第24話 親孝行はほろ苦い

 仕方なく実家に戻ると、お母さんがたくさん料理を作って待っていてくれた。春キャベツに菜の花にカブ。春の野菜がいろいろ。


「ありがとう。だけど食べたらもう帰らないと。明日も出勤だから」


「あーん。さみしい」


「う……。そんなうるうる見つめないでよ」

 今度は急に素直になるんだから。このお母さんにはほんとうに参っちゃうな。


「いちごちゃん」


 さて。ガトーさんは病院からずっと「実家を手伝うべきだ」と言って譲らない。「フランスに来て」なんて熱く言っていたのはどこへやら。


「僕は大丈夫だよ。いちごちゃんは兼定さんが全面復帰してからフランスに来てくれればそれで」


「だけど肝心のお父さんが『嫌だ』って」


 私だって嫌だ。


「だけどそれしかないと思わない?」


 そうは言っても。いくら娘だからってあの超人のようなお父さんの代わりがすぐに務まるとは自分でも思えないし。


「いちごちゃん」

「…………はい」


「親孝行すべきだよ」

「え」

 今度はそういう話?


 するとガトーさんは小さく頷いて言う。


「きっとまたとないチャンスだと思うんだ」


「そんなの……」

 この先いつでも……。たとえば孫を連れて来る、とかさ。私なんかと過ごすより嬉しいんじゃないかな。


「僕はそれができなかったから」


 あ……。


「母は早くに亡くなったし、父には結局、ダメなところしか見せられなかった。やっと自分の仕事に自信が持ててきた頃、もう父はパティシエの仕事からはほとんど退しりぞいていたからね」


 パティシエとして活躍する姿は、結局まともに見せられなかった、と。


「父が僕と共に厨房に立つことを密かに夢見ていた、と、父がこの世を去ってから聞かされた。僕は弱虫な引きこもりだったし、酒もろくに飲めなかったから二人で語らうこともほとんどなかったんだ。だから当然あの人がそんな夢を抱いていたなんて知るはずもない」


 結局、あの人の夢を僕はひとつも叶えてあげられなかったんだ。


「だけどちゃんとオーナーシェフを継いだじゃないですか」


 私が言うと「そうだね。だけど」と。


「あの人の中で僕は、最期まで頼りないダメ息子のままだったと思う」


「そんな」


「そのくらい、存在が遠すぎたんだ。僕だって正直、あの人に育ててもらった気はしてないよ。現に父から直接製菓の技術を教わったことはないし、継いだレシピだって、もう何人もの弟子が作ってきたものばかりだ」


 だから亡くした時も泣けなかったんだろうね、と、寂しげに笑った。


「兼定さんは偏屈な人だけど、熱くて、それと愛があるでしょう? 本当の意味で僕を育ててくれたのは、あの人なんだよ」


「え……」

 お父さんがガトーさんを育てた……なんて。


「僕をはじめから〈巨匠の息子〉として見なかったのは僕の人生であの人だけだよ。いつでもまっすぐに僕をひとりの男として、『稲塚 雅登ガトー』として見て、接してくれた。そんなこと初めてで、最初は正直戸惑った。けど、ひとたび触れたらすごく熱くて、そして暖かくて。一気に好きになった」


 口はめちゃくちゃ悪いけどね。あと態度も。それから勝手だし、すぐ人のせいにするし、高度な要求が多いし、好き嫌いがとにかく激しい。自分が興味ないことに一切見向きもしないし、教えようとしても即寝てる。あと文句が多い。そして強引。お酒強すぎ。飲めない僕を夜中まで付き合わせたんだよ? 次の日も朝から出勤だっていうのに。それも一度や二度じゃないからね。どんだけ勝手なんだと思ったよね。


 それから、とまだ言い足りない様子のガトーさんに「あの」とストップをかけた。すごくわかる話ばかりだったけど、あまりに本題から逸れていくので。


「ん、ごめん。……なんの話だっけ?」


「親孝行の話です」


 答えると「そうだった」と微笑んだ。


「これは僕の親孝行でもあると思うんだ。実の父にできなかった分、『育ての親』である兼定さんに、僕は親孝行がしたい。彼の娘である、いちごちゃんと」


 ……ほんとうに。自分勝手な人なんだから。


「協力してくれる?」


 そんな熱のある瞳でまっすぐ見るなんてずるい。


「……もう、仕方ないなぁ。わかりましたよ」


 結局こんな返事をしてしまうのだった。




「……え!? ほんとに帰らないの!? このまま残るつもり!?」


 お母さんは目をまん丸くして驚いた。そりゃそうだよね。


「職場に挨拶もしなきゃだし、荷物とか取りに一度は戻るけどね」


 いきなりこんな話になったわけだけど、たまたま年度末だったのもあって職場では意外と話がすんなりまとまっていった。


 あっけないな、と思う。私の代わりなんていくらでもいる。なんだかそんなことを思い知らされた気がした。


 こうして私は長年勤めた〈pâtissierパティシエ Tadanobuタダノブ Inazkaイナヅカ 本店〉を退社、実家のケーキ店〈シャンティ・ポム〉に移ることとなった。


 ……のだけど。


「はあああああ……」


「そんなあからさまに嫌そうにしないでくれる?」


「ま、翔斗よりマシか」


 松葉杖の一本だけを使って寄りかかりながらさも嫌そうに私を眺めてくる。そんなへんな使い方したら看護師さんに怒られるよ?


 こちらの厨房スタッフはお父さん以外にひとりだけいるそう。いくら娘だからっていきなりこんな知らない人が来て嫌がられないかな、と思ったけどどうやら無用な心配だったみたい。


「いちごさーん!」


 なんと知ってる子だった。っていうかこの子は……。


「翔斗とは……まだ」

「ああ、一応。腐れ縁で」


 弟、翔斗には本当にもったいない素敵でかわいいガールフレンドの杏子あんずちゃん。あいつ。ケーキにしか興味ないくせに不思議とこういう縁には恵まれてるんだよね。この子はうちに小学生の頃からよく遊びに来てくれていた、もはや家族みたいな存在。


「あいつ、今どこにいるの?」

「ウイーンです。たぶん」


 ガールフレンドですら「たぶん」……。フランスでもベルギーでもなかったか。


「ザッハトルテの研究してるとかって」

「もはやなにを目指してるんだか」


 翔斗の話は置いておいて。でもこの子がいてくれるのなら沢口家は安泰だな、と姉として微笑ましくは思う。


「いちごさんが来てくれて本当によかったです! 私じゃまだシェフの片腕になんかとてもなれないので……」


 危うく何ヵ月も職を失うところでしたよ、ととても感謝された。そ、そうだよね。



「それでご予約のバースデーデコっていうのは」


 お父さんに訊ねてみると。


「ああ。クリスマスケーキだよ」


 そんな予想だにしない答えが。え、だって今は春まっ盛りだよ?


「…………は?」


「特注」


「特注……って、飾りとかあるの? っていうかなんで断らなかったの?」


 すると、「はあ、うるさいな」とまた嫌そうな顔をされた。いや、私間違ってないよね?


「飾りはない。だから作る」

「作る!?」

「マジパン細工よ」


 ふ、と不敵に笑った。




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