第12話 気まずい空気は謎だらけ


「ここで待ってるよ」


 エントランスのところでそう言って片手を挙げた。「すぐ支度します」と頭を下げてアパートの部屋へと駆け込む。


 クローゼットを叩き開いてあれこれ引っ張り出すけど、夏の服ばかり。あれ、秋冬ものはどこだった? ちゃんと衣替えしておけばよかった、なんて今更思っても遅い。仕事ばかりに明け暮れていたせいだ。


 ストッキングよりタイツの方がいいかな。外はだいぶ冷えていたから。そんな冷えた中で稲塚さんを待たせているんだ。焦りながらも一応メイクもして髪も綺麗に結わえ直した。


 カバンとスマホを掴むと慌ただしく部屋を出た。



「すみません!」


 お待たせしました、と駆けつけると稲塚さんは「ああ」と迎えてくれた。あれ。なんだか……目が合わない?


 遅かったかな。怒ってる?

 それともなにか別の用ができて行かなきゃいけなくなったとか……。


 あれこれ想像していると逸らされていた目がやっとこちらを向いた。


「ごめん、なんというか、……見違えた」


 み、ちがえた?


「すごく……綺麗で」


 再び逸らせたその顔が、ほんのり赤いような気がして驚いた。


 とにかく行こうか。と促されて再び並んで歩き始める。


 なんとなく気まずいような、どうしていいのかわからない空気になってしまい困った。


「あの……」


「ん」


「えっと……」


 すると稲塚さんは「ごめん」と笑った。


「なんか、緊張してしまって。こんな綺麗な人の横に僕が居てもいいのかって」


「な、なに言ってるんですか」


「もうすぐそこだよ」

 照れをごまかすように前方を指す。見てみると、美しく照らされたもみじの一部分がちらりと見えていた。


「すごい……。知らなかったです、近くにこんな場所があったなんて」


 稲塚さんは「よかった」と微笑むと立ち止まって私にその手をすらりと差し伸べた。


「エスコートさせていただくよ」


「え!」

「嫌でなければ」

「嫌なんてことは……」


 戸惑いながらも、そっと手を重ねた。


 分厚くて大きな手

 優しい眼差し


 知っている。そうだよ。だから懐かしかったんだ。


 思わず握る手に力が入る。すると稲塚さんは優しくこちらを見た。


「どうかした?」

「え…………と」


 わからない。だけど、この人にどこへも行かないでほしい、と強く思った。


「す、すみません」

「いや。いいよ」


 言うと稲塚さんは優しく握り返してくれた。ああ、やっぱり。私、この人が好きなんだ。


 王子様だからじゃない。もっと潜在的なもので惹かれてる。


 もっと一緒にいたい。

 ずっと一緒にいたい。


 フタをしていたはずの気持ちが、いつの間にかどんどん溢れていた。


 稲塚さんはそのまま私を公園の中へといざなう。手を引かれて足を踏み入れると、ひらり、あか。そこはまるで別世界だった。


「う、わあ……」

「すごいでしょ。ここ。穴場なんだ」


 あかい、だけじゃない。所々黄緑色とのグラデーションになっているから、よりみやびで美しいんだ。


 さわ、と秋風が誘って、ひらりひらりとライトを透かして優雅に舞い落ちる。地面は彩葉いろはで敷き詰められていた。


「芸術的……ですね」


 少しの間見とれていて、「そこに座ろう」と連れられてベンチへと移動した。


 目の前にちょうど一本、立派なもみじの木が眺められる特等席だった。ひらり、またひらり。紅が宙を楽しんで、舞う。



「……白状すると、ずっとわかっていて接していたんだ」


 こちらは見ずに、もみじのあかだけを眺めて言う。


「キミが、沢口さんの娘さんだって」


 ひらり。紅く。淡く。濃く。


 稲塚さんが言う〈沢口さん〉が指すのが私ではなくお父さんだ、ということを瞬間的に悟った。


「前に、恩師のような人がいるって言ったでしょう」


 まさかだった。


「それが、沢口さんのお父さんなんだよ」


 こんなことって、有り得ない。




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