第3章 甘さの加減は上級編

第15話 初デートは甘かった


 次の定休日、はじめて稲塚さん……ガトーさんに誘われた。


 こ、これは、デート!?

 というか私たちはお付き合いしているということなのでしょうか!?


 学生時代の「今日から」みたいのと違って大人の恋愛はよくわからない。


 時間より早めに待ち合わせ場所に着くとガトーさんはすでにそこにいた。仕事着とはちがう服装はなんだかとってもお洒落で、メガネもいつもとちがう気がする。……って、うああ、私、上司を待たせるなんてっ。慌てて謝ると、「はは。女の子を待たせるわけないでしょう」とデートらしいことを言われて早速頬が熱い。


 そして歩き出すと、また自然と手が触れて、す、と繋がった。


「だ、誰かに見られません?」


 定休日の今日、お店のスタッフは全員お休みだから。


「見られちゃまずい?」

「……ええと」

「離そうか?」「や!」


 思わず強く握り返してしまってまた恥ずかしい。


「すみません……」

「謝ることじゃないでしょ」


 そうしてしっかり握り直された手は、ほとんどずっと繋いで過ごした。


「どこに行くんですか?」

 訊ねてみると「ああ、ごめん」と。


「僕は若い子の定番のデートってあんまりわからなくて。結局自分の好きなケーキ屋めぐりの電車旅みたいな感じにしてしまうと思うんだ」


 それでもいいかな……?


 不安げな瞳が今日は懐いた大型犬のように見えて愛おしい。って失礼か、そんなこと。


「もちろんいいです。知りたいです、ガトーさんの好きなお店」


 本当にそう思うから言って笑いかけたら、ガトーさんは一瞬立ち止まって頭を押さえる。


「ど、どうしました!?」


「ごめん……なんでもない」


「体調わるいです?」

「ちがうんだ…………あんまりに、幸せで、受け止めきれない」


 へ……?


 ありがとう、と耳元で囁いてから額にそっとキスをされた。

 う……わわわあっ!


 だめだ、なにこれ、熱い!


「行こうか」と手を引かれて「はい」となんとか頷いた。


 その日巡ったケーキ店は二つ。どちらも郊外にひっそりあるような、小さなお店だった。だけど店内やケーキへのこだわりが凄くて。かわいらしい森の中、まるで別世界に来たみたいな気持ちになった。


「いいでしょう。この世界観が僕は大好きで。いちごちゃんを連れてきたかったんだ」


 世界観、か。すごい。ケーキ店の可能性、みたいな、今まで私が考えたことのなかった扉が次々開かれてゆく。


「ここを僕に教えてくれたのは、いちごちゃんのお父さんなんだよ」


 そんなことを言い出すからまた驚く。


「あの頃は二人でよく出掛けさせてもらって。まあ、僕が無理やり付いていってただけなんだけどね」


 お父さんが無類のケーキ店マニアなのは娘としてはよく知るところだった。だけどその隣にガトーさんがいたことがあったなんて。想像もできない。


「すごくいい経験をさせてもらった。それが今でも活きてるし、今後も必ず役に立つ」


「私も」


 ん、とガトーさんがケーキから私へと視線を移した。


「行ってみたいです。二人が行ったお店」


 言うと、「ふ」とその目を細めて微笑んだ。


 郊外、ということでお店にたどり着くまでの電車でのおしゃべりもたくさん楽しめた。


 過去の話、現在の話、それから、未来の話まで。


「いつか自分の店を構えたいんだ。〈稲塚グループ〉ではない、僕自身の店を」


 ガトーさんほどの腕があれば、そんなのすぐにでも叶いそうだけど、と思っていると、私の心を読んでか「そう簡単じゃないよ」と微笑んだ。


「僕は跡取りだからね。まずはそっちをうまくやらないと」


 そうか……跡取り。


「いずれはオーナーシェフに……なるんですよね」


「まあ、そうなるだろうね。たぶんかなり大変なことだと思う。父は自由奔放な人だから。そのあとを継ぐとなると」


 こんなすごい人の隣に、私なんかがいてもいいのだろうか。今でも自分を卑下する気持ちがまったくなくなったわけじゃない。


「いちごちゃん」

「……はい」


 するとその様子を察したのかガトーさんが私を呼んだ。


「だからこれからも僕の力になってほしい」


 こんなプロポーズみたいなことをさらさら言ってのけるのは王子様の特色……?


 その夜は素敵なレストランで食事をして、帰りの別れ際、宵闇の中で不意を突かれて短いキスをした。


「……っ、ひぁ、あのそのっ!」

「はは。真っ赤だよ」

「だって……いきなりで」

「ふふん。そうか。それじゃ、ちゃんとしたのをもう一回」

「へっ!?」



 そんな王子様との恋愛は職場では秘密にすることにした。


 ガトーさんは「知られてもいいよ?」と言ったけれど、私が譲らなかった。


「絶対だめです!」

「なんで?」

「だってみんなが……」

「みんなが?」


 う。そういう自覚はかったんですかね?


「悲しみますから」


「へ。どうして?」


 もう!


「とにかくだめです。お仕事中は今まで通りに接してください」


「できるかな……」

「え」

「近づくのはいいよね?」

「必要外はだめですよ」

「話しかけるのは?」

「だから今まで通りに。とくに呼び方は」

「今までってどうだった?」

「え!?」


 わわわ。これ……大丈夫?


「ガトーさんって」

「なに?」


「……いえ。なんでもないです」


 溺愛そういうタイプの王子様なんですね? こ、これは大変かも……。


「努力はするよ」

「お願いします」



 こうしてなんとか勤務時間はほかのスタッフたちの変に勘づかれることなく過ごせていた。けれどその分退勤後の甘さは毎日基準値を軽く超えた。ひえ。


「いちごちゃん」

「はい……」

「早く結婚したい」

「……っ! え!?」


 もう、誰かこの溺愛王子を止めてください!


「だけど今はまだだめなんだ」


 言うとふわ、と腕をほどいて離れてしまった。


「結婚は正式にオーナーシェフになってからにしようと思うんだよね」


「べつに、気にしませんよ?」


 焦っているわけではないけれど。肩書きなんて私は気にしないもん。


 するとガトーさんは「いや」と言う。


「結婚するってことはつまり、お父さんやお母さんにも会うってことでしょう。だから」


「父や母だって気にしないと思いますよ?」


 ガトーさんは「わかってるよ」と笑う。だったらどうして?


「僕の気持ちの問題、かな」


 わかるようなわからないような話だった。だけど彼がそうしたいと言うのなら、それでもいいと私も思う。


「本当はすぐにでも会いに行きたいんだけどね」


 微笑むその顔を見つつ、あのお父さんとガトーさんが話すところを想像してみたけど全然うまくいかなかった。


 だって二人って、どちらかというと正反対じゃない?


 白王子と黒王子……いや、お父さんは王子というより魔王だよね。やっぱり。


 考えていたらまた抱きしめられた。もうずいぶん慣れたけれど、まだ頬は熱くなる。


「明日から店にはなかなか行けなくなるから。充電させて」


 ああ、そうか。

 宣言していた月末がとうとう来たんだった。


「巨匠の具合、いかがですか」


 訊ねてみると「ああ」と。


「じつはもう覚悟しておいた方がいい、って言われてるんだ」




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