されたとはとても思えない繊細でファンシーポップなサンタさんとトナカイさんだった。豊かな表情はまるで生きているかのようで、可愛らしい笑い声を立てて今にも動き出しそう。そこにはたしかに独自の世界があって、見る人を一瞬で引き込む。うん、魔法だわ、これは。


「はあ、そんな珍しい? おまえら学校で散々見てきたろ」


「いや……レベルが違います」

 杏子ちゃんがお父さんの手元から目を離せないまま真顔で答えた。私もそう思う。


「ね。こういうデザインって普段から練習してるの?」


 このオジサンが紙にいくつもこんなかわいい絵を描いているのはなかなか嫌だな、と思いながら訊ねてみると、またひどくバカにした目で見られてしまった。なに。


「正確なバランスと色彩。あとは古い形にとらわれないで常に情報収集。それをちゃんとしてたら練習なんかしなくてもこのくらいできんでしょ」


 できます……か!? できませんよね!?


「つかおまえ学生時代にマジパン細工で賞もらってたじゃん。このくらい余裕だろ」


「知っ……てたの?」

 驚きのあまり固まった。だってあの時お父さんは……。


「なんの反応もなかったじゃん」

「いちいち反応するかよ」


 反応……してほしかったんだよ?


「あの作品、どう思った……?」

「は? 今更なに。充分評価されてたんだから俺がとやかく言うまでもないだろ」

「お父さんから見てどうかが知りたかったの」


 思わず前のめりにそんなことを訊ねていた。だって。あの時の私はお父さんに褒められるために頑張っていたんだから。


 するとお父さんは作業を終えて手を拭くと、ため息混じりに立ち上がって松葉杖をもうすっかり使いこなしながら厨房の隅の本棚の前に移動した。


 迷いなく端の方の製菓雑誌を一冊抜き取る。付箋もなにもないのにすぐにそのページを開いて見せてきた。


【学生部門 金賞 沢口 いちご さん】


「こんなの……残してたの?」


 驚いて訊ねると照れる様子もなく「まーね」とだけ答えた。


「……聞きたい?」


 改めて訊ねられて、どきりとしつつも、静かに頷いた。ごくり、と無意識に喉が鳴る。


「金賞……とはいえ。特別抜きん出たことろは正直ない。まずパッと見でテーマがわかりづらいよね。それと細かなところ、たとえば動物の肉球だとか。毛の質感。土や草の質感。その辺の作り込みがまだ甘い」


 その辺の評価で『大会会長賞(1位)』じゃなくて『金賞(2位)』だったんしょ。と。


 的確すぎて、ぐうの音も出なかった。唖然とする私に「でもま」とお父さんは続ける。


「初めてのコンテストでここまでやれたら上等。よくがんばったよ」


 一瞬固まってから、ぶわ、っと鳥肌が立つ感覚。言葉はもちろん、なにも出なかった。


「正直、稲塚グループみたいなコンテスト系に力入れてないとこ行くのは勿体ないって俺は思ったけどね。まあそちらの専門学校の先生が許したんなら、親だからって余計な口出しはしないでおいたけど」


「してくれても、よかったのに」

 なんにも知られてないと思ってたのに……そうじゃなかったんだ。


「つかなんでイナヅカにしたの?」


 ずばり訊かれて口ごもった。それは……あなたに認められたかったからだよ。


「今更だけどね。あーいう有名店は新卒で入っても苦労するだけだろ。経験としては悪いとは言わないけど、よっぽどの変態じゃなきゃ続かないようなバカみたいにキツい世界だったっしょ」


 そうなんですか……? と青ざめる杏子ちゃんにこくりと頷いた。


 ほんとうにその通り……っていうかお父さん、暗に私のこと変態呼ばわりしてる?


「けどそこで四年もやれたんだ。まあガトーの助けが多少あったにしても、並の根性じゃないな、とは思ったよ」


「や……やめてよ。らしくない」


 ふいに褒められて困る私を、ふ、と笑って雑誌を元の場所に片付けた。するとついでに、という雰囲気で他の背表紙を指でなぞる。


「ちなみに翔斗の作品もあるよ」


「「え!」」


 杏子ちゃんと声が重なった。


「翔斗ってコンテストなんか出てたの?」

 知ってた? と杏子ちゃんに訊ねると首を横に振った。


「俺の情報収集力なめんな」


 取り出したファイルに収まった資料を杏子ちゃんに手渡して「さ、仕事」と私の肩を叩いた。


 唖然としたまま、その背中を見て思う。なんにも知られてないなんて、とんだ勘違いだったんだ。


「お父さん……ごめんなさい。私、お父さんのこと、誤解してたかも」


 自分の子どもたちのことを絶対に認めない、なんて。そうじゃない。頑張ったらちゃんと認めてくれるんだ。ちゃんと見てくれてるんだ。


「いつかガトーにも言ってやりたいんだけどね」


「……え?」


 するとお父さんは「ちょうどいいからおまえから今度言っといてよ」と、そんなことを言う。


「『巨匠はおまえをちゃんと認めてた』って」


「え……それって」


 どういうこと? だってお父さん、巨匠と面識なんて……あったの?


「あの詐欺師のジーサンね。俺はクソ嫌いなんだけど。酒の席では息子の自慢話しかしないって有名でさ。俺にも『ガトーのこと全部教えろ』ってしつこく絡んできたし、潰そうにも酒にバカ強くて全然潰れない。ひと晩超えて次の日の午前いっぱい付き合わされた時はさすがに妖怪だと思ったよ。しかも飲みすぎて気持ち悪いから家まで送れとかまたバカなこと言ってくるし」


「巨匠と……お酒を?」

「若い頃の話。その時ガトーはフランス留学中で、たしかそのまま向こうの稲塚グループの店舗で仕事することになったんじゃなかったかな。だからこの話はまだあいつにしてやれてないんだよ」


 なんだか改めてお父さんのすごさを実感させられた。


「『あいつは稲塚グループをもっとデカい会社にして背負って立てる男だ』とかって買い被って。ほんとバカだなーこのオヤジって思ったよね」


 話しながらまるで息をするみたいに簡単そうにケーキを飾っていく。真ん中にサンタさんとトナカイ。それを囲むように真っ赤なイチゴが惜しみなく載って。雪の結晶を模したホワイトチョコレートを挿し、イチゴに粉砂糖を振りかける。


 仕上げに〈Merry Christmas!〉と格好よく書かれたチョコプレートを載せたら、そこには素敵で特別なクリスマスケーキが完成していた。


 魔法。それ以外のなにでもない。


 お父さんのこと、たしかに魔王と思っていた。だけどあの時思っていた意味とは今は違って感じる。


 この魔王は、『魔法使いの王』だ。


 その手から生み出されるのは、芸術で、唯一無二で、そしてお客様に向けた幸福の塊。


「悪いけど洗い物よろしく」

「あ、はい」


 こんな改めて、お父さんを尊敬する日が来るとは思わなかったな。


「夕方ご来店されるから。受け渡しまでやってみな」


「え」


 なんで? と見るけど、お父さんの目線は手元の作業に落とされたままだった。


「やればわかる」





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