第23話 偏屈オヤジはほろ苦い

 到着したのはお昼すぎだった。

「ほんとに来たんだ」と案外けろりとしたお母さんに迎えられて、久しぶりに実家のリビングに上がった。


「しかもガトーくんまで」


 あれ、フランスじゃなかった? とここで聞くのがお母さんという人。さっき電話でお土産のフランス菓子がどうのこうのって言ってたよね?


「ガトーさんの話より、お父さんのこと」


 私が言うと、「あん、ごめんね」と。なんでお母さんが謝るの。


「ほんとに心配いらないんだよ。でもひとりでいたら、なんか良くないことばっかり想像しちゃって。こんな騒ぎにして、お父さんに知られたら怒られちゃうよ」


 そう困り顔で笑った。


「具体的な怪我の具合は」


 ガトーさんが訊ねると「うん」とお母さんが少し深刻な顔になった。


「足がね。折れちゃってるみたいで」


「え!」


「全治……三ヵ月はかかるかな、って」


 入院自体は一週間ほどで済むらしい。けど足はギプスで固定されていて当面はなるべく安静、最小限歩くにも松葉杖が必要で、介助なしの生活は難しいとのこと。


「片足でも厨房に立つよ、って本人は言うんだけどね」


「無理でしょう」

「無理だよ」


 ガトーさんと声が重なる。当然だよ。これじゃ折れたのが手じゃなくて良かったのか悪かったのかわからない。


「足以外は元気なんだ?」


 訊ねてみると「おかしいよね?」と。


「普通なら死んでてもおかしくないような事故だったんだよ。だからお医者さんにも『ちゃんと検査した方がいい』って言われて」


 なるほど。それであんなに不安げだったんだね。


「だけどほんとに足以外はピンピンしてて。退院したらお店開けるとか無茶なこと言ってるんだよ」


 う……目に浮かぶ。


「面会行ったら二人からも言ってやって。せめてひと月はおとなしくしなさいって」



 そんなわけで午後の面会時間を待って病院へ。淡い黄色のカーテンで仕切られた病室を覗くと、五分咲きの桜の木が見える窓際のベッドで暇そうにするその姿を見つけた。


「は、なんでおまえらまで来てんの?」


「お元気そうですね」

「おまえフランスじゃなかったの」

「帰国したのは兼定さんのためじゃないです」

「そこまでされたらさすがに引くわ」


 ほんとうに元気そうだった。


「お父さん。あんまりお母さんに心配かけないでよ。すぐお店やるとかどうやったって無理でしょ」


「はー。そんなこと言いに来たのかよ」

「大事なことでしょ」

「おまえには関係ない」

「な、関係あるよ!」


 娘に関係ないわけあるか!


「ま、束の間の休暇と思って。兼定さん、ここまでほとんど休みなく来たわけでしょう?」


 ガトーさんが言うと「はあ?」とガラ悪く睨み上げた。


「誰がそんなんいるっつったよ。とにかく店はすぐ開ける」

「開けるって……どうするつもり?」

「どうにかする」

「その足で?」

「しかないっしょ」


 んん、頑固オヤジめ。でもなんでそこまで聞かないんだろう。


「……なにか事情があるの?」


 訊ねるとお父さんは視線ををゆらりと窓辺に移した。ちらちらと控えめに咲く桜は春風に揺れてまだ少し寒そうに見える。


「べつに」


「ご予約?」


 だてにパティシエやってませんから。っていうか働くお父さんの姿は子どもの頃から見てきたし。


「……約束があって」


 やっぱり。


「小さい子?」

「……そ」


 お父さんは、こういう人だ。

 ガトーさんと顔を見合わせた。


「ご予約、いつ?」

「退院予定日の、翌日」


 お母さんはなるべく早く断った方がいいと言ったけど、お父さんが納得しないでいるんだそう。


「じゃあその一件だけなんとかできればいいのね?」


「だめ。翌週も、その翌週もバースデーデコの予約はある。来週は専門学校の非常勤講師の予定も組んであるし、地域の子ども対象のパティシエ体験教室が二回、ギフト用の箱詰め焼き菓子の予約も何件か来てた。あとこども会用の詰め合わせ小袋80個の依頼もあってどれも材料発注済み。それから地域情報誌の取材もたしか月末に──」

「ちょ、仕事取りすぎじゃない?」


 その上で通常営業もあるわけでしょ? しかもそれをほとんどひとりでこなしてるんだよね? 定休日まで多忙なわけだよ。


「俺は趣味でケーキ屋やってるわけじゃないんでね」


「そんなに働く必要ないでしょ。私も翔斗ももう独立してるんだし」


 はーあ? とまたガラ悪く見上げられて気分が悪い。不良だったでしょ、この人絶対。


「誰が稼ぐためにやってるって? おまえね、ほんとバカにすんなよ」


「……じゃあなんのため?」

 ほかになにがある?



「うちの菓子が好きだって、言ってくれる人たちのためだよ」



 ちょっと、リアクションできなかった。


「もう……やめ、兼定さんっ……くっ」


「えっ」

 隣で急に声がしたと思ったらガトーさんがグズグズに泣いていてたじろいだ。


「ガ、ガトーさん?」


「っはあ、……ああ、あのね、兼定さん、あんた、そういうことを平然と言わないでくれません? 一生ついていきたくなるじゃないですか!」


 ええっ……?


「わかりましたよ。僕がなんとかします」

「え……ちょと、ガトーさん」


「僕が代わりに」

「それは絶対無理ですってば!」


 もう! 熱い展開なのはわかるけどっ。


「二人とも、一度冷静になって。ガトーさんはオーナーとしてのお仕事、ただでさえ山積みでしょう? お父さんの代わりなんてしてる暇ないです! お父さんも。気持ちはわかるけど現実的じゃないでしょ。今無理したら怪我が長引いて結局お客様待たせることになるよ!?」


「いちごちゃん」

「……はい」


 メガネの奥の瞳が久々に敏腕オーナーシェフのそれでどきりとした。


「いちごちゃんにしかできないよ」


「…………へ」


 目をパチクリしてから、お父さんの方へ視線を移す。


「断る」


 だよね!


「もう帰れ。おまえらうるさい」


 言うとそっぽを向いてしまい、それからは誰が何を言っても無視を貫かれてしまった。はあ。





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